第12話
「カール、それを置いたら部屋の外に出ていてくれ」
ルドルフの指示に、彼の侍従を務めるカールはトレーをもったまま戸惑いの目をルドルフとフランシーヌに向けた。
シュミット伯爵家次男のカールは、どちらも成人しているとはいえ未婚の男女を二人きりにすることに抵抗があった。
しかも、カールの記憶にある限り、この二人は初対面だったため、抵抗があるのは当然ともいえた。
「私からもお願いします」
「レーベン公爵令嬢……いや、しかし……」
「先ほど父が届けさせたコレもありますし」
フランシーヌが見せた手首の、その細い手首に似合う華奢なブレスレットに煌めく薄青色の宝石の輝きにルドルフとカールは同時に青くなった。
鑑定魔法を使えるカールが鑑定したところ、この宝石には水魔法と雷魔法が付与されているため、雷は水を伝う性質を考えれば広範囲に攻撃ができるという代物だった。
「大丈夫ですから」
「殿下、くれぐれも……いや、ほんっとーに気を付けてくださいよ!」
「……分かってる」
主従にしては気の置けない二人の雰囲気に、フランシーヌが問うような視線を向ければ「乳兄弟なんだ」とルドルフは答えた。
「それじゃあ、始めようか」
二人きりになった部屋で、ルドルフは夜会服の上着を脱ぐと、シャツのボタンをいくつか外して楽な格好になる。
そしてカールが置いていったトレーに手を伸ばして、小さく笑う。
「もう少し近くにきたらどうだ?」
「いいのですか?」
「もちろん」
ルドルフの言葉にフランシーヌは嬉しそうに微笑む。
そしてもっと近くに顔を寄せると、フランシーヌの銀色の髪がさらりと揺れた。
「わあっ……手品みたいですね」
「同感」
フランシーヌの目の前でルドルフの両手の上に氷がいくつも現れ、フランシーヌの言葉に頷きながらルドルフはトレーの上にあった二つのグラスを氷で満たす。
「お~っ」
「自分でやっているんだけど、毎回“お~っ”て感動している」
「便利ですね、氷魔法」
この世界では氷は貴重で常温以上が基本、氷魔法が使えない者は北の高い山にある氷室から持ってきた氷を買うか、氷の魔石を買うかとなるが、どちらも高価。
結果『冷たいもの』は貴族の一部しか口にできず、レーベン公爵家でも氷魔法が使えるのは四男だけなので夏になると彼はあちこちから呼び出しを受ける。
希少な氷魔法を使ってグラスに氷を入れたルドルフは、部屋の角に置かれていた金属の箱に向かい、扉を開けて茶色い液体の入ったピッチャーを取り出す。
それをみたフランシーヌの喉が鳴り、ピッチャーから目を離さないフランシーヌにルドルフは楽しそうに笑う。
ルドルフが、もったいぶるなゆっくりとした動作で、ピッチャーを傾けて少しずつ茶色い液体をグラスに注ぐ。
芳醇な香りが室内に漂い始める。
「はい、『アイスコーヒー』の完成」
「ふあああああ♡」
令嬢らしからぬ奇声をあげるフランシーヌにルドルフは目をパチクリとさせ、その穏やかな目に歓喜の涙がにじむ姿に大笑いをする。
「はい」
「すてきなご招待をありがとうございます」
フランシーヌは手紙、『名も顔も知らない貴女へ』と書かれた封筒をテーブルの上に置くと、それと引き換えにするようにアイスコーヒーを受けとった。
「“菓子にはやっぱりコーヒー、暑い時期だからアイスコーヒーを一緒に飲もう”」
「“了承ならば、マルクト通りにあるカフェのコーヒー豆をもってきて欲しい”……というわけで、誕生日プレゼントにコーヒー豆を贈らせていただきました」
それが国中を騒然とさせた暗号文の答えなのだが、これはフランシーヌにとっては暗号でもなんでもなかった。
「記号か、それとも文様か」と学者たちを悩ませたその文字は、フランシーヌが前に生きていた世界で使っていた文字。
それも小さな島国で使われていた文字、漢字・平仮名・カタカナの三種類の文字だった。
「ああ、懐かしい」
溶けた氷が崩れて、グラスの中でカランッと涼やかな音が鳴る。
「まさかこの世界でアイスコーヒーが飲めるなんて……ああ、幸せ過ぎます。冷たいものが贅沢品過ぎて」
「ライナーは氷魔法が使えるだろう?」
「大きな氷塊を出したり、グラスの中の水を凍らせることはできますが、殿下のように氷の小さなブロックを出すことは魔力の緻密な操作が必要だからと……基本的に面倒くさがりなのです」
