第10話 冴えない贈り物
今宵は王太子生誕を祝う夜会で、王太子ルドルフを祝う人々が集まった会場は普段以上に華やかだった。
まず妙齢のご令嬢の出席率が高い。
若い女性が多いだけでも夜会はとても華やかものになるのだが、一部の令嬢は周囲が目を瞬かせるくらい派手な装いだった。
(『だろう特需』の結果なのだろうけれど……あんな大きな宝石をつけた首飾りをつけて、強靭な肩甲挙筋、いえ、僧帽筋かしら)
彩り豊かなドレスたち、会場の照明を受けて輝く宝飾品。
視神経の負担が大き過ぎて頭痛がしてきたフランシーヌだったが、今日は帰ろうという気分にならなかった。
そんな娘の前向きな姿勢を意外に思ったのは父公爵だった。
今まで娘から王太子への恋心など感じたことは一切なかったため、今回の夜会も公爵家の娘としての義務感だけの参加だと思っていた。
「殿下への贈り物を用意すると言って早朝馬車で出かけたそうだな。疲れてはいないか?」
「目が疲れますわ……なぜ皆様こんなに気合を入れているのでしょう」
公爵の探りに対するフランシーヌの回答は実にフランシーヌらしかった。
贈り物の意味をすっかり忘れている娘に、杞憂な心配をした自分を笑うように公爵はご令嬢たちが聞かざる意味を教える。
「今夜の贈り物次第では王太子殿下の婚約者が決まるからだろう」
父公爵の言葉にフランシーヌの時が止まった。
(……うっかりしていましたわ)
王太子からの手紙に浮かれ過ぎて、『王太子の好きなもの』を用意した者が婚約者となることをすっかり忘れていた。
(王太子の婚約者になるのは面倒なので『アレ』だけ頂ければよいのだけれど……辞退できるかしら)
王太子も今年で二十五歳。
この五年は一時休止状態だったと聞いているが、五歳のときから貴族たちに『婚約』を迫られ、未成年のうちから自分にとって最も私的な場所である寝所に忍んでこられ、成人すれば魔法薬を盛られて『既成事実』を求められるという貴族たちのやってきた非常識についてはフランシーヌも思うところがある。
しかし、今回彼らは王太子が作ったルールの中で精一杯努力していた。
もし己がここで婚約を辞退することは、努力してきた貴族たちの誠意を踏みにじることであり、そんなことは許されないとフランシーヌは思った。
(仕方ありません、『アレ』はあきらめましょう)
後ろ髪は思いきりひかれたが、王太子妃にはなりたくないとフランシーヌは父公爵に体調不良を訴えて退城しようとしたとき、
「これより王太子殿下がいらっしゃいます。殿下からの『手紙』を受け取ったご令嬢方は『贈り物』をお持ちになってこちらにいらしてください」
その言葉が終わると同時に会場中の視線がフランシーヌに集まる。
貴族社会において爵位は最も重要であり、侍従長は全令嬢に対して呼びかけたが、その目は最も上の者、筆頭公爵家の令嬢であるフランシーヌに向いていたのだ。
つまり、フランシーヌが行かなくては他の令嬢が行けるわけもない。
上の者に対して口には出せないのだろうが、他の令嬢の目から飛んでくる「早く行って」という無言の圧力にフランシーヌは襲われた。
フランシーヌはいろいろ諦めた。
異様な緊張感に満ちた会場に、フランシーヌの衣擦れの音が流れる。
呼吸音も憚られる静けさにフランシーヌは体が縮こまりかけたが、物心ついたときから受けた令嬢教育がフランシーヌの体を動かして姿勢を正させた。
「まあ」
「フランシーヌ様よ」
ひそひそ聞こえた声をフランシーヌは俯きたくなった。
何しろフランシーヌは今年二十歳、世にいう『行き遅れ』で、この場に集まった未婚のご令嬢たちの中で最も年齢が上。
少女と言っても過言ではない令嬢たちの視線が「何、あのオバサン」的なものに感じた。
実はこれは完全なる誤解であり、フランシーヌの被害妄想と言ってもよい。
何しろフランシーヌは学院時代から才媛として有名で、さらに国中の憧れであるレーベン姉兄が目に入れても痛くないほど可愛がっている末っ子である。
さらに本人の容姿ときたら姉たちとは違う『月下の佳人』と呼ばれるほど儚げな美しさがあった。
そう、彼女たちはフランシーヌに羨望の眼差しを送っていたのだ。
不幸なことに今まで社交をさぼって最低限にしていたコミュ障には通じなかったが。
「どうぞ」
指定の場所に着くと王宮の女官がフランシーヌに包みを渡す。
それはフランシーヌが用意した王太子への『贈り物』であり、この会場に入る前に危険物の確認を兼ねて受付で預かってもらっていたものだった。
