【冥界の獄園】編

1

「きゃああああ!」

「うおおおおお!」


俺と姫神は絶賛落下中だった。落ちていることを忘れさせるほどの暗闇に俺たちは恐怖を感じずにいられなかった。谷底から聞こえてくる風の音が恐怖をさらに押し上げる。もう三十秒以上は落下している。


加速による加速でどれだけ落ちているかなんて計算できない。ただ、とんでもない距離を落下して、地面に叩きつけられたら死ぬことだけは確かだ。


「くっ」


とにかくこのままいったら地面に当たって死ぬだけだ。俺は平行を行く崖と下を落ちる姫神を見た。そして、腕がイカれる覚悟をした。


「≪氷鞭≫!」


右手で崖に氷の鞭を張り付ける。もっとも魔力の足りない俺には蜘蛛の糸ほどしか氷を出せない。そして、左手で発動させた≪氷鞭≫でなんとか姫神を捕まえた。


「きゃっ」

「グっ」


姫神は突然落下が止まったことに驚いているようだ。俺は痛みに耐える。


「た、助かった・・・」


姫神は一安心していたが、どれだけの高さがあるか分からない暗闇を見て恐怖しているようだ。氷の糸に振動が伝わってくる。それでもぷらーんぷらーんと揺れながらも一時的に落下が止まったことで思考が可能になったようだ。ただ、


「肩が・・・!」


とてつもない速度で落下してきた自分と姫神の体重を右手一本で支えている。右腕は脱臼しそうになった。そして、姫神を支えている左手も肩を黒龍にやられたせいで力が全く入らない。このままじゃ再び落下コースに入るのが目に見えていた。


しかも、氷の糸も徐々に切れかかってきていた。俺たちの体重を支えるのに強度が足りないらしい。


「クソ・・・何かないのか!?」


痛がっている場合ではない。俺は辺りを見回すが、暗闇にまだ目が慣れていなくて何も見えない。早く突破口を探さねばならないという焦りが俺の視野を余計に狭めていた。


「センパイ!後ろ!」

「あ?」


姫神の声で後ろを見ると、俺の背後に人が通れそうな横穴があった。ここに入れば逃げられると思った。運がいい。ただ、俺はこの中に入れば助かると分かっているのだが、いかんせん腕が壊れている。横穴までの五メートルくらいが一生縮まらないような気がした。


「ぐっ」


助走をつけようとすると、俺の肩がぎしぎしと音を立てる。それでも死ぬよりはマシだと思って、痛みを堪える。


「行くぞ姫神!」

「は、はい!」


俺は自分と姫神を鼓舞する。そして、痛みに耐えながら横穴に突っ込もうとすると、横穴から音が聞こえてくる。確認する前に俺たちは既に飛ぶ準備をしていた。止まることができない。


「うお!?」


横穴から水が噴き出して、俺たちは対岸の崖の穴へと激流と一緒に洞窟の中へと放り込まれた。俺はなんとか意識を保とうするが、度重なる激戦と疲労で目を開けることすら困難になってきた。


最後に見たのは俺と姫神を繋いでいる氷の糸だけだった。


「はあはあ」


水晶が紫色に発光し、さっきまでの激流が嘘だと思わせるほど、静かな波打ち際で満身創痍の人間が打ち上げられた。誰をも惹きつけてしまうような魅力を持つ女が水に濡れながら上がってくる。紫の光が美の神のみを照らし、その姿を男が見たら、誰もが魅了されてしまうだろう。


「はあはあ、酷い目に遭いましたぁ・・・はあはあ」


波打ち際に押し上げられ、私はなんとか生還しました。ヴィーナスは元々海の泡から誕生したので、泳ぎは得意な方なんですよ。権能がヴィーナスで良かったと心の底から思いました。


私はここまで氷の糸でつながっていたを見返します。水の中に放り込まれた瞬間に気絶してしまったので、世話が焼けました。ただ、今、命があるのはこの人のおかげです。権能を封じられた私にはあの落下から自分の命を救う手段はありませんでした。


まぁそんなわけなので、これくらいのお礼はしておいて良いでしょう。後で身体を要求とかされたら気持ちが悪いですしね。それに、私はSランク冒険者なので、男一人を運ぶくらいは造作もありません。命くらいは救いましょう。


仰向けにして、心臓の音と脈を図ります。死んでいるわけではなくて一安心です。私の推測ではここは例の場所・・・・に通じているはずなので利用価値はありそうです。


私は現状把握をします。鍛冶のせいで私の権能は封じられています。今嵌められている枷はそういった類のものらしいです。≪美神の枷≫とはよくいったものです。ただ、枷自体は超堅い鉱石で作られているわけではなさそうです。だから、


「ふん!」


石に枷をぶつけて、破壊を試みます。すると、簡単に破壊できました。おそらくですが、鍛冶なりに私を傷つけないようにした結果なのでしょう。まぁそんなことはどうでも良いです。私は手足にハメられた枷をすべて破壊します。


