第6話 王太子の悩み
ルドルフ・フォン・ブランシア。
彼はブランシア国王の唯一の子であり、王太子である。
彼の母である王妃は二人の子を流産したあとに命をかけてルドルフを産み、そのあと父王は妻にこれ以上の出産を望まなかった。
これ以上は子どもをなさないこと、この国王の苦渋の決断を国内外の貴族は静かに受け入れたが、大半の貴族がその仮面の内で歓喜していた。
王妃に子ができないとき、多くの国王たちが愛妾をもったからだ。
彼らは家門の娘を国王に愛妾としてすすめるようになった。
恋愛結婚の末にようやく授かった王子を抱いて涙する妻に国王は何も言えず、国王の義務として受け入れなければいけないかと嘆息する日々が続いた。
「王子一人では心もとない」
「恋だと愛だのと下らないことをおっしゃる前に、王族としての義務を果たしてください」
憔悴した国王を前に貴族たちが発言したとき、国王夫妻の親友であるレーベン公爵がキレた。
まあ、キレたといっても激高したわけではなく、ただ静かに「子を産むという大役を果たした女性を痛みつける血も涙もない人間とは関わりたくないな」と呟き、彼はそれを実行に移した。
レーベン公爵は『血も涙もない貴族リスト』を作成し、公爵家が所有する商会にそのリストにある家とそれに連なる家との取引停止を指示。
職場においてもその家とそれに連なる家の者からの仕事の相談は受けつけず、「最近静かでいいね」とのんびりと
有言実行の彼は容赦がなかった。
ある家は小麦の購入さえも難しくなり涙ながらに謝罪したが、「私は忙しくて関わりのない者まで覚える余裕はないよ」とにっこりと謝罪を受け入れてもらえず、泣く泣く隣国まで自分たちの足で買い出しに行くことになった。
王宮の仕事は立ち行かなくなり、あちこちで納期の遅れが生じ、「助けてください」と多くの者が公爵に泣きついたが「血も涙もない者が泣くと何が出てくるのかな」とにっこり笑って追い返された。
あまりの混乱ぶりに御前会議は荒れ、勇気と無謀を勘違いした貴族たちが公爵を責め立てた。
「お、王子一人だけでは王家の存続が不安だといっただけではないか!」
「そのために『王位継承権』というのがあるのでしょう?」
正論ぶって発言した貴族は秒で論破されてスゴスゴと引き下がり、それから彼は爵位を息子に譲り二度と御前会議で見ることがなかった。
その家も一年も経たずに没落、彼の息子は爵位と領地を王家に返上して庶民に落ちた。
王位継承権の話がでたことで、勝機を得たと思った貴族もいたが、
「公爵やご子息が王位継承権をお持ちだからそんなことを言うのでは?殿下に万が一があったときを狙っているのでは?」
「王族について学び直してください。我が家は公爵家ですが初代が国王の甥なだけで、私でも王位継承権は三十番台です。その理論でいったら私が王になるには王位継承権第十八位の貴殿にも万が一がないといけないのですが」
その発言を最後に彼も隠居。
王位継承権第六十四位の彼の息子が涙の謝罪をすることになった頃、レーベン公爵はようやくオシオキを終わりにする気になったらしく、
「われらみんなで王子の健やかな成長を見守りましょう」
「「「……はい」」」
国王以上の憔悴、げっそりと頬をこけさせた貴族たちを見回したレーベン公爵はにっこりと笑って議題を終結させ、親友によって国王と王妃の幸せな結婚生活は守られたが、その息子の受難は終わらなかった。
***
一般的に『王子』はもてる。
『王子』とは、たまに例外はあるが、大体は容姿に優れている。
先祖代々が容姿のよい者を選んで娶れる立場であるので、自然とその子孫の顔面偏差値は高くなる。
頬を染めたご令嬢たちに囲まれて辟易したルドルフは「顔がよければいいのか」と母親とその親友であるレーベン公爵夫人に愚痴ったが「「当り前です」」と二人に全肯定されてからは黙って受け入れることにしている。