氷の魔石もあるが、冷やすことはできても十度くらいまでが限界なので凍らせることはできない。
「それでは、いいものを見せてやろう」
そういうとルドルフはテーブルの一番下の引き出しから金属の箱、携帯性のある金庫のような箱を取り出す。
見た目よりも重そうな金庫をフランシーヌの前に置いたルドルフは、留め金を外してフタをあけた。
その瞬間、冷たい風がフランシーヌの頬を撫でたが、それよりも視界の先にあるもの、金庫の中に入っていたものに息を飲む。
「まさか……これは、アイスクリームですか?」
「正解」
「嘘」
「嘘ではない。せっかくだから、買ってきてくれたコーヒー豆でアフォガードを食べようと思って作っておいたんだ」
「アフォガードッ!!神様、感謝いたします!!」
天を仰いで歓喜するフランシーヌに笑ったルドルフは、彼女の視線が自分に戻ってきたところで自分の顔をツンツンと指で指す。
「もちろん、殿下にも感謝しておりますわ。アイスクリームもスゴイですが、この冷凍庫がすごいです……魔導回路は冷蔵庫のものとほぼ一緒ということは箱のほうに仕組みが……まさか真空二層式ですか?」
「正解。ティアン工房長が製作に協力してくれた。大きさ違いの金属の箱を作ってもらい、風魔法で箱と箱の間の空気を抜いたんだ」
王族は四元素、水・火・風・土の魔法を使うことができる。
「チートですわ……氷魔法まで」
「チートではないぞ。素養に関しては幸運だったが、氷魔法はライナーと魔法理論を学んで、頑張って習得したんだぞ」
「……理論が分かれば氷魔法が使えるようになりますか?」
「火魔法がうまく制御できれば大丈夫だ」
意外な魔法を言われてフランシーヌは首を傾げる。
「なぜ『火』なんですか?氷とは正反対の属性なのに」
「君は火魔法が使えるのか?」
「私が使えるのは水魔法だけです。純水が出せるので魔法薬作りに便利なのですが」
「それならよかった。ただ、氷魔法に関しては教えない。理論が分かれば俺じゃなくてもできるようになるし、君の身近な者が使えるようになったら俺は用なしになりそうだからな」
伝統と重責がセットでやってくるルドルフとの付き合いよりも、身近にいる魔導士のほうが確かに使い勝手がいい。
「用なし……あり得るなあ」とフランシーヌは苦笑する。
「理屈を知ったからといって、できるとは限りませんよ?」
「ようやく理想的な婚約者を見つけたんだ、リスクのある賭けはしない」
教える気は一切ないルドルフにフランシーヌは「あれ?」と首を傾げ、しばし考えて、
「あの、やっぱり私が婚約者なのでしょうか」
「そうだな、今回の誕生日会で婚約者を決めるつもりだったし」
そのためにシンデレラの王子並みに派手なことをやったんだぞ、と胸を張るルドルフにフランシーヌは「うーん」と悩む。
そして悩むフランシーヌにルドルフは再び、「やっぱり俺は結婚相手として優良物件ではないらしいな」と苦笑した。
「殿下、お友だちではだめですか?」
「王子相手に“お友だち”か?普通ならここは『お友達なんかじゃイヤ、妻にして!』と言うところじゃないか?」
感情が一切こもらない声で、セリフ染みた言葉を言うルドルフに「三ギルド劇の見過ぎです」とフランシーヌは苦笑する。
『三ギルド劇』とは前世でいう『三文オペラ』のことある。
たまご十個で三ギルドなので、三文よりも三ギルドのほうが一万倍の価値はあるが、劇の低レベル具合は同じくらい。
言外に「くだらない芝居は結構」と言われたのだが、ルドルフはにこりと笑って舌を出すだけだった。
フランシーヌが、正確にはレーベン公爵家の公女がこのような反応することは予想してもいたのだろう。
「氷の王太子は意外と融点が低いのですね。笑いの沸点も低めのようですし」
「君といるからだな」
「……殿下」
「真面目な話、そんなに私と結婚したくないのか?」
ルドルフの声が真剣になったので、フランシーヌも真剣に答える義務を感じた。
「殿下が私に感じているのは同郷の者に対する共感、前の世界に対する懐古ではありませんか?」
【火・土更新】名も顔も知らない貴女へ ―笑わない王太子とマイペースな末っ子公女― 酔夫人 @suifujin
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