第4話 将来の夢

「外に出ていた使用人たちから聞いたけれど、城下の目抜き通りを貴族の馬車が占領して通行の妨げになっているんだって。特に人気の高い理容店の前はひどいらしい」

「髪だの化粧だの、女性は大変だな。父上がすぐに警ら隊を出すだろうが、一応進言しておこう。どこの店の前だって?」


 一番上の弟のラルフがあげた店の名前を紙に連ねたクラウスは「父上に」といって家令に手紙を渡し、ふたたび報告書に目を落とす。


「王家主催の茶会は一カ月後、令嬢とその親たちがドレスを奮発して新調すると踏んだが、相場の三倍でいけるとは……次回は五にするか」


 経済は需要と供給のバランスであり、クラウスは今年で二十四歳と経済界では若いほうだったが十代から公爵家の所有する商会に出入りしたので年齢に似合わず鼻がとてもよい。

 そんなクラウスに父公爵は自分の父がそうであったように爵位を早く譲りたがったが、クラウス本人が「まだ気楽な公子の立場でいたい」といったことで早期隠居を諦めていた。


「兄上、悪い顔になっていますよ」

「商会の金庫に金貨が貯まる音がするのだから仕方がないさ」


 報告書にサインをして一息吐こうと、ラルフとその下の弟ヴェルナーがお茶を楽しんでいたところに合流する。

 適温の紅茶をひと口飲んで息を吐き、懐中時計で時間を確認して首を傾げる。


「お前たちは準備しなくていいのか?」

「夜までまだ時間がありますし、兄上と僕なら平民の服を着て参加しても大人気間違いなしですから」


 今日は初めて王家主催の茶会と夜会が開催される日。

 茶会は午後の早い時間、夜会は夜からであり、二十一歳のラルフと十七歳のヴェルナーは成人しているので夜会のほうに出席することになっていた。


 王太子が未成年なので、夜会で令嬢たちに狙われるのは筆頭貴族である公爵家の息子たち。

 クラウスはすでに伯爵家の令嬢と婚約しているので、ラルフとヴェルナーで間違いなかった。


 公爵家の息子でなくても、二人の人気は間違いないとクラウスは思っている。

 ラルフは母親似の優し気な顔立ちをした美男で、王城魔道士団の幹部という高給取り。ヴェルナーは父親似の野性味ある色気の漂う美男で、こちらは王城騎士団の幹部候補という、こちらも高給取り。


 レーベン公爵家はクラウスが継ぐが、公爵家にはいくつか爵位があるのでそのどれかを弟たちが継ぐことになっている。

 つまり二人は、地位も名誉も金も一切文句なしの、


「「ご令嬢から見れば俺たちは美味しいお肉ですからね」」


 現在結婚適齢期のご令嬢たちにとって超優良な結婚相手なのである。


「気をつけろよ。防毒と防媚の魔道具は絶対に忘れていくな、絶対にだぞ。……しかし、お前たちはまだよいとしてライナーは大丈夫か?」


 上の弟ふたりがそれなりに経験を積んでいることは知っていたので、クラウスの心配は三番目の弟であるライナー。


 ライナーは古い書物に囲まれている時間が何よりも好きな大人しい少年で、欠席不可の社交でも心底嫌そうな顔で参加している。

 そんな弟が肉食令嬢の集まる狩り場に向かうと聞いてからクラウスの心配は絶えないのだが、


「ライナーは賢いからシーラ姉上とマリーから絶対に離れないさ。おそらくルドルフ殿下も二人にくっついて身を守るはずだよ」

「何のために茶会を開くのかと言ってやりたいが……気持ちは痛いほど分かる」


 シーラとマリーはどちらも既婚者であり王妃の手伝いで参加している、いわばオブザーバー的存在。

 しかし、その美貌と才能により発生られるすさまじいオーラの前で「うちの娘は」などと売り込みができる猛者など滅多にいない。

 仮に自分に娘がいて、目に入れても痛くないほど溺愛しているとしても、クラウスだってあの二人を前に売り込みなど絶対にイヤだった。


「しかし、シーラ姉上も元気だな。予定日も近いはずだが大丈夫なのだろうか」

「産婆によると稀に見る安産型らしいからね、姉上。それに、フランのためなら多少の無理はするよ、あの二人、絶対」


 公爵家の末っ子である妹のフランシーヌを姉二人は目に入れても痛くないほど溺愛している。

 マリーにいたっては何かと口実を作っては自分の家に連れて行こうとするので、そのたびに父公爵と一戦交えているのだった。


「フランの準備は?」

「順調。さっき見てきたけれどお人形さんみたいだった……普段から可愛過ぎるフランがさらに可愛いって危険しかないんだけど。兄上、やっぱりフランの茶会参加は辞めさせたほうが」