『王子』とは金持ちだと思われがちである。
あくまでも“がち”で、ルドルフも小遣い制で得た資金を細々とクラウスらから学んで投資して増やしている状態だ。
しかしときどき「国の金は俺の金」と発言する
このやんちゃな発言について、レーベン公爵が国庫の鍵を握るこのブランシア王国では自殺行為であることを国王一家は重々承知している。
「最後は社会的地位だろ?それなら公爵家の兄弟のほうがいいじゃん。公爵には誰も敵わないんだから」
「うちの子たちはみんな将来性はそこそこ高いですが、何をやろうとするか分からないビックリ箱ですからね。殿下のように『絶対に』王になるという保証がありませんし」
公爵家に『絶対』がないことはルドルフも理解していた。
優秀に育ち領主の見本のような嫡子が突然「あとを継ぐのをやめる」と言っても二つ返事で受け入れそうな男、これがレーベン公爵である。
「結局俺が猛獣のエサになるのか」
「エサに違いありませんが、餌食になる必要はありませんよ。陛下にもこの先三十年は元気に在位してもらうように言い聞かせてありますので、うちの子たちを上手に使ってのんびり出会いを探すといいですよ」
自分の息子たちを盾としようが、エサとして放り込もうが構わないと言う公爵の言葉がなければルドルフの心は折れていただろう。
ルドルフにとって公爵家の子どもたちは自分に王子として何も求めず、弟や友人のように接してくれるオアシスのような存在だった。
ことあるごとに令嬢に追いかけ回されるルドルフを見ては「頑張れー」と笑って応援するような奴らではあったが。
「公爵、フランシーヌ嬢と僕を婚約させてよ」
オアシスを手に入れたい少年の幼心に浮かんだ名案……なはずだった。
だってお互いの両親は気のおけない親友同士だし、ルドルフは公爵家の兄弟との仲がとてもよい。
そんなレーベン公爵家の末っ子と自分の婚約は、ルドルフに明るい未来を想像させるのに十分だった。
しかしそう言った直後の公爵の表情と殺意は、あれから十年以上経ったいまも消えないルドルフのトラウマとなっていた。
***
(鬱陶しすぎる……なんだって皆がレーベン公爵家の者たちにならないんだ?全員がああなったらブランシア王国は無敵だぞ?明日には世界が獲れる……いや、そうじゃない)
世界の覇権より静穏が欲しいと、二十歳と少しの若き青年ルドルフは疲れきっていた。
王家主催の夜会だったので怜悧な表情を保ち続けたが、内心はそんなバカなことを考えるほど疲れ切っていた。
彼の人生のほとんどは「婚約を」と付きまとう令嬢やその家族たちとの闘いだった。
ブランシア王国の貴族令嬢は十八歳くらいまでに婚約するのが一般的だったので、
ルドルフは自分が二十歳になるくらいまで頑張って彼らの猛襲から逃げれば「似合いの年齢の令嬢」は他の男と婚約すると読んでいた。
しかし、ルドルフの読みは甘かったともいえる。
「二十歳まで逃げるんだ」と気合いを入れて生きてきたルドルフと同じように、彼女たちも両親や親族から「王太子妃になりなさい」と気合いを注入されて生きてきたのだ。
彼女たちも最初は嫌々だった。
それはそうだ。幼い少女たちにとって同年代の男の子なんてバカでしかなく、レーベン公爵家のクラウス、ラルフ、ヴェルナー辺りが理想の男性像だった。
それでも彼女たちは頑張った、頑張るしかなかったとも言えるが、その頑張り続けた自分を「ブラボー」と褒め称えたのは
ルドルフが成人して見目麗しい青年になったとき、両親と親族からの期待と令嬢本人の夢が一致した。
彼女たちが本気に瞬間から、ルドルフは身の危険を感じるようになった。
いままではルドルフに気に入られようと謙虚、ともすれば少し気乗りしない様子だったのに、どんな手を使ってでもルドルフを手に入れようと企む。
