大きな杉の洞の中で君と休もう
藤泉都理
大きな杉の洞の中で君と休もう
大きな杉の洞の中に、ヤシの果実のような種がひとつ、落ちていた。
その種は根を生やし、細かな太陽光と細かな雨、大きな大地の栄養を吸い取って、どんどんどんどん、大きくなった。
その内、大きな杉もこの種に自分の栄養をあげるようになり、ますます大きくなった。
芽吹かずに、種の形のまま、大きくなっていった。
あれこのままじゃ、洞を埋め尽くして、大きな杉を突き破るのではないか。
大きな杉の洞の中で休憩、もとい、サボっていた戦士は危惧した。
力強く守られている感覚がするあの心地のよい洞を失ったら、胸にぽっかり穴が開いてしまう。
戦士は申し訳ないと思った。
とてもとても申し訳ないと思ったが、あの種を切り刻む事にした。
これも杉を、しいては、自分を守る為なのだ。
ごめんなごめんよ。
戦士は滝で身を清めた。
戦士は絶食して身を清めた。
戦士は種の前に立った。
戦士は種に触れた。
ひんやりとしていて冷たかった。
ぽこぽこと気泡が湧くような音と振動が伝わった。
戦士は口の端を下げた。
顎まで届くのではないかと思うくらい下げた。
戦士が腰に下げた剣を手に持つ事はなかった。
ありがとうな本当に。
戦士は大きな杉へと深々と頭を下げた。
大きな杉のおかげで生きて来られたと言っても過言ではなかった。
ありがとうな本当に。
戦士は長い間大きな杉へ深々と頭を下げ続けた。
もう、戦士が洞の中に入れる余裕はこれっぽっちもなかった。
「元気に育てよ」
戦士は最後にまた種に触れて、衣を翻した。
一か月後。
一時の争いから解放された戦士は、無意識に大きな杉の元へと向かっていた。
どこもかしこも疲弊していて、安らぎを求めていたのだ。
安らげる場所が、大きな杉にしかなかったのだ。
例えば大きな杉があの種に侵食されている、見るも無残な姿を目の当たりにする事になったとしても。
戦士は杉に辿り着いた。
戦士は杉を仰ぎ見た。
戦士は、泣いた。
声を荒げて、泣いた。
大きな杉は無事だった。
種がきれいさっぱり姿を消していた。
どうして泣いているのか。
嬉しいに決まっている。
また大きな杉の洞の中で安らげるのだから。
嬉しい。はず、なのに。
どうして胸にぽっかり穴が開いたように感じるのだろう。
おいおいおい、戦士は泣いた。
わけがわからなくなって泣いた。
人生で二番目の悩み事だ。
ちなみに、一番目は戦士になるか否かを決めた時だ。
「おい」
「おいおいおい」
「おい」
「おいおいおい」
「おい。にーちゃん。おいってば」
「いてっ」
何すんだよ。
目を三角にして振り返ると、そこには、半分に切って中身をくり抜いたヤシの実に乗って空に浮く性別不明の幼子が居た。うん多分幼子。
「え?お迎え?」
「何言ってんだ。にーちゃん。ほら。寝るぞ」
「え?何?どーゆーこと?」
どかどかどかどか。
ヤシの実の乗り物を容赦なく背中にぶつけられた戦士は洞の中に入った。
途端、どっと力が抜けて横になった。
「悪かったな。独り占めして。もう育ったから大丈夫だ。存分に寝ていいぞ」
「え?あ。ああ。うん。だけど、おまえは?」
何がどーゆー事だかさっぱりわからない戦士はけれど、幼子が旅立とうとしている事だけはわかった。
「うん。俺もいっぱい一休みできたからな。ちょっくら行って、疲れたら戻って来るよ。にーちゃん。俺と同じ大きな杉のこどもで、俺のにーちゃん。またな」
「いや俺別にこの大きな杉の子どもじゃないん。て。行っちまった」
まあいいやどうせ夢だろう。
戦士は深く考えず、久々の洞の中で思い切り休んだのであった。
「よ。久々」
「いやゆーほど久々じゃねえけど」
戦士は正体不明の幼子と一緒に洞の中で横になった。
あれから五年経ったが、幼子は幼い姿のままであり、正体不明でもあったが、戦士は気にしなかった。
とは言っても、この幼子に対して一つ悩みがあった。
五年の月日が流れて酒が飲める年になった戦士の悩み事は、酒を寄こせと言う幼子に酒を飲ませていいものか、というものであった。
「だから見た目で判断するなって、にーちゃん」
「いや無理がある。が」
「が?」
「あと十五年したら一緒に飲もう」
「あ~~~も~~~しょーがねーな。にーちゃんは。ならそれまでにーちゃんも禁酒な」
「いやだ。あ、おい、おいおいおい。いくら俺の腹が丈夫でもヤシの実をぶつけられたら。ぎゃ。あ。平気だった」
「流石は俺のにーちゃんだ」
「だから。まあいいや。にーちゃんで」
「おう」
戦士は大きな杉の洞の中で安らいだ。
正体不明の幼子と一緒に安らいだのであった。
(2023.6.16)
大きな杉の洞の中で君と休もう 藤泉都理 @fujitori
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