第4話 帰って来た宝物

 翌日、日曜日になり、守梨まもりは午前中にできるだけ家事を済ませて、ゆうちゃんの来訪を待つ。合鍵で適当に入ってくるだろう。チェーンを外しておかなくては。


 そして11時になるころ、階段を上がってくる微かな軋み音が聞こえた。一瞬びくりとしてしまう。だが。


「守梨、おはよう」


「おはよう、祐ちゃん」


 リビングに顔を出したのはやはり祐ちゃんだった。分かってはいたものの、守梨は胸をなでおろす。座っていたソファから立ち上がった。祐ちゃんはエコバッグを担いでいて、それをダイニングの椅子に置く。


「見て欲しいもんがあって」


 祐ちゃんはエコバッグの中身をテーブルに出して行く。牛のかたまり肉、人参、セロリなど。そして。


 両手で丁寧に取り出されたのは、大きめなタッパー。祐ちゃんはそれを宝物の様にテーブルに置いた。


 半透明のふたを通して、ぼやけて見えるのは茶色の何か。これは。


「祐ちゃんこれ、もしかして」


 守梨が期待に目を輝かせると、祐ちゃんは「うん」と強く頷いた。


「ドミグラスソースや。松村さんが渡してくれた。今の俺やったら、大丈夫やって。作り方っちゅうか継ぎ足し方も教えてくれた。おやっさんのレシピにもあるけど、松村さんが細かく教えてくれたんや。これからはここで、「テリア」でまたこのドミグラスソースを繋いで行くから。大事にするから」


 そう言ってタッバーの蓋をそっと撫でる祐ちゃんの顔は、とてもいつくしみに満ちたものだった。祐ちゃんもお父さんのドミグラスソースを大切にしてくれていることが分かる。


 やっと、やっとここまで漕ぎ着けた。料理面に関しては祐ちゃんに負んぶに抱っこ状態であったとしても、同じ時だけ、守梨も自分なりに頑張って来たのだ。報われた様な、大きなご褒美をもらえた様な思いである。


 守梨はタッパーを思い切り抱き締めたい衝動に駆られた。だが冷静な部分が、そんなことをして液漏れでもしたら、と考えるので、両手で包み込む様に触れるにとどめる。


 目頭が熱くなる。目が潤んで来るのが分かる。ドミグラスソースが帰って来た。嬉しい。これで始められる。これは何度目かのスタートだった。


 これまでも「テリア」を再開させるためのスタートは何度かあった。そしてこれからも迎えるものだ。だが自分のせいで失ってしまったドミグラスソースをまた始められることは、守梨にとって大きな意味を持つのだ。


 守梨は目尻に薄っすらと溜まる涙を指の腹でそっと拭った。


「祐ちゃん、お父さんとお母さんには言うた?」


「いや、まだ。先に守梨にて思って」


「ほな下行こう。厨房使うやろ?」


「うん」


 祐ちゃんは食材をエコバッグに戻し、守梨はタッパーを優しく胸に抱く。落としたりしない様に注意しながら階段を降り、厨房を通り過ぎ、ホールに向かった。


「お父さん、お母さん」


 感じる気配に語り掛ける。合ってるかどうか分からないので、守梨はフロア中をぐるりと見渡した。


「祐ちゃんが、ドミグラスソースを戻してくれたで。またここで育てられるんや。言うても祐ちゃんにお願いするんやけど」


 自分でできないもどかしい思いはあるが、それでもきっと両親は喜んでくれる。守梨はそう信じた。


「守梨、おやっさんら、良かったなぁて言うてくれてる。ふたりとも良う頑張ったなって」


 ああ、やっぱり嬉しいと思ってくれた。しかも守梨たちのことまで労ってくれる。


「お父さんとお母さんが見守っててくれたから、私、頑張れた。祐ちゃんに頼りっきりなとこは情けないけど、自分でできることはやって来たつもりやねん。せやからほんまに嬉しいねん。これからも、ほんまによろしくね」


 守梨はテーブルにそっとタッパーを置く。さっき拭ったばかりの涙がまたふわっと膨れ、今度は手の甲で抑えた。歓喜に溢れた雫だった。


「おやっさん、お袋さん、丁寧に根気良く「テリア」の料理教えてくれたから、ここまで来られました。ほんまに、ありがとうございました」


 祐ちゃんが穏やかに良い、そして次には「いやいや」と謙遜けんそんする。


「ん? お父さんら、何て?」


「俺らが頑張ったからやって言うてくれてる。おやっさんらがおらんかったら、できひんかったのにな」


「ほんまやね」


 守梨も笑みを零す。


「おやっさん、お袋さん、昼ごはんは、これでビーフシチューを作ろうと思います。俺、「マルチニール」で松村まつむらさんに教えてもろて、何回かビーフシチュー仕込ませてもろうたから。見てもろてええですか?」


 少しして祐ちゃんが「ありがとうございます」と頭を下げた。


 守梨は驚きで目を見張っていた。


「祐ちゃん、これからビーフシチュー作ってくれるん? ほんまに?」


「うん。今日は煮込み時間あんま取られへんから、牛肉は少し薄い目に切るけど、おやっさんのビーフシチュー、作れると思う。レシピも何度も読み込んだし、おやっさんにも見てもらうから」


 守梨はその場で飛び跳ねたい気持ちだった。


「嬉しい! ありがとう!」


 自然とこみ上げて来る満面の笑みで言うと、祐ちゃんは少し照れた様に口角を上げた。

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