第三話 再びの夜間飛行

「ハール! こっちは、ゲートと逆方向だけど?」


 警報が鳴り出してからそろそろ一時間。警戒状態は解除される気配もなく、先ほどよりも状況が改善されたとは言えなかった。


「いいんですよ、霧の湖へ向かっているんですから!」


 サーチライトから照射される光を避けながら、ハールが苛立った声で私に答える。


「だって、仕方ないじゃないですか! 講演会での話を思い出しちゃったんですから!」

「講演会?」


 それがどうして霧の湖へ向かうことに繋がるのか疑問に思いながらも、確認のため私は問い返した。


「それって、ドラゴンの血を寄贈した時にうちの育て親がしたっていう?」

「ええ。その時の質疑応答で、嫉妬丸出しのバカな質問をした奴がいるんですよ。ただ物珍しいというだけのドラゴンの血を宝物庫に納めるなど、建国以来続く我が校の伝統を汚すことにはなりませんかってね!」


 そして、それに対する私の育て親の回答はこのようなものだったという。


『もちろんこちらとしましては、そこら辺の教室の片隅に放置されようが一向に構いません。ですが、皆様の精神的な安寧のためには宝物庫で厳重に保管されるのが最善かと。

 だって、ねえ? 誤って、このドラゴンの血を霧の湖へ投げ込まれでもしたら。それこそ、建国以来続いた我が校の伝統も途絶えることになりかねませんもの……』


(……頭が痛くなってきた)


 いかにも、あのペテン師がかましそうなハッタリだ。

 たった一滴で千人の魔女を殺せる、などと話を盛ったのは、そのハッタリをもっともらしくするためだったのだろう。


「今回の盗難騒ぎは、ウィッティヴィ・アーマーストンの功績に傷をつけるためのものに違いありません。養育院出身者への爵位授与が気に食わない連中の陰謀ですよ!」

「陰謀ねえ」


 霧の湖が汚染されれば、学内全域に供給されている水が全滅するのは本当だ。ゲートが閉じられた今の状況では、『外』へ助けを求めることも難しいだろう。

 ただし、たかがドラゴンの血に大量虐殺を引き起こすだけの魔力は含まれていない。被害があるとすれば、育て親のペテンがバレることくらいだろう。


(となると、あのペテン師への爵位授与が取り消されることにもなったり……?)


 だとすれば、祝賀会とやらも中止になるのではなかろうか。

 最近、私たちに押し付けられている雑用は祝賀会の準備に関わるものばかりだ。


 もし祝賀会が中止になれば、招待状を用意するために連日徹夜をしたり、会場予定地にしかけられた爆発物の撤去に駆り出されたり、その会場の壁を彩るタペストリーの位置決めで『自らの学派のタペストリーこそがメインで飾られるにふさわしい』と衝突した教師どもの殴り合いを命がけで止めたりする必要もなくなるのだ。素晴らしい。


「…………」

「ちょっと、ノイデ!」


 完全にやる気を無くした私に、ハールが尖った声を出した。


「だから、どうして貴女はそんなに他人事なんですか! 貴女の育て親のことでしょう!」

「いや、なんでと言われても……」


 私が育て親に対して抱いている感情は、殺意をはるかに通り越して嫌悪でしかない。


(だけどハールは、あのペテン師を尊敬してるみたいだしなあ)


 育て親との確執についてどう説明したものかと悩んでいるうちに、チェリーヴァーレ城を通り過ぎた私たちは深い霧の中へ突入した。

 その名の通り、一年を通して深い霧に包まれた湖の周囲ではほとんど視界が効かない。


「ハール! 一旦、箒から降りた方がいいんじゃない?」

「犯人を逃したらどうするんですか? 大丈夫、宝物庫への抜け道は私がしっかり把握しています。目をつぶっていたって、たどり着けますよ!」


 なんでも、湖の畔には宝物庫へと繋がる地下通路の入り口が隠されているらしい。


(一体、ハールはどうしてそんなことを知っているんだか)


 警報の種類についてといい、この学校には色々と複雑な仕組みが多すぎる。


(……ん?)