手を重ねる、体を寄せるなど、実に積極的に身体的接触をするようになった。
しかし、この十年の間に令嬢たちの気持ちは変わっても、当のルドルフ本人の
さらに逃げる獲物を追うのが狩人の本能であることから、彼女たちの求愛行動は過激化した。
未成年だったときは王家が提供した
彼女たちはルドルフの部屋付きの侍女を買収し、最初は寝室で待ち伏せる程度だったが、最近では全裸でベッドに忍び込んだりして過激化、みごとにルドルフをドン引きさせていた。
こうして四年、ルドルフは念願の二十歳になったが見事な『女嫌い』になっていた。
一部の女性を除く女性という女性には嫌悪感を隠さず接するのに、なぜか彼女たちは頬を染めて、思慕を込めた瞳で近づいてくる。
ルドルフにとって女性は言葉の通じない化け物だった。
(ライナーが昨年秋に結婚したのが悪い……いや、俺より四歳上なのだから先に結婚しても構わないんだ。ただ何か俺に策を授けてから結婚して欲しかった。疲労回復薬を大量にくれても気力がもたない)
公爵家の次男、三男、四男、そしてルドルフは、王家主催の夜会と茶会において『結婚したい男』として絶大な人気を誇っていた(公爵家の長男は当時婚約済み)。
(普通なら公爵家の兄さんたちやライナーにも令嬢が押し寄せるべきなのに……戦力が分散しなかったのは公爵の所為だ)
結婚したい男として絶大な人気のある四人、婚約の打診はルドルフ一人に集中したのは他三人の父親がレーベン公爵だったから。
資産は豊富で権力も最上級な公爵が「政略結婚なんてうちにメリットない」と明言していたので、貴族たちにとって政略結婚を打診できるのはルドルフただ一人、それだけのことだった。
***
「殿下、新しい飲み物をお持ちしました」
のちにルドルフはこのときの自分の行動を猛省することになる。
疲労困憊だったとか、付き合いの長い貴族令息だったとか、そんなのは言い訳でしかないかった。
後悔は先に立たない、つまりまずは後悔するようなことが起きるのだ。
「ああ、ありがとう」
ルドルフは彼が差し出したワインを疑わずに受け取った。
彼は護衛騎士と側近を兼ねていたヴェルナーが騎士団を辞めるときに指名した男で、ヴェルナーはもちろんルドルフも信頼を寄せている男だった。
そんな男から渡されたワインを疑う理由はなかったため、会場の熱気に喉が渇いていたこともあってルドルフは一気に飲み干し、ふうっと一息ついた瞬間に喉に粘りつくような不快感で直ぐに異常に気づいた。
慌てて男をみるとその表情は平然として、信じられないという思いと裏切られた哀しさに満たされる心臓の音はいつもの何倍も大きく聞こえ、背筋をぞくぞくと悪寒に似たものが駆け巡った。
「殿下、どうぞこちらに」
喉が粘つく感触と異常な渇望に対する嫌悪感で声が出せなかった。
ふらつく自分を気遣うように肩に添えられた男の手が気持ち悪くて堪らなかった。
「気分の優れない殿下のお世話をする方がいらっしゃいますので……」
そう言いながら護衛騎士が奥まった部屋の扉を開ける。
中から漂ってきた香水のにおいに吐き気がこみ上げ、とっさに嘔吐感を押さえるために口に当てた手につけていた腕輪にようやく気付く。
ルドルフの初恋の君であり、ブランシア王国でも最高クラスの技術を持つ魔道具職人シーラ・バルトコ男爵夫人が作った防犯用魔道具。
ルドルフが体内のありったけの魔力を腕輪に流すと、竜巻のような風が発生してまずは体を支える振りをしてここまで自分を連れてきた男を吹き飛ばす。
次に女性の悲鳴が聞こえ……少しだけ満足したルドルフは小さく笑ったのだった。
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