第5話 再開の兆し
お肉は一旦バッドに上げられ、火を止めたフライパンには赤ワインが入れられる。じゅわっと音がし、フライパンに付いた牛肉の旨味がこそげ取られた。
玉ねぎと人参、セロリは細かく切られ、お塩を振ってお鍋で炒められる。祐ちゃんの持つ耐熱性のゴムベラが絶え間無く動き、しばらくしてからトマトピューレが入る。
トマトピューレはトマトを煮詰めて作られたもので、旨味が凝縮しているが、酸味もある。それを飛ばしてあげる様に火を入れて行く。
そして、フライパンの赤ワインが加えられた。アルコールを飛ばし、くつくつと煮詰めて行く。ワインは半量程度になるまで煮詰めてやると、コクと旨味になるのである。
厨房に甘い香りが漂う。次にドミグラスソースとチキンブイヨンが入る。ブイヨンは無添加の市販品である。「テリア」が再開したらこれも鶏がらから作ることになるのだが、修行中の今は時間のこともあり市販品を使っていた。これはお父さんの進言でもあった。
祐ちゃんは「マルチニール」でブイヨンの仕込みもしている。修行としてはそれで充分だということなのだ。
ふつふつと沸いたら牛肉が戻されて、ブーケガルニも加えられる。ここから本来なら2時間ほど煮込むのだが、今日は1時間に短縮するために、お野菜も小さくしたし、牛肉も薄めなのである。丁寧にアクを取り、水分が少なくなって来たら
そうして煮込みが終われば、牛肉とブーケガルニを取り出して、残りをレードルで
「祐ちゃん、それどうすんの?」
あまり知識の無い守梨などは、もう捨てるしか無いと思っていたのだが。「テリア」が営業していた時、こうしたお野菜などは、飼料や肥料などを作る専門の業者に引き取ってもらっていたのだ。だが今はそれができない。
「勿体無いやろ。おやっさんが、これに合挽き肉加えて、ドライカレー作ろかって。挽き肉後で買うて来るから。トマトピューレとカレー粉はあるし」
「へぇ。それやったら私が買いに行く。レシピ教えてくれたら、私でも作れると思う」
「できるか?」
「……多分」
難しいことはできないが、カレーならどうにかなりそうである。小学生だって授業やキャンプなどで作るのだから。
あまり祐ちゃんに手間を掛けさせたく無くて守梨は言ったのだが、祐ちゃんはそんなことはお見通しと言う様に「カレー舐めんな」と笑う。
「後で俺がやるから。ほら、そろそろできるで」
なめらかなソースができあがると、そこに牛肉を戻して、少し火に掛けてあげる。その間に祐ちゃんは小さなお鍋に湯を沸かし、缶詰のグリンピースを入れて、さっと茹でた。
「缶詰やんなぁ。そのまま使われへんの?」
「缶詰臭さがあるからな。こうしてやったら抜けんねん。ほんまは緑のもんも、ブロッコリとか使うとこやけど、今日は手抜きや」
そのまま食べられる缶詰を湯通ししている時点で、守梨にとっては全然手抜きでは無いのだが。そこの考え方が、お料理のできる人できない人の違いなのだろう。
ざるに上げたグリンピースをお鍋に加え、ぐるりと混ぜた。
「守梨、できたで」
守梨はその声に弾かれる様に立ち上がる。壁際のコンロに小走りで向かうと、祐ちゃんが場所を空けてくれた。お鍋を覗き込むと、
作っている最中もその芳香は厨房を包んでいて、守梨の食欲を大いに刺激したのだが、近付くとそれはさらに強くなる。守梨はその
「美味しそう。祐ちゃん、もう食べれんの?」
「食べられるで。盛り付けようか」
「お皿出すな」
守梨は食器棚から、「テリア」でビーフシチューに使っていた深さのあるお皿を出す。
「守梨、皿も。パン屋でブール買うて来たから」
「うん」
ビーフシチューが注がれ、中皿には丸いブールが載せられる。フロアのテーブルにそれらを置き、守梨と祐ちゃんは「いただきます」と手を合わせた。
守梨はスプーンでソースをすくい、口に運ぶ。どきどきする。祐ちゃんのドミグラスソースのお料理。祐ちゃんとお父さんのビーフシチュー。
お父さんが見ていてくれたはずで、祐ちゃんは時折「はい」と言いながら頷いたりしていた。そしてレシピも頭に入っているだろうから、調理もとても滑らかだった。
そんなん、美味しく無いわけないやん。
そうして心臓が高鳴ってしまうのだ。ああ、期待値が高すぎる。
「……っ!」
守梨は目を見開く。口の中にぶわぁっと広がるのはねっとりとした旨味、奥深いコク。そして不思議と鼻から抜ける清涼感。
濃厚ではあるのだが、しつこさは感じない。お野菜の爽やかなエキスがしっかりと出されているからだろう。
牛肉はと言うと、スプーンで割れてしまうほどにほろほろである。繊維全てにソースが絡み、しっとりと旨味を運んで来た。
「美味しい……! 祐ちゃん凄い! ほんまに凄い!」
守梨が興奮して言うと、祐ちゃんもひとくち食べて「うん」と頷いた。
「良かった、巧くできた。おやっさんのお陰やな」
「それもあるやろうけど、やっぱり祐ちゃんが頑張ってくれたからやと思う」
守梨が笑みを浮かべると、祐ちゃんは「そうやろか」とはにかんだ。
ああ、これで本当に「テリア」が戻って来た、そんな気がした。お父さん
祐ちゃんがお料理で失敗したところを、守梨は見たことが無い。だがその分きっと裏では努力をしてくれたのでは無いかと思う。おそらく祐ちゃんは
祐ちゃんが「テリア」の料理人になってくれることの感謝を、守梨はあらためて感じたのだった。
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