5章 ようこそ「テリア」へ

第1話 未来のために

 おやっさんとお袋さんの魂の消滅は、守梨まもりに底知れない悲しみを与えただろう。嗚咽おえつは止まらず、祐樹ゆうきは守梨を上の部屋まで抱える様にして連れて行き、泣き疲れて眠るまでそばにいた。


 目を真っ赤にらした守梨は見ていて痛々しく、この辛さを払うことができるなら、何でもしたいと心から思った。


 だが祐樹では荷が勝ちすぎる。祐樹ごときでは守梨の傷を癒すことはできないだろう。


 どうして守梨がこんな目に合わなくてはならないのか。そう思うと同時に、祐樹は自分の浅はかさを呪う。


 梨本なしもとの一件で、自分は早期解決を狙って梨本を挑発した。だがそれが、おやっさんの悪霊化という最悪の事態を招いてしまったのだ。


 弥勒みろくさんから、霊と人間との接触や罪について、話は聞いていた。なのにおやっさんの行動を読めなかったのは自分の落ち度である。親の愛情を見誤っていた。迂闊うかつに過ぎた。


 だが、守梨はきっと祐樹をとがめないだろう。そうすることで守梨の気が少しでも晴れるならと思うのだが、守梨はそういう性格では無い。むしろ自分のせいでと思うかも知れない。


 謝りたくてもそのことを掘り起こせば、また守梨を傷付けるだけである。だから祐樹は贖罪しょくざいとして、生涯しょうがいを守梨のために使うと決めた。


 もともとそのつもりではあったのだが、自分のできうる限り、守梨に尽くそうと誓う。甘やかさず、時には厳しくなるかも知れないが、守梨のためになることなら、何でもしよう。




 あれから守梨はすっかりと引きこもってしまっている。生理現象があるから自室からは出ているだろうが、家からは出ず、きっとシャワーを浴びる気にすらなれていない。きっと食事もまともに摂っていない。


 だからこそ、祐樹は毎日守梨の家に通う。食欲の無い時には、白いものならどうにか食べられることを知っているので、いつでも食べられる様にレトルトのおかゆと豆腐を冷蔵庫に入れておいた。


 それはなかなか減ることが無かったが、仕事終わりに祐樹が訪ねて促したら、どうにか口に運んでくれる。それだけでも祐樹はほっとするのだ。祐樹も一緒におかゆと冷や奴を食べた。


 普段は艶のある髪はぼさぼさだし、肌も荒れ始めている。ろくに食べていないのだから当たり前だ。げっそりとしてしまっていて、眠れているのかも怪しい。だが無理に食べさせる様なことはできない。それは甘やかしでは無く、祐樹にとっては労わりである。


 きっと日付薬に頼るしか無いのだ。そして祐樹がこうして毎日顔を出すことで、守梨はひとりでは無いことを分かっていて欲しい。


 どうか1日でも早く、守梨がまた笑える様になれます様に。祐樹は普段は信じない神にすら祈る気持ちだった。




 土曜日。祐樹は「マルチニール」の修行があるため、昼少し前に守梨の家に向かう。守梨はまだ普通には食べられないだろうから、途中のスーパーでおかゆと豆腐を買い足しておく。


 もうすっかり勝手知ったるである。自分の家の鍵と一緒にキィケースに付けている春日家の鍵を出し、インターフォンも鳴らさずに解錠かいじょうした。


 階段を上がり、リビングに入ると「守梨」と声を掛ける。いつもなら「はーい」と返事が返って来るのだが、ここ数日はそれも無かった。なので今日もそうだと思っていたのだが。


「はーい」


 予想外に返事があり、祐樹は目を丸くした。だが守梨の姿はリビングにもダイニングにも無い。祐樹が焦ってきょろきょろと部屋を見渡すと、守梨がリビングに入って来た。濡れた髪をタオルで拭いている。


