自分の文体に限界を感じている話

 小説を書く練習を積んでいるが、実際はもっとシナリオ風小説を書くべきではと思っている。シナリオ風小説とは、会話文を中心に構成された作品のことである。

 私自身、この手の小説を何度か書いてみようと試みたことがあるのだが、毎回ねっとりとした筆致で書いてしまい、断念している。

 本来ならばもっとあっさりした文体で、スピード感がある文章がいいと思うんだよね。


 例えば——。


「私はまだ諦めるわけにはいかないの!」


 黒髪は真っ直ぐな瞳を向けてきた。


「絶対にいつの日か小説家になるんだから!」


 みたいな感じであっさり文体でええやな。


◇◆◇◆◇◆


 実は最近自分の文体に限界を感じている。

 説明的な描写が多い反面、それが自分の魅力なのかなと思う気持ちもある。

 でもそろそろ文章の大幅なアップデートを行うべきだなと考えている。

 この更新は「シンプルな文章を目指す」とか「伝わりやすい文章を書く」とか、そんな次元のお話ではない。

 もっと奥底にある根本的な文章発想技術。


 言葉で表現するのは難しいので、例を出す。


(例1)


「ここで彩心先生の豆知識を一つ!!」


 突然、何を言い出すかと思えば、黒髪の少女は偉そうに語り出した。


「汗を掻くと、人間は塩分ナトリウム不足に陥る。ここまではわかるよね?」

「バカにしてるのかよ。汗を掻いたら、塩分不足になるのは小学生でもわかるよ」

「で、このナトリウムというのは、体内の水分調整や、血圧の維持、神経信号の伝達とか……まぁ、簡単に言ってしまえば、身体を維持するために必要なんだよ」


 夏場とかは、塩分不足になるから、細かに補給しましょうとかいうしな。

 部活動をやってる連中とかは塩を持参して、それをペロペロ舐めてた奴もいたな。


「生命を維持するために必要だからこそ、人間は塩分不足に陥ると、その塩分を補給しよう補給しようと思う。その結果、塩分が高い食べ物が通常よりも美味しく感じることがあるんだって」


 空腹は最高のスパイスというが、それも同じ理論なのかもしれない。

 塩分不足に陥るからこそ食べ物を摂取した際に、更に美味しく感じるのかもな。

 そう結論を付けながら、俺は更に思考を加速させる。

 もしかしたら、これは恋人同士の関係でも同じことがいえるのではないかと。

 恋人と出会う機会が少なければ少ないほどに、会いたい気持ちが募る。

 だからこそ、実際に恋人と出会うと、その嬉しさが堪らなく感じるのではと。

 遠距離恋愛は難しいというが、恋人に出会った直後の幸福度は計り知れないのではないか。悩める男子浪人生(自分で言ってて辛くなる)の俺はそう強く思った。


◇◆◇◆◇◆


(例2)

 猛暑が続く夏休みの夕暮れ時。

 窓一面に映る青い海と白い砂浜には目を向けず、俺は胡座を組み、物思いに耽っていた。

 悩みの種は——本懐結愛の帰りが遅いことだ。


「女性の風呂は長いと聞くが……これほどまでとは」


 空が青紫色に変化していくと共に、ミンミンと鳴き叫ぶセミの声も弱々しくなってきている。運命の相手に出会えたからと思いたいね、地中で何年間も待ち続けたのだから。

 巷では、蝉は七年間を地中で過ごし、地上では七日間しか生きられないという説がある。

 だが、最近の研究では、それは嘘っぱちで、数年間を地中で過ごし、地上では三週間から一ヶ月程度生きるというのだ。勿論、七年間も地中で暮らすセミもいるらしいのだが、日本国内にはそのような種類のセミは存在しないようだ。

