第5話 ブラックな業界

 最初のお茶会から十年、十五歳になったフランシーヌは今年も王家主催の茶会に参加していた。


 今年も茶会には貴族の子どもたちが多く参加しているが、王太子自身は数年前に成人してから茶会のほうには参加していない。


 それでも茶会が開催され続けている理由は二つ。

 一つはこの茶会がブランシア王国貴族たちの『婚活の場』として定着していること、もう一つは参加する令嬢の半分以上が「王太子に偶然会えること」を期待しているためである。


 この国唯一の王子であり、王太子であるルドルフにはまだ婚約者がいない。

 そして十年前に「政略結婚は必要ない」という御前会議の記録により、王太子には出会いから始まる恋愛結婚が推奨されている。


 つまり、まずは出逢わなければ意味がない。

 しかし王太子は基本的に王城にいて、出会うには王城に来ることが必須。貴族といえども未成年が王城に来る機会なんてまずはないため、このお茶会は数少ないチャンスなのである。


 令嬢たちは王太子の目に留まることを目標に着飾り続けること十年、貴族はとても逞しい。


(そういう私も十年連続皆勤賞だけどね)


 フランシーヌのように皆勤賞の令嬢は少なくないが、フランシーヌが毎回律儀にこの茶会に参加する様に公爵家の両親も兄姉たちも驚いていた。


 確かにこの茶会は「妙齢のご令嬢はこぞって参加して欲しい」という国王からのお達しはあるが、恋愛結婚推奨であるため参加は任意である。

 そもそもこの場が強制見合いの場ならば、自由を不文律に掲げる父公爵が国王の執務室に怒鳴り込むこと必至である。


 そんな自由参加の茶会に毎回参加するフランシーヌの姿に、父公爵は「フランは王太子妃になりたいのかい?」と恐る恐る聞いたことがある。


 フランシーヌの返事は「NO」で、その回答に未娘を嫁に出す心の準備が一切できていなかった父公爵がホッとしていたのは言うまでもない。

 何しろここでフランシーヌが「YES」と言おうものなら、諦めの悪い国王がヒャッホイと叫びながら小躍りして王城に連れ去るのが目に見えたからだ(公爵家から目と鼻の先、自分の職場でもあるが)。


(今年で最後の茶会だけれど……夜会にお菓子はあまり出ないって話よね)


 ブランシア王国の成人は十六歳、今年十五歳のフランシーヌは来年からは茶会ではなく夜会にほうに参加することになる。

 これも明確に決められたことではないが、暗黙の了解で決められているようなものだった。


 そう思いながらガックリと肩を落とすフランシーヌ。

 そう、フランシーヌの参加目的は王族専属パティシエの作る極上スイーツだった。


(まあ、私には関係ないけれどね)


 もともとお菓子の少ない夜会にフランシーヌは参加する気はなかったが、つい先日クロイツ帝国に派遣される研究者のひとりに選ばれたフランシーヌが参加することは不可能になった。


 スイーツは好きだが、それよりも研究バカのフランシーヌにとっては夜会に未練などなく、「食べ治め」とばかりにスイーツを片っ端から頬張りながら二年という短い派遣期間をいかに充実させようかと考えていた。


(帰ってきたら王太子殿下は二十二……二十三?結婚は未だで、婚約者くらいは決まってるわよね)


 残念でも何でもない。

 フランシーヌの夢は『魔法薬師』になることであり、決して王太子妃などではない。


 ***


 魔法薬師とは、薬効のある植物と魔法を組み合わせた『魔法薬』を作る職人である。


 魔法薬は治療の為に使われることが最も多いが、健康維持や美容を目的とした使われ方も多い。

 そんな魔法薬はブランシア国民にとって生活に欠かせない必需品である。


 国民は「ちょっと疲れた」と思えば疲労回復魔法薬を飲み、「肌が荒れちゃった」となると肌荒れ改善魔法薬を飲み、「あれ?毛が薄く……」みたいな場合も毛根向け回復魔法薬を飲みながら毛生え魔法薬も飲む。


 彼らは不調や異常においてまず魔法薬なのである。

 

 ブランシア国民なら一日一本以上、何かしらの理由で飲んでいると言われている魔法薬。

 そんな需要の高さに比べ、魔法薬を作れる魔法薬師の数はとても少ないのだった。

 

 それはなぜか?


