引越し① 唐美人
何処のどなたか存じ上げないが、車輪というものを発明した方には本当に頭が下がる。庭師が作ってくれた手押し車は今にも潰れそうになりながらも大量の木箱を支えている。
「桃様、ほんとうにわたくしが居なくて大丈夫でございますか」
「失礼ね、大丈夫よ…たぶん」
「この駒耶、桃様に仕えて13年、いやお腹の中から数えますともう14年になりますが、こんなに心配なことは初めてでございます。やはり駒耶もお供致します、ええ、今からでも遅くはございませんとも!」
「大丈夫だと言っておろう!」
「しかしね、桃様、いっときの流行りに乗って痛い目を見るのはどの時代でも同じことでございますよ」
「ええい、あるじの不安を煽るでない!少し黙っておれ!」
駒耶は片手で手押し車を押し、もう片手で乗り切らなかった木箱を抱えて進む。
「もう、そんな酷いこと仰らないでくださいまし。駒耶は別れまでにひとことでも多く桃様とお話ししたいだけですのに」
「うるさいわ。喋るほどの体力があるなら分けて頂戴」
半分は照れ隠しである。もう半分は口ではたいそうなことを言いつつも、外に出たことも無く、つい今しがた初めて牛車に乗り、道を歩く経験が無いに等しい上に(少量ではあるが)荷物を持つ桃には既に体力の限界が近づいてきていた。
「気づくのが遅れて申し訳ございません。桃様、少し休憩しませんか」
「別に疲れてなんかいないわ。」
言葉とは裏腹に休憩の『き』が聞こえたかどうかくらいで木陰に荷物を下ろし始めた桃についくすりと笑うと、耳聡く「笑うでない!」と甲高い声が響いた。
勘のいい皆様のご想像通り。桃は鹿踏書物殿守護人を拝命した十三の少女である。鹿踏書物殿はそのあまりの広さから、守護人は書物殿脇にある寮に住み込むのだが、今まさにその引越し中。書物殿前までは牛車で来たのだが(桃はまあまあのお嬢様である)そこからは徒歩、しかも女人寮に入れるのは女だけということで、こんな大荷物を女手二人で運ぶことになったというわけである。
息が整ってきた頃。ふと視線を感じ、顔を上げる──目があった。すらっと長身で、花柄の唐の服を着ている。髪は結い上げられ、花の飾りが挿され、整った真っ白な顔に点々と紅が入っている。唐の人なのだろうか、いずれにしても服装から見るにどこか貴族の娘に違いない。都では唐の服をきた麗人の噂は聞かないので、地方からやってきたのかもしれない。兎に角目立つ。
唐美人は桃達と荷物を交互に見やり、驚くべき行動をした──結い髪に挿していた枝を抜くと、そこについていた実を千切り、そのまま食べたのである。不味そうにちょっと顔をしかめて、呑み込んで、口をちょっとぱくぱくさせながら、こちらに近づいてくる。
「手伝いましょうか?」
間近で見ると、何とも麗しいご令嬢である。背丈は桃の父親に近い、いやそれよりも高いかもしれない。
「いやいやそんな、滅相もないことでございます。お嬢様のお手を煩わせる訳には参りません。お邪魔でしたよね、直ぐ動きます」
「いや、これでも力には多少自信があってね。」
駒耶の言葉を聞いていないのか、聞き流したのか。にやりと笑った唐美人は駒耶から幾つか箱を取り上げると駒耶から鮮やかに手押し車を奪い、持ち手に手をかける。
「お嬢様、困ります!」
「良いんだって。仕事には適材適所ってもんがあるんだから。お部屋はどちら?」
駒耶がこちらを見て何かを訴えかけてくるが、桃はもうこの唐美人にお願いしたいと思っていた。
(疲れたんじゃないわ、この人とお話ししたいだけよ)
言い訳しながら立ち上がり、「参の館の弐番です」と部屋番号を教える。
「素敵な衣装ですね。お話ししている限りだと、やまとの方のようですけど…」
唐美人は誰かが話す度にニコニコ笑う癖があるようだ。
「私はやまと生まれのやまと育ちだからね。親類に、遣唐使として唐に行って、そこで嫁さん捕まえて帰ってきたやつがいるのさ。これはその人からもらった服だよ。」
「そうなんですね。」
こちらも負けじと笑顔で対応するが、心のうちでは少し疑問を抱えていた。
唐美人のあまりにも砕けた話し方だ。桃は大納言の娘である。帝の一族、左大臣右大臣の次に位置する身分である。
(身分の高い方なのかしら。それとも私が大納言の娘に見えない?)