「祐ちゃん、いらっしゃい。シャワー浴びててん」


 守梨は少し弱々しいながらも笑顔を浮かべている。昨日からのあまりの変わり様に、祐樹は呆然としてしまった。


「守梨、大丈夫なんか?」


 そう聞いて、なんて間抜けなことを、と頭を抱えたくなった。大丈夫なわけ無いでは無いか。


「心配掛けてしもてごめんな。まだ完全とはいかんねんけど、私、お店を再開させるって決めたんやから、こんなことしてる場合や無いやんね。祐ちゃんも頑張ってくれてんのに」


 守梨はそう言って、苦笑いを浮かべる。そんな焦ることは無いのに。自分を気遣う必要なんて無いのに。


 祐樹は唇を噛み締める。守梨はそんな祐樹を見てか、「大丈夫やねん」とゆるりと小首を傾げた。


「なぁ、祐ちゃん、なんかお昼ごはん作ってくれへん? 私、祐ちゃんとお父さんのごはん、食べたい」


 守梨はそう言って健気に微笑む。祐樹はそんな守梨にむくいたいと、表情を緩めた。


「分かった。買い物行って来るわ。その間に守梨は髪乾かしてな。湯冷めして風邪引かん様に」


「オカンか」


 守梨は突っ込んで、くすりと笑みを零した。




 祐樹は考えた末、ここしばらくまともに食べていない守梨にはあっさりめなものをと思い、鶏ささみとレタスの白ワイン煮込みを作った。


 ぱさぱさになりがちな鶏ささみは弱火でじっくりと火入れをし、白ワインの力も借りてしっとりと仕上げている。レタスは仕上げに入れてさっと火を通し、しゃきしゃき感を残してある。


 パンも柔らかな白ロールパンを用意し、春日かすが家のダイニングで向かい合って「いただきます」と手を合わせた。今日は住居のキッチンで作ったのである。


「んふ、美味しい〜」


 守梨はひとくち大にカットしてある鶏ささみをレタスと一緒に頬張り、満足げに目を細める。祐樹は良かったと胸を撫で下ろす。空元気でも何でも、それができるほどに回復しているということなのだ。食欲が出て来たことも本当に良かった。


「祐ちゃん、私がへこんでる時、「テリア」のお掃除もしてくれとったんやねぇ。ほんまにありがとう」


「いや、ドミグラスの世話もあったし」


「ソースも、ほんまにありがとう」


「うん」


 祐樹はドミグラスソースの手入れも掃除も、欠かさず行って来た。ソースを駄目にしてしまうなんてもってのほかだし、「テリア」も綺麗なままにしておきたかった。おこたって守梨をがっかりさせたく無かった。もちろん守梨はもしそうなってしまっても、祐樹を責める様なことはしないだろうが。


「昨日はセミナーもさぼってしもたし、テキスト読み込んどかんとなぁ」


「今日は? 夜のビストロ」


「行くで。行かな、お勉強せな、と思ったら起き上がれた」


 守梨は事も無げに言うが、それほど「テリア」の再開が心の支えになっているということなのだ。祐樹も気を引き締めなければ。


「再開したら、祐ちゃんにちゃんとお給料を出せる様な経営してかんとね。祐ちゃんも将来は結婚したりもするかもやし、その時に奥さんになる人に不安な思いさしたらあかんやろうし」


「結婚、か」


 祐樹がぽつりと漏らすと、守梨は平然と「うん」と頷く。


 祐樹は結婚のことなんてろくに想像したことも無かった。ああ、でもそうか、良く良く考えてみれば、守梨にだってその可能性があるのだ。


 そうなった時、祐樹はどうする。どうなるのか。それを思った時、祐樹の中に「降りて」来た。


「ほな守梨、俺と結婚するか?」


 その言葉は、思いの外するりと出て来た。まるで天気の話でもするかの様に。


「……へっ!?」


 守梨は見る間に顔を真っ赤に染め、素っ頓狂すっとんきょうな声を上げた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る