 残念ながら理由は簡単、魔力がある者のほとんどは「魔法使いになりたい」と思うからだ。

 せっかく魔力があるのだ。魔法師団員や冒険者となって華々しく活躍したい、大っぴらに魔法をぶっ放したいと願う者が実に多い。


 魔法薬師にそんな目立つ活躍はない。

 魔法薬師は一日のほとんどを塔の中で過ごし、薬草を煮出す鍋に向かって魔力を注ぎ続けるだけの仕事は未来と魔力のある若者の目に『地味な仕事』としか映らなかった。


 需要の高い仕事なのだが成り手がいなければそれまでの話。

 魔法薬製造事業はかなり高めの給与を提示して求人募集を出し続けているのに、常に人手不足の状態だった。


 『自主・自律・自由』を大事にするフランシーヌの父であるレーベン公爵は、他の六人の子のときと同じくフランシーヌの夢を応援した。

 しかし給料はよいが万年人手不足の劣悪な就労環境を知っていたため、彼は初めて子どもの夢を反対したくなったという。


 娘が隣国に単身留学することに反対せず、庶民男性との結婚もさらりと受け入れた。

 騎士団に入ったはずの息子が「武者修行をしたい」と言って冒険者ギルドに入り、「水が合う」と言ってそのまま冒険者になったときも、反対の『は』の字もなかった。


 そんな父公爵が反対したくなるほど魔法薬製造事業業界はブラックだったが、その実態を知っても意思を曲げず突き進む末娘に反対の『は』の字をぐっと飲みこんだのだった。


 そしてフランシーヌはクロイツ帝国への派遣団に立候補したのだが、本人が優秀である上に成り手の少ない魔法薬師に自らなりたいといった貴重な存在。

 魔法薬業界がフランシーヌを逃がすはずもなかった。


「紅茶もいいけれど、やっぱりブラックコーヒーが飲みたくなりますわ」


 ***


「お帰りなさいませ、お嬢様」


 出迎えた執事長に「ただいま」と言いながら、いつもより静かな家の中を見渡す。今日は夜会も一緒に開かれる日で、フランシーヌ以外の家族は新商品の売り込みや王家の誰かに泣きつかれたなど、様々な理由付きで夜会に参加していた。


 侍女の手を借りてドレスを脱いで入浴を終えたフランシーヌは、栄養補給用の魔法薬を飲んで眠ることにした。


 社交的な性格ではなく、茶会ではいつも端のほうにいるのだが、レーベン公爵家となれば交流がゼロではすまない。

 適当にいなしたものの疲れはあったので直ぐに眠りについたのだが、屋敷のざわめきで目を覚ました。


 時計をみると深夜だったが、フランシーヌはサイドテーブルに手を伸ばしてベルを鳴らして侍女を呼んだ。


「何があったの?」

「私どもには分かりません」

「分かったわ。身支度を手伝ってちょうだい」


 侍女の手を借りて手早く身形を整えたフランシーヌが自室を出ると、階段のところで兄のラルフと鉢合わせした。


「ラルフ兄様!?」


 二年前に侯爵令嬢と恋愛結婚したラルフは、婿養子として侯爵家に入っている。

 そんな兄が夜に公爵邸にいることは珍しく、家族の誰かに何かあったのではと不安になった。


「フラン、ちょうど良かった。今すぐ研究室離れに行って欲しい。ライナーが鑑定魔法で薬の成分を分析するから、解毒薬を作って欲しいんだ……出来るか?」

「絶対に出来るとは言えませんけれど……成分が分かり、材料があって、一般的に売られている魔法薬の解毒なら、何とか」


 最後の条件のところで顔を歪めた兄にイヤな予感はした。

 しかし魔法薬師としての力を望まれたのだ、フランシーヌは踵を返して自室に戻るとクローゼットから白衣を出し、離れに向かった。


 離れは末の兄のライナーが王立学院の助教授になるまで使っていた研究所で、居住エリアもある。

 娘であるフランシーヌがここで寝泊まりすることを父公爵は許可していないが、キッチン・バスルーム・洗面所など人間ひとが快適に生活するための施設も揃っている。


「クラウス兄様?」


 離れの中に入ると、ライナーがそこにいるのは分かっていたが、長兄のクラウスもいた。

 その厳しい表情にフランシーヌの背筋が自然と伸びる。


「フラン、こっちの居住エリアは立ち入り禁止だ。何があっても、何が聴こえても絶対に入って来るな……分かったな?」


 いつも優しい兄の厳しい表情にフランシーヌが気圧されながらもなんとか頷く。

 そんな末の妹にクラウスは表情を緩め、フランシーヌの銀色の長い髪を優しく梳いた。


「本当ならお前に……貴族のこんな汚いところを見せたくなかったな」

「でも、私にしかできないことなのでしょう?」


 信頼している優しい長兄にフランシーヌは微笑み返す。


「私はそんな柔な御令嬢ではありませんから……それより彼の方の治療をいそぎましょう」


 妹の言葉にクラウスは「なぜ分かった」と問いただしたかったが、よく考えれば分かることだと窓から外を見て諦念を込めたため息を吐いた。

 窓から見えるのは王城の騎士団の中でも、王族の盾となることを誓う白い騎士服を身につけた近衛騎士隊。


「俺の可愛いフランは随分と大きくなったのだな」

「私は一生お兄様たちの可愛い妹ですわ。お礼、考えていてくださいね」

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