 唐突に。

 違和感を覚えた直後、周囲を走り回っていたサーチライトの一つが不規則な動きをして、私たちへ強烈な光線を向けた。

 霧を貫いて視界を焼いた閃光に、上下感覚が消失する。


「!」


 気づけば、私たちは霧の湖を囲む針葉樹林へ墜落していく最中だった。かばう間も無く、鞭のようにしなる枝が容赦無く全身を打ち据える。

 だが、そのまま地面に衝突するはずだった私たちを受け止めたのは、何やらぷよぷよとした柔らかいクッションだった。


「うわっ」

「ちょっ、何ですかコレ!」


 ぽよんぽよんとその上で何度か飛び跳ねたすえに、どさりと地面に投げ出された私たちは状況が全くつかめずに呆然とした。

 そこへ、何やら華やかな香水の匂いと共に近づいてくる気配があった。

 聞き覚えのない声が、私たちに呼びかける。


「貴女達……、どうみても一般生よね?」


 霧の中から現れたのは、明らかな不審者だった。こんな露出度の高い格好をした学校関係者が、存在するはずもない。

 私たちを墜落死の危機から救ったのは、彼女の従えた巨大スライムであったらしい。


「一般生が、どうしてこんな時間に出歩いているのよ。まさか、監督生に追い出されたわけじゃないでしょうね」


 そう案じるようにランタンをかかげて私たちの顔を覗き込んだ魔女の髪は、血のように深い赤色をしていた。


(確か、赤毛は王族の証だったような……)


 私が少なからず驚いていると、真っ先に我を取り戻したハールが噛み付いた。


「そういう貴女は、この騒々しい警報音の元凶ですか?」

「ええ。夜更けにごめんなさいね」


 あっさりと答えた魔女に、ずるいじゃないですか、とハールが吐き捨てた。


「道理で、警備システムが掌握されているわけですよ。もともと王族のために作られた学校だから、女王陛下の身内にはノーチェックってわけですか?」


 先ほどの唐突なサーチライトの動きも、どうやら彼女の仕業であったらしい。


(なるほど。教師たちが、待機を命じられるわけだ)


 おそらく、校長は事前に侵入者の正体を把握していたのだろう。

 この学校の教師たちは、相手が元教え子だろうが王族だろうが手加減なんて微塵も考えない極悪魔女ばかりだ。


(この赤毛の魔女に何かあれば、王家も黙ってはいないか……)


 もっとも、ハールは身分の差など糞食らえといった様子だが。


「さあ。とっとと宝物庫から盗んだものを返して、学校から立ち去ってください! 侵入者を撃退しろとまでは言われてないんで、今なら見逃します」


 威勢良く噛み付くハールに、赤毛の魔女は私たちを威嚇する巨大スライムを制しながら怪訝そうに訪ねた。


「貴女達、警備ゴーレムの真似事でもさせられているわけ?」

「ええ。お忙しい教師さまの代わりに、盗難品の奪還を命じられましてね。私たちは給費生ですから、面倒な雑用は何でも押し付けられるんですよ」

「呆れた! 一般生だからって、そんな危険なことを押し付けるなんて」


 ぷりぷりと怒り始めた赤毛の魔女は、とてもドラゴンの血による大量殺戮を企てるような人物には見えなかった。彼女がこれ見よがしに抱えている容器からも、ドラゴンの血らしき魔力の波長は全く感じられない。


(……まさかあのペテン師、中身までごまかして寄贈したんじゃないだろうな)


 ただ。あのハール並みに慎重な育て親が、そんなアブナイ橋を渡るとは思えなかった。いくら魔女には魔力の感知器官が備わっていないからといっても、きちんとした魔道具を使って検査をすればすぐにバレてしまうことだ。


(だとすると……?)


 まあ、とりあえず。侵入者だというこの赤毛の魔女の方が、うちの育て親よりよっぽどマトモな人物に見えるのは確かだ。


(というか。この魔女、どこかで見覚えがあるような……)


 一体、どこで見かけたのだろうか。匂いの記憶までは覚えがなかったので、写真か何かで目にしたはずなのだが。


(…………あ、思い出した)

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