 まぁ、どちらにせよ、成虫として生きる期間は限りなく少ないけどな。


 チリンチリンとエアコンの風に揺れ動く風鈴の音を聞きながらも、俺の脳内は無意識の間に更に思考を続けていた。

 彼等にとって、成虫として過ごす期間はどんなものなのだろうかと。

 子孫を残すために地上に出るとしても、彼等にとってそこは地獄でしかない。

 夢にも見た地上という世界は、彼等にとっては天敵が多すぎる不毛の地だろう。

 動くものなら何でも食べてしまう地上の王者野良猫に、空に逃げれば容赦無く本領発揮してくる鳥類。

 水辺なら安心と思いきや、そこにはカエルやヘビが待ち構えているのだから。

 そんなリスクを負ってまで、彼等はなぜ地上へと出るのだろうか。天敵の居場所を伝えているのも同然なのに、ミンミンと木にへばりついて鳴き続け、異性の相手を待ち続ける。

 来るか来ないかも分からないのに、ただ長時間運命の相手を待ち続ける。

 果たして、同じことが俺にもできるだろうか……?


◇◆◇◆◇◆


 例1と例2を読めば分かると思うが、主人公の思考が文章に存在している。


 例1の文章には、「塩分のお話」から「遠距離恋愛のお話」にまでテーマが広がっている。

 主人公の「実はこれって同じじゃない?」という発想から、思考が熟成化していく。


 例2の文章は「蝉」をテーマにし、彼等の生涯を細かく書き終えた上で、「運命の人を自分も待つことができるだろうか?」という考えに至っている。


 AIが言うには——。

 この二つの文章には文学性があると判断した。この文学性とは何か。

 社会や哲学的テーマがある作品だという。


 なるほどなと思いましたよね。

 文章の中にキャラクターの思考(哲学)を入れると、物語に深みが生まれるんだなと。

 この手法は以前から何度か使用していた。

 実際キャラクターに哲学っぽいセリフ「人は何のために生きていると思う?」とか「死んだ人間をもう一度生き返らせるのは、正しいことなのか?」などなど。


 で、これを地の文でやればいいんだと。

 あくまでも主人公が思考して、他のテーマと結び付けて、哲学的な発想へと至るのだ。

 要するに、思考ゲームを行うってわけ。


 仕事が辛い→やることが多すぎる→近代革命が起きた当初、人々の暮らしは豊かになるはずだった→それなのに、何故我々は以前よりも働かなければならないのか→原始時代の方が人間は豊かで幸せな暮らしをしていたかも→でも、スマホがない生活は無理だな(オチ)


 こうして考えれば——。

 仕事が辛いという感想から、近代革命という社会的なテーマや、原始時代の方が人間は豊かなで幸せな暮らしをしていたかもという哲学的なテーマを取り入れることができる。


 残るはそれを上手く文章に組み立てればいいわけだが、ここからが文章力の見せ所よ。


(一部割愛)


 私が思うに——。

 文学性を取り入れるというのは、自分の思考に新たなテーマをぶち込むことだと思う。

 現代の日本を語る際に、経済学者は経済学の視点から語り、社会学者は社会学から語る。また歴史学者は歴史学から語るだろう。


 で、結局——。

 文学性がある文章の書き方とは、自分の専門的なテーマを持ち、その専門分野と伝えたい内容を絡めて語ることではないかと。


◇◆◇◆◇◆


 ここまで長々と語ってきたが——。

 私が書きたい小説は「文学性があるエンタメ作品」と「シナリオ風小説」の二つである。


 文学性があるエンタメ作品は量より質重視で、コトコトと鍋を煮込むように作りたい。

 一方、シナリオ風小説はガンガン量産して、次から次へと発表したいと思っている。


 正直、自分の適性があるのは——。

 文学性があるエンタメ作品だと思う。

 シナリオ風小説を書きたい気持ちもあるが、ねちっこい文章を途中から書きたくなるだろうなと思ってしまうからだ。


◇◆◇◆◇◆


【解決した】


 シナリオ風小説とは下書きに過ぎない。

 私の本領発揮が「文学性のあるエンタメ作品」ならば、シナリオ風小説は下書きだ。

 シナリオ風小説を書き上げた上で、ブラッシュアップしていく過程で、徐々に文学性のあるエンタメ作品の完成を目指せばいい。

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