4章 再開に向かって

第1話 何でもしてやる覚悟で

 おやっさんから「テリア」のドアの採光ガラスが悪意を持って割られたこと、守梨まもりから柄の悪い梨本なしもとという男に恫喝どうかつされたことを聞いて、祐樹ゆうきは本当に肝が冷えた。


 こんな時に何してくれてんねん。これが正直な気持ちだった。


 守梨の両親が急逝きゅうせいして約4ヶ月。肉親を喪った傷が癒えるには足りないだろう。それでもおやっさんたちが幽霊になって「テリア」に帰って来て、その気配を感じることができる様になった守梨は、また笑顔を浮かべることができる様になっていた。


 「テリア」を再開させるという目標もでき、それに向かって頑張っているところだと言うのに。全く余計なことをしてくれる。心底忌々しい。


 だから警察官の榊原さかきばらさん夫妻がいる時に、梨本が「テリア」に来たことはラッキーだった。巧くすればこの件だけでも落とし前を着けられる。


 いざ梨本が逮捕されると、ガラスの件まで解決した。その可能性を祐樹は感じていたのだが、違った時の守梨の落胆を思うと、下手なことが言えなかったのである。


 守梨のためなら、怪我をするぐらい何でも無い。それより少しでも早く、守梨から心配ごとを拭い去りたかった。


 榊原さんからはこのやり方に苦言を呈され、祐樹も謝りはしたが、これからこんなことがあったとして、それでも祐樹は守梨を第一にして動くだろう。


 特に「テリア」が再開する運びになった時、矢面やおもてに立たなければならないのは経営者である守梨だろうが、荒事ならやはり自分が前に立って、守梨を守らなければと思うのだ。




 おやっさんに教えてもらいながら、何とか料理もここまで漕ぎ着けた。確かに榊原さん夫妻に出したティアンもシードル煮込みも、リクエストがあったとは言え、逃げから来たものである。それでも及第点をもらえたと思って良いのでは無いだろうか。


 守梨は祐樹を完璧主義だと言ったが、それは違う。ダメ出しをされる可能性を潰しているだけである。


 祐樹は自分が打たれ強いと思っていないし、できることなら守梨の前で恥はかきたく無い。何とも情けない理由もあるのだ。


 だがこれから一緒に「テリア」をやって行くのだから、そんなことは言っていられないだろう。守梨に良いところを見せたいなんて、まるで中学2年生の様な幼稚な心は捨て去るべきなのだ。


 もっと自分に自信が欲しい。そのためにも研鑽けんさんを積むべきなのである。胸を張って、守梨の横に立てる様に。


 おやっさんとお袋さんに、「テリア」の料理人になっても良い許しをもらえたのは、その第一歩である。おやっさんに認めてもらえることは、祐樹の大きな励みになった。




 平日のある日、守梨の帰りが遅くなった時、おやっさんとお袋さんに聞いてみた。


「俺、まだまだおやっさんの腕には及ばんと思うんです。それやのになんで許してくれたんですか?」


 するとおやっさんは少し照れ臭そうに目を伏せ、お袋さんはにっこりと微笑む。


『だって祐ちゃん、めっちゃ努力してくれてるやん。私なぁ、お父さんを見てても思ってたんやけど、努力に勝る才能は無いんよ』


「けど、やっぱり才能とかって要るんちゃうやろかって」


『少しはな。そりゃあ守梨ぐらい料理からっきしやったら難しいやろうけど、同じ土台やったら、努力した方が才能は膨らむ。例え片方がええ土台であっても、あぐらをかこうもんなら、努力してるもんに追い抜かれる』


 それは確かにその通りだろう。だが。


「ほな、才能があって、努力もしてる人は?」


 祐樹の問いに、お袋さんはにぃと笑う。


『そんな人は、そもそも最初から同じ土俵におらん』


 祐樹はその答えに呆気に取られる。なら、そもそも勝負にならないでは無いか。祐樹が愕然がくぜんとすると、表情で分かったのか、お袋さんが「まぁまぁ」と取りなす様に言う。


 すると、それまで黙っていたおやっさんが、ぽつりと言った。


『結局は、自分に勝たなあかんのや』


 自分に、勝つ。それは勝負の世界で良く聞くせりふではある。だがおやっさんが言うからこそ、じわりと祐樹の心に染み入る。


 誰かと競うのでは無い。自分が納得できなければ、それが負けなのだ。いや、そもそもこれは勝負なのだろうか。


『私も、凡人やからな』


 またおやっさんが呟く様に言うせりふに、祐樹は大きく首を振った。祐樹から見たおやっさんは才能溢れる料理人なのだから。


『そうやで、祐ちゃん。お父さんと祐ちゃんの違いは、経験。それだけや。せやから何も考えずに、ひたすた手ぇ動かすんや。それが祐ちゃんの力になるんやから』


 そんなわけが無い。お袋さん風に言うなら、祐樹とおやっさんは立っている土俵が違う。少なくとも祐樹はそう思っている。


 だが、おやっさんとお袋さんの言葉を信じてみたい気持ちも大きかった。おやっさんが認めてくれた自分の腕を、自分も少しは信じるべきなのでは無いだろうか。


「おやっさん、お袋さん、ありがとう」


 祐樹が言うと、ふたりはふわりと微笑んだ。


「ただいま。祐ちゃん、遅くなってごめん」


 守梨が帰って来た。さぁ、続きをしよう。祐樹は守梨に「おかえり」と言うと牛刀包丁を手にし、おやっさんは料理人の顔になった。

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