再び会場が騒めいたが、フランシーヌとしては当然だと内心苦笑した。
何食わぬ顔して立ってはいるが、フランシーヌの手にある箱は『庶民には少し高級な店』と言われる程度のカフェのシンプルな紋が入った箱ただ一つ。
隣に並ぶ令嬢たちの手が持つ箱は、貴族御用達の高級宝飾店の紋、貴族令息の流行発信地と言われる紳士服店な紋、どれも豪奢な紋がついた箱たちが居並ぶ中でフランシーヌの持つ箱は異様なほどに浮いていた。
(よく考えれば“コレ”が好きだと書いてはなかったわ……つまり、不正解かもしれないわよね)
フランシーヌがそう思ったとき、楽団の演奏が変わって王太子が入ってくる。
濡れ羽色の髪と、王家独特の金色の瞳に会場の照明が煌めき、その神々しいまでの美しさに令嬢たちからため息が漏れた。
もちろんフランシーヌはそんなことなかったが。
カツン、カツン
革靴が大理石の床を叩く音にため息を深呼吸に切り替えて、フランシーヌは『社交中です』と書いた看板をぶら下げたようなきれいな笑顔を作る。
「王太子殿下……お誕生日おめでとうございます」
(こういうときって“ご生誕”?それとも“おめでとうございます”だけ?)
社交性の低さゆえになんて言っていいか分からず、幼子のような祝辞になってしまったことを悔やみながら、やや強めの勢いでずいっと箱を差し出す。
そして反射的に出てきたに違いない王太子の手に箱をさっとのせた。
(終わった)
自分の義務は果たしたと流れるような所作で一歩下がろうとしたフランシーヌの腕を王太子が掴む。
手つきは紳士的だけれど、決して逃がさないといわんばかりの手の強さにフランシーヌがギョッと顔をあげると、
(あれにこう応えるということは、そういうことで……それは驚きますわよね)
王太子の驚いた表情にフランシーヌは苦笑する。
『王太子の好きなもの』の答えではないかもしれないが、あの手紙の答えにはなっている。
「会場の熱気にあてられたようです。ありがとうございます、殿下」
「……いや」
男性が女性の許可なく女性の体に触れることはマナー違反である。
フランシーヌとしては「助けてくれた」態で突然腕を取られた理由を咎めないつもりだったが、王太子の対応は意外でしかなかった。
「顔色が悪いですね」
先ほどより強い力でがっちり手が握られるから、驚いてフランシーヌは王太子を見る。
怜悧な美丈夫とお儚げな美女が見つめ合う、実際はどうであれ、その絵面は幻想的だった。
フランシーヌと並んでいた令嬢たちも、王太子の側近と護衛たちも、時が流れるのを忘れて見惚れていた。
だから王太子が動くのを誰も止められなかった。
「貴女でしたか」
氷と評される無表情は何処に行ったと言いたくなるくらいの笑顔。
ふわりと柔らかい顔で微笑んだ王太子に比較的近くにいた令嬢は息を呑み、三メートル以上離れていた御令嬢たちは黄色い悲鳴を上げた。
「“名も顔も知らない貴女”はフランシーヌ嬢だったのですね」
そう言った王太子は握っていたフランシーヌの手を引いて、手の甲に口付けを落とす。
愛と恋しかない歌劇でしか見ないようなロマンチックな行動をイケメンがやると破壊力は絶大だった。
半径三メートル以内の令嬢たちはバタバタと気絶もしくは腰砕けになり、王太子の背後にいて直撃を免れた騎士たちが「担架をもってこい」「一度ご令嬢たちを殿下から遠ざけろ」と周囲を走り回る。
「殿下」
阿鼻叫喚の夜会会場にフランシーヌは唖然としていた。
ちなみに最も近い距離で『微笑みの爆裂弾』を受けたのだが、顔面偏差値の高い姉兄たちのデロ甘笑顔を見慣れているフランシーヌにとっては「眼福」程度だった。
「フランシーヌ嬢、少しお時間をよろしいですか?」
「……っ」
フランシーヌは息を呑んだが、それは男の背後からにょきっと先のとがった尻尾が見えたような気がしたからだった。
フランシーヌとしてはとにかく逃げたくて、真っ先に浮かんだ父公爵を召喚することに決めた。
「申し訳ありませんが、今日は父と一緒に来ておりまして」
「レーベン公爵だったら先ほど陛下の近衛兵たちが引き摺……いえ、陛下のいる別室に案内していました。長い話になりそうですね」
男の後ろで、先のとがった尻尾が機嫌よさそうに右、左、右へと揺れた。
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