落蝉よ 七日ぽっちと 知ってたか
やかましいと嫌煙されがちな蝉ですが、命を次に繋ぐために必死こいてると思うと、頑張れという気持ちになります。
でも、蝉は一週間しか生きられないというのはご存じと思います。一週間しか生きられない生き物なのに、次に繋ごうとすることに意味はあるのか、と漠然と疑問に思いました。蝉に限らず人だって、約百年ほどしか生きられない生き物です。自分が産まれてきた意味、生きていく意味はなんだろうと、一度は誰もが考えたことがあるのではないでしょうか。
蝉の大声を聞いてなんとなく、産まれたことに意味なぞ必要ないのではないか、と思いました。むしろそんなものあったら嫌だな、とも思いました。何か理由や目的があって産まれたというのは、なんだかレールを敷かれているようで窮屈そうなので。
生きていく意味については、私は生きている途中なのでわかりませんが、後付けでいいのだろうと思います。後から付いてくるというやつです。百年くらい生きたらわかるかもしれないので、ぜひ長生きしたいです。
P.S.落蝉の季語は秋だそうです
第1回カクヨム短歌・俳句コンテスト俳句の部 辰五郎 @tatugoro
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