 ヴェルナーの言葉にラルフは深く同意するように頷き、


「フランの可愛らしさにとち狂って求婚する奴がいるかもしれないな。よし、俺たちも茶会に参加できないか聞いてみよう。肉が増えることに殿下は歓びこそすれ反対はしないだろうし」


 弟たちも末っ子を目に入れても痛くないほど可愛がっていることを実感した長兄は深いため息を吐き、


「俺も父上もフランから離れないと誓う。まあ、フランは大人びたところがあるから変な男児ガキにひっかかることはないだろう」


 ***


「お父様とうしゃま、鼻が曲がりそうです」


 小さな鼻を一生懸命小さな手で押さえる末っ子に父公爵は目元を蕩けさせつつも、フランシーヌのいう鼻の曲がりそうなニオイに顔をしかめる。


「想像よりも……凄まじいな」


御茶会には王城のパティシエが腕によりをかけて作り上げたスイーツが並ぶ。

会場に漂うのは甘い香り……だけならよかったのだが、御令嬢や御婦人が自分の存在感を増すためにつけた香水のニオイがそれはもう、頭痛がするレベルで充満していた。


「このニオイ……つい先日隣国で販売禁止になった魔物のフェロモン入りの香水じゃない?」

「ああ、小物だったけれど魔物を呼び寄せた香水のこと?まあ、確かにうちの国では輸入も販売もまだ禁止されていないけれど……殿方をうっとりさせる効果が本当にあるのかしら」


 姉の視線を感じたクラウスは首を横に振り、


「他はともかく私には効果ありません。チョコレートファウンテンのところにいるライナーたちをこちらに呼びます」

「このニオイの中でもお菓子を食べようという男の子の執念には恐れ入るわ」


 シーラの視線の先ではライナーと本日の主役獲物であるルドルフが串に刺したパンをチョコレートに浸して笑っていた。

 その楽し気な様子にシーラは口元を緩めたが、すぐに二人の周りに令嬢とその母親が垣根を作ったことで顔をしかめる。


「全く、少し距離を置いただけで……」


 職人街の工房を夫と切り盛りするシーラは貴族令嬢らしからぬ舌打ちをしかけたが、「シーラ姉しゃま」という可愛い声で踏みとどまる。

 そして自分に向かって手を伸ばす幼女を、顔を緩めて受け取った。


 黒髪に紺色の瞳のシーラに対して、銀髪に紫色の瞳のフランシーヌは色は違うが顔立ちはどちらも公爵夫人似。

 ただ五歳と二十代半ばという年齢差から姉妹には見えず、母子に見える二人だった。


「シーラ姉しゃま、クラウス兄しゃま。ライナー兄しゃまと……あの子を助けてくだしゃい。お鼻が曲がってしまいましゅ」


 フランシーヌのたどたどしい言葉に顔面偏差値の高い美麗姉弟の表情がでれっと崩れる。

 そんな様子をマリーの夫であるトロイは「いつ見ても面白いね」と言いながら、持ってきたオレンジジュースを妻に渡した。


「ニオイだけじゃなくて、この会場の熱気は異様よね。姉様と兄様、そして私とトロイがここに揃っているのにあまり視線を感じないもの。特にあの冷徹姉弟がでれっているのに騒ぎも起きないなんて」

「今日のターゲットは王太子様だからね。一部のご令嬢は婚約者が今日決まると思っているみたいだよ」


 「それでか」と兄が救い出した王太子のげっそりした顔をみてマリーは心底同情してしまった。

 そして姉と共に、父に妹を渡すことを渋る姉と共に救出した王太子を休憩させるべくマリーはその場を離れたのだった。


 姉たちに連れて行かれる兄とその傍にいる男の子を見ていたフランが「かわいしょう」というと、


「大丈夫、何か飲んで少し休めばすぐに元気になるよ」

「のむ……げんき……」


「ティアン義兄上から魔法薬を預かっているので、マリーに渡してきますね」

「ありがとう、トロイ。魔法薬もなあ、効果はよいのだが、味がなあ……」

「分かります、魔法薬の唯一ともいえる欠点ですよね」


「まひょうやきゅ?何でしゅか、それは」


 噛みまくりの娘の可愛さに悶絶する父公爵の腕の中で、「元気」「飲む」と思っていたフランシーヌの頭の中には何かが浮かびかけていたが、すぐに魔法薬に興味がうつってしまった。


 この日、フランシーヌは「将来、魔法薬師になる」と決心するのだが、それを知らない父公爵は、目をキラキラして自分を見る末娘にその端正な顔をデレッと緩めるだけだった。

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