桃が困惑する間にも、唐美人はずんずん進んでいく。力に自信があるというのは本当のようで、桃と駒耶がひいひい言いながら運んでいた荷物を余裕の素振りで運ぶ。仕事を無くした駒耶はおろおろ着いてくる。
「参の館と言うと、相部屋かな?」
「そうです」
「相部屋はお付きの人は入れなかった気がするけど」
「駒耶は荷物を運ぶだけです」
「ははあ、てことは君もあの小説を読んだ1人、と。そういう訳だね?」
「まあ、つまりはそういうことですわ」
少し言葉を濁しつつも肯定する。
あの小説。それが指すものは最近流行りの恋愛小説だ。舞台は鹿踏書物殿。手違いで相部屋に入れられた大納言家の娘が相部屋になったものと共に働き、書物殿に足繁く通う『青い目の旦那』との仲を深めていく話である。鹿踏書物殿で働くには試験があるのだが、この小説が流行ったせいで、常時でも難関の試験の倍率が目ん玉飛び出るほど高かったとか。
「ははは、若いねえ。」
唐美人は終始楽しそうに笑っている。爆笑しているわけではないが、こんなに笑ったら呼吸困難になりそうだ。
(ところでこの人はお幾つなのかしら……)
恐らく先輩ではあろうが、15と言われても25と言われても納得してしまう気がする。駒耶はお嬢様と呼んだが、どこぞの奥様かもしれないのだ。……年齢を聞くなど、失礼すぎるので出来はしないが。
そうこう言っているうちに寮の前である。入り口の先輩に手短に到着報告をして部屋番号を伝える。
「参の館の弐番ね、3人部屋になります。1人はもう到着していて、もう1人もそう遠くなく着くはず。部屋に守護人掟書と寮掟書、あとは予定の書いてある暦があるから、必ず今日中に目を通してください。」
「わかりました。」
寮は壱の館から伍の館まであり、それぞれ南北に長い作りとなっている。三の館の前までは唐美人の活躍ですんなり来たのだが……。
「いやあ、参ったね。まさか、奥から2番目まで行かなきゃとは」
ここからは室内なので手押し車は使えない。流石の唐美人も、木箱全部を抱えて奥までは難しそうだった。いや、重さの面ではいけそうだが、十個の木箱全部を一気にというのはやはり流石に無理だろう。
「とりあえず私は3つ持っていくよ。」
「そんなにお願いするわけには。ここまで運んでいただいたのもどうお礼をしたらいいかわかりませんのに…。」
駒耶はいまだに隙あらば自分の仕事を取り返そうと考えているらしい。問題は、唐美人に隙がないことである。
「良いんだって。じゃあ、とりあえず持てない分は一旦玄関に置かせてもらって部屋に行こうか。」
「ちょっと、お嬢様、!」
「いやあ、廊下が長いねえ。歌ったら声が響きそうだ」
「お嬢様!聞いてくださいまし!」
「聞こえなーい」
唐美人ははっはっはと笑いながらまたしても駒耶の制止を流す。
玄関の正面には縁側のような明るい廊下が伸びており、左側に部屋が並んでいる。一番手前の襖に『拾』と書いてあるので、おそらくこの九つ奥にあるのだろう。部屋の入り口は
「どんな人がいるんだか、楽しみだねえ。ところで、どんな本がお目当てだい?やっぱり戀物語かな?」
「秘密です」
「そうかい。じゃああんたを探す時はその辺を探すことにするよ」
「秘密って言ったじゃないですか!まだ戀物語とは言ってません!」
「はいはい。でも、別に隠すこたぁないじゃないか。戀物語だって立派な書物だぞ?神話だって、ほとんど恋物語だ。」
「神話は神話です。そういう次元を凌駕してるんです」
「まあ、そうならそうでも良いけどさ」
(なんだか不思議な人。それに、この人と話してると、この人は会話じゃないところから見下ろして楽しんでるんじゃないかって、そんな変な気分だわ。まるでこの人は話の内容そのものはどうでもいいみたいな。)
なんでこんな気持ちになるのか、自分の感覚に悩んでいると、
「あったあった、弐番の部屋」
と、先頭を行く唐美人が部屋を見つけたようだった。
「ほら、一旦その荷物持ったげるから、襖を開けて。」
「お願いします」
(いけないいけない、つい足で開けちゃうとこだったわ)
駒耶もそれを恐れていたらしく、あからさまにほっとしている。
もし、失礼しますね、と一声かけて襖を開けると、目に入ったのはまだ草の匂いのする畳。
「お、同室の方?よろしく」
「ここの部屋に入る桃よ。これからよろしく」
「私は梅。とりあえず、中でお話しましょ。荷物も結構あるようだし」
「まだ残りの荷物があるのよ。それも取ってきたいから、邪魔じゃなければとりあえずこの辺に置いて取りに戻りたいんだけど」
「あら、そうだったんだ。私も手伝う!」
「じゃあ、出会って早々で悪いんだけど、お願い出来る?」
「任せなさい!今ある荷物は廊下に放置でいいと思うよ。どうせここほぼ誰も通らないし。」
少し考えたが、これはお願いしたほうがいい気がする。
「あら、そうなの。じゃあお言葉に甘えて。」
廊下をかけていく梅を見ながら、桃はほっとした。
(すぐ仲良くなれそうないい子でよかった)
「いい子でよかったです。もしも桃様をいじめるような子でしたら権力を振り翳してでもどうにかしろとのお達しでしたので。」
「誰よそれ言った奴」
「昨日の眞庭家家族会議で満場一致でございました。」
「ちょっと、なんで家族会議に私が呼ばれてなくて駒耶が出てるのよ」
「桃様を心配する会議でしたから。ご安心を、朱鷺平様も不参加です」
駒耶は桃の弟の名前を出す。
「なんで三歳児と一緒くたにされなきゃいけない訳!?」
「お父上もお母上も桃様を大層心配してらっしゃいましたよ。」
「桃ちゃーん、荷物ってこれー?」
ひと足先に玄関に着いた梅の声が廊下中に響く。
「ああもう、ちょっと待ってなさいよ!」
残った体力全てを使って玄関に着いた。
「この4つ?」
「そうよ。一つお願い。駒耶は2つね。」
「はーい。それにしてもすごいねえ、さっきあの量を2人で持ってたなんて」
「失礼ね。私だって持ってたわよ」
そういうと梅は『?』という顔をして聞き返した。
「だから、桃ちゃんと駒耶さんでしょ?」
「やだなあ、もう1人…」
そう言って桃と駒耶は顔を見合わせた──いつの間にか、唐美人はいなくなっていた。
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