第11話 悪霊にならないために

「なんで……」


 守梨まもりはそう呟くことしかできず、呆然と空虚くうきょを見つめる。目の前にはゆうちゃんの顔があるはずなのに、焦点が合わないのだ。


 もやが掛かった様にはっきりしない頭に、弥勒みろくさんの落ち着いた声色がかろうじて届く。


「死んで霊になってからのことも、罪として計上されてしまうんや。特に生きてる人間に何かすんのは厳禁やねん。たまにな、死んでもてひとりで寂しいからって、身近な人を取り殺す霊もおるんやけど、もれなく悪霊に成り果てるか、地獄行きや」


「なんで」


 お父さんは、確かに梨本なしもとに暴力を振るったということなのかも知れない。だが身勝手な理由では無い。守梨と祐ちゃんのためだ。それでもお父さんは悪いと言うのだろうか。


「理不尽やと思うか?」


 思う。だから守梨はのろのろと頷いた。


「わしもそう思う。でもそれがことわりやねん。それは人間の都合では変えられへん。お父はんもそれを分かってて、それでもそうしたかったんや」


「……分かってて?」


「そう。霊になったら、そういう知識が自動的に備わるんや。霊が生きてる人間に干渉するんは基本御法度ごはっと。わしや祐樹ゆうきみたいに霊感あるなら別やけどな。それを分かった上でのことや。お父はんも覚悟してはるわ」


 悪霊になってまで、守梨たちを助けたかった。お父さんのその思いは守梨の胸を締め付ける。そんなことなら、自分が殴られてたら良かった。怪我なら日が経てば治るのだから。だが悪霊になってしまったら。……なってしまったら?


「どうにか、なれへんのですか……?」


 守梨はかすかかも知れない希望に手を伸ばす。だが。


「なれへんな」


 あっさりとそれは打ち砕かれる。守梨は消沈するしかできない。何か手は無いのか。お父さんが悪霊になってしまわない様に。だが霊の世界にまるで詳しく無い守梨なのだから、検討すらつくはずが無い。


 何の中身も無い思考のかたまりが、頭の中をぐるぐる巡る。それは何も導き出さない。ただただ心を消耗するだけである。


「このまま悪霊になって、わしみたいな霊能者にはらわれるか、まだ正常を保ってる今成仏して、地獄に行くか、どっちかしかあれへん。でもな、ひとつだけ、わしが介入することで、悪霊にならず、地獄にも行かんで済む方法がある」


 守梨は弾かれた様に顔を上げる。望みがあった。それは守梨に活力をもたらす。見開いた目はしっかりと弥勒さんの姿を捉えた。


 弥勒さんは椅子に置いていた濃紺のショルダーバッグから、赤いお守り袋を取り出す。


「これはな、霊が見えへん、聞こえへん人でも、見える様になるお守りや」


 守梨はごくりと喉を鳴らす。と言うことは、もしかして。


「守梨ちゃん、最初はまるっきり何も感じひんかったのに、最近はお父はんらの気配、感じる様になったんやってな」


「は、はい!」


 守梨は前のめりになって応える。いつの間にか感じる様になっていた。最初は気のせいだと思ったのだが、誰もいない「テリア」の店内に暖かな空気を感じる様になり、ああ、これが両親の存在感なのだなと感じたのだ。


「多分、ずっと霊がそばにおることで、感覚が「めくれた」んやろうな。せやからこれが使えるんやわ。人間にはな、どんだけちっぽけでも、必ず霊感がある。けどそれが小さすぎたら何も感じひん、そんだけのことや。それはな、実は少しやったら鍛えることができんねん。わしら霊能者が修行して霊力上げたり、そうやな、坊さんらの修行も一緒やな」


「そのお守りがあれば、私でも両親に会えるってことですか?」


「そうや」


 それは願ったり叶ったりでは無いか。守梨は幽霊になった両親と会話ができる祐ちゃんがずっと羨ましかった。自分にもそれが可能だなんて。ああ、早くそのお守りが欲しい。


 だが、それとお父さんが悪霊にならずに済むことと、どう関係するのだろうか。守梨には接点が見つけられず、お守りに伸ばしたい手が動かなかった。


「今、守梨ちゃんがこれを使ったら、お父はんは悪霊にならずに済む」


 ああ、なら、迷うことは無い。守梨は両親と会える、お父さんは悪霊にならない。一石二鳥の万々歳では無いか。


 守梨は祐ちゃんに支えられながら立ち上がる。その胸は歓喜で満ちた。


「けどな」


 弥勒さんは言葉を切ると、目を伏せる。まるで言うのをためらっているかの様に。だが数秒後、弥勒さんの表情には冷淡とも言える気配が漂った。守梨はぞくりとする。


「これを使うと、お父はんとお母はんの魂は、消滅する。消えて、無くなる」


 守梨の身体に戦慄せんりつが走る。消滅? どういうことなのか。どうしてそんな不穏な言葉が出て来るのだろうか。ようやく立ち上がれたと言うのに、守梨はまた足元をふらつかせた。

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