第7話 罪は罪
「ライナー兄様、内容物の分析結果は出た?」
「複数の魔法薬が混ぜられているようだが、内容物とその濃度から一般的に売られている媚薬効果のある魔法薬……憶測だが、娼館向けの魔法薬をいくつか混ぜたのだろう」
一般的に売られている媚薬は多少気分を高揚させることはできるが、あくまでも法律範囲内の魔法薬で、男女の好意を潤滑化する程度の補助薬である。
「混ぜることで媚薬効果を高めようとしたのでしょうか」
「くそったれな考えだがな」
普段は温厚な兄の乱暴な言葉にいささか驚きつつも、フランシーヌは深く同意した。
魔法薬は使い方によっては毒になる薬草も使っているため、『安全な使い方』にはとにかく力を入れている。
具体的には素材となる薬草の成分を季節ごと、地域ごとなどあらゆる採取状況を仮定して徹底的に分析、その結果を経て『安全』と見なされた薬草を綿密な魔力制御によって安全な薬にして魔法薬は製造される。
用法・用量を守らない服用は命に関わる。
症状によっては複数の魔法薬を飲むこともあるが、その量や飲み方については魔法薬師が脅しも含めながらしっかりと厳しく指導している。
「そんな蛮行を犯した愚かな殺人犯はどなたですの?」
「騎士一名と令嬢五名、全員その場で現行犯逮捕されている。正確にはシーラ姉様の作った護身具で気絶させられていた」
彼の方の魔力量ならば発生させた風で暴風を作れたのだろうとフランシーヌは納得した。
「主犯はキャトル侯爵令嬢。既成事実を盾に妃になるにしても王太子妃になれるのは一人。キャトル公爵令嬢が正妃に、他の三人は妾妃にしてやるという約束したらしい」
「殿下の意見はまるっと無視ですか……あと一人のご令嬢は?」
フランシーヌの疑問に答えたのは次兄のヴェルナーだった。
「その一人、ヴァルデ子爵令嬢は殿下を罠にはめた男の婚約者だ。聞き込みで分かったことだが、令嬢は最近になってキャトル侯爵令嬢の取り巻きにされたらしい……この計画のためにだろうな、半ば無理矢理のことだったらしいから」
この国には貴族制度があるので、身分の上下関係は分かりやすい。
よほどの功績や後ろ盾がある場合は別だが、普通は子爵家の令嬢が公爵家の令嬢に逆らうことは社会的な死に等しい。
それでも……
「『仕方がなかった』ではすみませんわ。魔法薬が混ぜたら危険なことは、それも生命の危険があることは幼子でも知っています。殺人に加担しておいて……逆らえなかった、仕方がなかったは許されることではありません」
「令嬢も、婚約者の男も……情状酌量には限界があることは分かっている様だった」
後任を任せた信頼していた男の裏切りに落としたヴェルナーの肩をクラウスが労わるように叩き、フランシーヌもヴェルナーの大きな体をぎゅっと抱きしめた。
「ライナー兄様の分析結果と私の見解では……自力で魔法薬を体外に放出させる方法を薦めます」
「それは……解毒効果のある魔法薬を作れないのか?」
眉をしかめたクラウスにフランシーヌは首を横に振って応えた。
「複数の魔法薬の効果が体内で拮抗しております。このバランスを崩すと……場合によっては心臓が持たなくなることも」
「……本人の気力と体力が頼りってことか」
かけていた眼鏡をはずして忌々し気に眉間を揉んだライナーは天を仰ぎ、「男で良かったと思うべきか」と呟くと机を漁り始めた。
「何しているんですの?」
「疲労軽減効果が付与された腕輪を探している。『三日は余裕で徹夜できる』って、学会の発表前に姉様がくれたんだ。いまのあいつに魔法薬を飲ませるわけにいかないんだろう」
貴族男性に滋養強壮効果のある魔法薬に人気がある理由の一つを知ったフランシーヌは赤面を必死に抑えて魔法薬のプロとして発言をする。
「三十分に一回の割合で採血してください、解毒状況を確認します。場合によっては解毒効果のある魔法薬を飲んでもらうことになります」
「……あいつ、死ぬほど注射が嫌いなんだよな」
人の命の重みを負担させられた妹の気が軽くなるように軽口を叩いたライナーは、兄たちを始めとして周囲に指示を出し始める。
大量の水と布が用意され、洗浄と浄化の効果がある魔道具も次々と届く。
「男性の方が注射嫌いが多いのは何でかしら」
ぞくぞくと届く注射器に顔をしかめる三人の兄たちを見ながらフランシーヌは苦笑し、外で待機していた長兄に今後の治療方針と大量の水を用意するように指示を出した。
長兄も結構な注射嫌いのため、同胞である男に同情する顔をするから、何だって男性は注射嫌いが多いのかと再度フランシーヌは思わず苦笑してしまう。
「兄様、調合スペースを使ってもいいですか?」
「構わないけれど……魔法薬の精製は何度か血を分析してから、二時間は先じゃないか?」
「解毒用の魔法薬ではなく、私たちも徹夜になりそうなので疲労回復薬を作っておこうかと」