グーパーと手を動かします。魔力が流れて、異能が使えます。これでこれから潜るダンジョンで後れをとることはないでしょう。


「くしゅん!」


力を使える感覚が取り戻せて、一安心した私に冷えた身体が頭を現実に引き戻しました。代えの服はありません。かといってこのまま濡れた格好でいれば、風邪を引いてしまいます。いまだに倒れている風邪を天秤にかけて私の行動は決まりました。


「背に腹は代えられませんね」


私は男の隣で服を脱ぎ始めました。起きたらもう一回気絶させればいいです。



「ん・・・ここは?」


目が覚めると知らない天井だった。青紫色に輝くクリスタルが至る所から生えており、それによってこの洞窟の構造を視覚的に知ることができた。身体を起き上がらせると、湖畔が見えた。紫の光が水に反射して幻想的な空間を作り上げていた。


「目が覚めましたかぁ?」

「お・・う?」


姫神の声に反応して、後ろを見ると体育座りで俺の方を見ている姫神がいた。しかし、問題はその格好だ。薄着で不味い部分が所々見えてしまっていた。俺はすぐに前を向いた。


「はぁ、ド変態クソ野郎のくせにこういう時はヘタレっぷりを発揮するようなので安心しました」

「なんで、俺は罵倒されてんの?」

「とんでもない。とても紳士的ですねーって思ってますよー」


嘘つけ・・・あの顔は【女王四重奏あいつら】と同じ顔だ。絶対に後で何か要求される。俺は軽いものでありますようにとかなうはずのない願望を神に祈った。俺は切り替えて、周囲の確認をすることにした。


俺は目の前に広がる湖畔と洞窟を見ると、湧水に巻き込まれたことを思い出した。ということはあの洞窟からこの岸辺に打ち上げられたってわけだ。とりあえずあの地獄のバンジーを生き残れただけでよしとしよう。


俺は自分の身体を確認すると、不思議なことにあれだけ痛かった右肩も、えぐられたはずの左肩も綺麗に完治していた。いくらなんでも、あの傷が簡単に治るはずがない。俺は姫神の方を向き直った。


「・・・変態」

「すいません・・・」


姫神の顔じゃなくて防御力が薄いところに目が行ってしまいました。完全にゴミを見る目だったが甘んじて罵倒を受け入れようじゃないか。


「それで何か聞きたいことがあるんじゃないですかぁ?」

「お、おう。ケガが治っているのってお前のおかげなのか?」

「ええ、そうですよ」

「そうか。ありがとう」

「いえいえ。お礼なんていいですよぉ。いつか返してもらいますからぁ」

「ぐっ」


仕方がない。まぁ助けてもらったのは事実だから、何も返さないというのはおかしな話だろう。俺を騙したやつだが、ここで同じことをやったら俺の器が知れる。


「それじゃあ健児センパイが起きたことですし、現状の把握からいきますかぁ。健児センパイ、ここがどこだか分かりますかぁ?」

「いや、分からん」

「でしょうね」


馬鹿にしたような言い方に俺は腹が立ちそうになるが我慢する。なんでS級ってこんなのしかいないんだろう。


「ここは学校の裏ダンジョン、【冥界の獄園】と呼ばれる場所です」

「【冥界の獄園】?」

「ええ。Sランク冒険者にしか知られていない特別なダンジョンです。ただ、私も名前だけで実際に裏ダンジョンに入ったのは初です」


そう言われてみれば公園のダンジョンと似ている。形状とかそういうものじゃなくて雰囲気がそっくりだった。


「あの黒龍は推測ですが【冥界の獄園】の入り口の守護者だったのかもしれません。そうじゃなければあのレベルの魔獣が正規ダンジョンにいる理由なんてありません」

「確かに」


姫神の洞察力は流石だった。【女王四重奏あいつら】に並ぶだけの実力はやはり持っているのだろう。まぁそれは置いておくとしてSランクダンジョンだというなら普通に攻略すればいい。久しぶりの初見ダンジョンだが、今更公園のダンジョン程度で失敗するなんてことはないだろう。


「Sランクダンジョンに入ったなんて言われたら、普通はもっとビビると思うんですけどねぇ。流石は【漆黒の堕天騎士】様ってところですか」

「あれ?バレたん?」

「ええ、ええ。全く憎たらしいったらありゃしませんよ。ダン配の女王であった私を五位に落とした張本人が目の前にいるんですから」

「知るかよ」


姫神が俺をまっすぐ見ていた。すると、姫神の瞳が金色になった。妖しく艶やかなその瞳に吸い込まれそうな感覚になる。だが、


「やっぱり魅了は効かないんですねぇ」

「っ」


俺はすぐに目を逸らす。油断も隙もありゃしない。俺を魅了しようとしたらしい。そういえば俺と初めて会った時に、何もかもを捧げたいようなそんな感覚に陥ったことがあった。アレが魅了にかかった状態なのだろう。悪意を持った美の神ほど恐ろしいものはないな。


「あーそんな警戒しなくてもいいですよ。健児センパイの体質的に私の魅了は効かないらしいので」

「俺の体質・・・?」

「しゃべりすぎました。今のは忘れてください」

「お、おう」


問い詰めたい気がするが、姫神の笑顔の圧力が俺にこれ以上話をさせるなと言っているようだった。


「話を戻しましょう。私たちはこの後、【冥界の獄園】の中を移動します。とはいっても、攻略ではなく、入口を探すためですが」

「入口?」


不自然な言い方だ。まるで入口を知らないかのような言い方だった。ダンジョン名が分かっているのにダンジョンに入る場所を知らないなんてことはあるのだろうか。姫神は俺の思考を読み取ったのか腕を組んで真面目な顔をしていた。


「ええ。逆に聞きますが、Sランクダンジョンに正規ルートから迷い込んだという生徒のことを聞いたことがありますかぁ?」

「いや、ない」

「今までの歴史で一回もないんですよ。だから、こう考えるべきなんです。SランクダンジョンはSランク以外の生徒では見つけることができないところにある、もしくはたまたま迷いこんだ学生は出ることができずに亡くなったと」


確かにあの奈落から落ちて、かつ、あの水流に巻き込まれて初めて見つかるダンジョンなど並みの人間には攻略不可能だろう。


「私が正規ルートで初めて健児センパイと会ったのは偶然・・ですが、あの時、【冥界の獄園】の入口を探していたんです」

「なるほど」


姫神との出会いか・・・最悪の勘違いをしてしまった自分の過去を抹消したい気分だった。姫神はまた俺の思考を読み取ったらしい。どこかの黒髪の人にそっくりな意地悪な顔を浮かべた。


「それにしてもあの時の健児センパイ、情けないくらいに私に見惚れちゃって。ププ、最高に滑稽でしたよぉ?」

「やめろ!お前を好きになったことは黒歴史として抹消したいんだから!」


こんな腹黒女だと知っていたら好きになんかなるわけがない。あの時に戻って浮かれた気分だった俺をぶん殴りたい。


「そういわれるとカチンときますねぇ。あんな必死に私の下駄箱を探していたくせに」

「もうやめてください勘弁してください」


姫神は若干俺の言い方に苛立ちながら俺にトドメを刺してきた。俺には初めての経験だったが、好きになった相手にとって告白してきた相手というのは一生ネタにできる玩具であることを身をもって思い知った。


「あははは、哀れですねぇ。でも仕方がないんですよぉ。私は容姿端麗、才色兼備を兼ね備えた最高の女なんです。惚れちゃうのは自然の摂理だと思いませんかぁ?」

「ぐっ」


実際に騙されたから何も言い返せない。


「【漆黒の堕天騎士】様も私のファンだと知ったら、【女王四重奏】に対する溜飲も少しは下がってくるってもんですねぇ」

「お前とは俺の召喚獣たちに土下座してもらったらもう二度と関わらない」

「あ~そうなんですかぁ。残念ですぅ」


とは言っているが全く残念がっていない。


「じゃあ私が命を助けてあげた借りでも返してもらいましょうかねぇ」


その言い分は予想はできていた。だから、


「俺だってお前を鍛冶ってやつとか、黒龍から助けてやっただろうが。後、落下からも。おあいこだっての」

「そうでしたねぇ」


クスクスと笑っている。まだ何かあるのだろうか。


「じゃあ私の下着を見た借りでも返してもらいましょうかねぇ?」

「っ!」


そう言われて俺の視線はまた下に向いていった。しかし、今度はシャツで隠されていて見ることができなかった。


「今のも貸一です。クソド変態」

「はい・・・」


ゴミを見る目で再び俺を見てきた。言い逃れができない。まさかパンツ一つでこんな目に遭うとは。


「言っておきますけどぉ、私の下着姿はお金が取れるんですよぉ?金銭をとらないだけ良心的だと思いませんかぁ?」

「ぐっ」


説得力しかない。姫神がグラビアとか〇Vとかに出たら絶対見てしまう気がする。


「じゃあ、借りを一個返してもらいますねぇ。後、今の気持ち悪い妄想も貸です」

「クソぉ!」


何がいいかなぁと考えている姫神を見て、俺は碌な目に遭わないであろうことは簡単に推察できた。SランクのSはサディスティックのSっていうのも加えても良いと思うんだよなぁ。


「あっじゃあこれにしましょう」


悪女の中で何をやるか決まったらしい。俺はそれ相応の覚悟を決める。


「なんだよ・・・」

「今から【冥界の獄園】を攻略するときに、【漆黒の堕天騎士】として私の配信を手伝ってくださいね?」

「は?」


姫神のお願いが意外すぎて俺は間抜けな顔を晒してしまった。

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