「分かった。足りないものがあれば外の者に言うと良い、薬草の知識のある者を待機させてあるから温室から持って来られるだろう」
***
兄の了承を得て必要な道具を用意しながら、フランシーヌは自分の心のどこかが浮足だっていることに気づいた。
今回の事件について人間として無謀な殺人犯に対する怒りはある、これは確かだ。
ただ魔法薬師としての自分は、何本もの怪しい魔法薬を一気に飲んでも耐えられている被験者の肉体と精神、そして魔力に興味を持った。
フランシーヌの推測だが、本来ならば体内で暴走するはずの魔法薬がどうにか拮抗しているのは、飲んだ本人が気力と魔力で抑えていると考えていた。
滅多にない症例に魔法薬師としての好奇心が疼いてしまうのだ。
「媚薬の類の魔法薬は精神に働きかける……それってホルモンの分泌と抑制を操ると考えられるわよね。ホルモンバランスを何とか保つために魔力が有効、まったく面白いわね……っと、まずは疲労回復薬を作らなきゃ。ビタミン系多めで作ろうかな」
技術者や職人には考え事を整理するために独り言をつぶやく者は多く、フランシーヌもその一人だった。
ブツブツと思い付くまま無自覚に呟くその姿は、公爵令嬢というよりも研究者だった。
そんな妹を兄たちは誇らしく思ったが、不思議に思うこともあった。
「相変わらずフランが何を言っているのか分からん……ほるもん、って何だ?」
「異国語のようで……専門用語かな。魔法薬は僕の専門外なので分かりません。フランは僕の知っている魔法薬師とは違った言葉を話すんですよ」
不思議なところが無いことはないが、フランは彼らにとって可愛い妹で、毎度の疑問はいつも「うちの妹はとっても賢い」で帰結するのだった。
「兄上、あいつは極度の女嫌い。何かの間違いで女に治療されたなんて聞けば……このことについては箝口令を厳しく敷きましょう」
「箝口令は敷くつもりだ。そもそも魔法薬師として正式に認定されていないフランが治療に携わったことが知られるのはよくない」
妹が調薬に熱中し始める前にクラウスはフランシーヌの肩を叩いて、公爵家の次期当主に相応しい厳しい顔を向けた。
「フラン、今回のことは誰にも言ってはいけないよ」
兄の厳しさの意図を察したフランシーヌは姿勢を正し、貴族令嬢の顔になる。
「分かっております。此度のことでキャトル侯爵家は降格か爵位剥奪。他の令嬢の家もそれなりの罰を受け、社交界はその理由を面白おかしく推測するでしょうね」
「俺の自慢の妹は実に賢い」
妹の答えに満足したクラウスは兄の顔に戻り、妹の髪をぐしゃぐしゃに撫でる。
「数ヶ月後には私は他国に行きます。戻るには早くても二年後……二年後には彼の方もお妃様を迎え、今回のことはすっかり笑い話になっているはずですわ」
「……そうだと良いんだがな」
ベビーベッドで眠る寝相も知っている王太子の男の性格をクラウスは完全に把握しており、妹の比較的楽観的な予言通りの未来が訪れるわけはないなと嘆息した。
***
その日から約二年後、クラウスはあのときの自分の予想が当たったことにため息を吐いた。
あの一件により元々の女性嫌いを悪化させ(悪化するほどの伸びしろが残っていたことには驚いたが)、さらに人間不信を追加させたルドルフ。
自分の醜聞になりかねないこの件を、自身が黙って秘匿するほど可愛らしい性格をしていなかった。
ルドルフはこの一件を公にし、「私は心の傷を負ってしまった」と太々しい態度で言い放ったのちに、周囲が婚約のことを臭わせると「まだ心の傷が治っていないんだ」と応え続けた。
「あいつは一生独身でいるつもりだろうか」
父である国王は息子の女嫌いについて親友の公爵に相談し、そして相談相手を間違えたことに気づく。
「本人の好きにさせろよ」
年を重ねても、孫が生まれてお爺ちゃんになっても、公爵は変わらない。
ただ、最近孫娘に「おじいちゃん、大好き」と言われる幸せを味わったため、ほんの少しだけ親友に同情はしたのだった。
「ああいう奴に限って、好きな女が出来れば逃げられないように直ぐ捕獲、あっという間に結婚するって」
「……そうかな」
「果報は寝て待てって言うだろ?お前にできるのは長生きすることだ、息子とまだ見ぬ孫のために頑張れ。ほら、うちの末娘がくれた疲労回復薬を分けてやるから」
公爵が目に入れても痛くない子どもたちのうち、唯一未婚の末っ子は他国に留学中。そんな親友の愛娘を思い浮かべながら「あの子は魔法薬の道に進んだのだったな」と思いながらおすそ分けの一本を飲んでみた。
「……これ、焦がしちゃったのかな?」
「いや、娘はこういう味が好きらしい」
―――
治療法については素人考えであり、医療の専門知識はないので一切参考にしないでください。
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