第328話 エデルシュタット家の食卓19「肉寿司」
リアとシアを無事に送り届け、アレックスも夏バテを乗り切ってから数日経った頃。
「そろそろトーミの産卵の時期ですなぁ」
というズン爺さんの言葉を聞いて無性に寿司が食いたくなる。
この時期の鱒に似た魚、トーミはまだ食べごろではない。
これまでの養殖と試食の経験から言うと、トーミは春から夏にかけてが一番脂が乗っていて美味い。
私は、
(いくらなんでも無いものは食えんな…)
と諦めかけたが、そこでふと、肉寿司の存在に気が付いた。
(ああ、きっとゴルの肉を炙って寿司にすると絶品なんだろうな…)
と思うと味の想像が果てしなく広がっていく。
そして私は、たまたま隣でお茶を飲んでいたリーファ先生に、
「なぁ、ゴルの肉で寿司を作ったら美味いと思わんか?」
と、ついそのことを話してしまった。
「なっ!?」
とリーファ先生が驚愕の表情を浮かべる。
そして、今にも飛び出して行かんばかりの表情で、
「よし、行くぞ!」
と言って立ち上がった。
「おいおい。いくら何でもすぐには無理だぞ」
と苦笑いで諫める。
「むぅ…。しかたあるまい。なるべく早く都合をつけてくれ」
とリーファ先生は言うが、
「あー。そうだな…。しかし、今は秋だしそろそろ税金の処理も始まる。長い事冒険に出るのはずいぶん先になるかもしれん…」
と、自分でも悲しく思いながら、今後のことを伝えた。
リーファ先生はこの世の終わりのような顔で落ち込み、ソファーにどっかりと崩れ落ちるように腰を下ろす。
するとそこへ、
「じゃぁ、私がご一緒しましょうか?」
とシェリーがまるで天使のように微笑みながら、そう言ってきてくれた。
「それだ!よし、行こう!」
と言って、またリーファ先生が立ち上がる。
「あはは。明日はお漬物の仕込みがありますから、明後日でもいいですか?」
というシェリーに、
「ああ、仕方あるまい。よし、そうと決まれば準備だな」
と言って、リーファ先生はさっそく自室へと引き上げていった。
翌々日。
「じゃぁ、行ってくる。大物を仕留めてくるから期待していてくれ」
と言ってさっそうと森へ向かうリーファ先生とシェリー、そして、コハク、エリス、フィリエをルビー、サファイアとともに見送る。
(まぁ、心配いらんだろうが、無事に帰ってきてくれよ)
と心の中で祈りつつ、私はいつものように役場に向かった。
~リーファ先生視点~
トーミ村のあぜ道を歩きながら、
「上手い具合にゴルに会えるといいがね」
と少し呑気にシェリーに声を掛ける。
「あはは。リーファ先生楽しそうですね」
と笑いながらいうシェリーに、
「おいおい、あのゴル肉だぞ?しかもそれでスシを作るっていうじゃないか。今からワクワクが止まらんよ!」
と正直な気持ちを答えると、
「あはは。そうですね。私も楽しみで仕方ありません」
とシェエリーも満面の笑顔で返してきた。
「ひひん!」(お散歩楽しいね!)
とコハクもどこか呑気な気分で楽しげに歩いている。
私たちはまさしく和気あいあいといった雰囲気で、森に入ると、ゴルが居そうな地点に向かって真っすぐに進んでいった。
途中はコハクたちのおかげでそこまで魔獣に遭わずに進む。
それでも、私がゴブリンの集団を焼いたり、シェリーが虎の魔獣、ジャールを切ったりしなければならなかった。
(まったく。この森は相変わらずだね)
と心の中で苦笑いしつつ、楽しそうに熊の肉を剥ぎ取るシェリーを見る。
思えばシェリーはずいぶんと強くなった。
動きに一切の無駄がない。
もちろんバン君ほどではないが、今ではジャールを一刀で仕留められるようになっているのだからたいした成長だと思う。
(今のシェリーならジークといい勝負になるかもしれないね…)
と密かに思い、その成長を微笑ましく思いながら、先を急いだ。
森の中を進むこと5日。
それらしい場所に出る。
「どうだい、コハク。居そうかい?」
と言うと、コハクは、
「ぶるる」(もうちょっと先かな?)
と言って、少し遠くを見た。
「そうか。じゃぁ、もう少し進んだら野営にしよう。シェリー、今日の晩ご飯はなんだい?」
とシェリーに聞く。
すると、シェリーは少し考えたあと、
「熊のお肉を味噌で炒めて、丼なんてどうですか?師匠特製の味噌タレがありますから、きっと美味しいのが出来ますよ」
と、嬉しそうにそう言ってくれた。
「ほう。そいつは楽しみだ」
と答えて先を急ぐ。
やがて、森を抜け、やや開けた場所に草地に出たところで野営の準備に取り掛かった。
「む。いいな。このちょっとした辛味がたまらん。それにこのニラの濃厚な香りとうま味が効いているのがいい。いやぁ、ドーラさん様々だね」
「はい。師匠の味噌タレは最強の冒険のお供です!」
と楽しく会話を交わしながらどんぶり飯をガツガツと食べる。
そして、その晩もコハクたちの感覚を信頼してゆっくりと体を休めた。
翌日。
「たしかこの先に草原があったはずです。その辺りが怪しいと思うんですが、どうですか?」
と言うシェリーの言葉にうなずいてまずはそこを目指していく。
すると、そんな私たちの期待を裏切らず、コハクが、
「ひひん!」(いるよ!)
と言ってくれた。
「よし、行くぞ!」
と声を掛けて、まっすぐそちらに進んでいく。
すると案の定、遠くにそれらしき姿が見えてきた。
戦いやすそうな草原に出たところで、
「落ちればどうとでもなります!」
と言ってくれるシェリーに、
「任せた!」
と短く返す。
そして、私が遠くにいるゴルに向かって、
(上手く引っかかってくれよ)
と思いながら、まずは牽制の矢を放つと、矢は外れたが、上手い具合にこちらの存在に気が付いてくれた。
(よし!)
と心の中で叫びつつ二の矢をつがえる。
そして、怒り狂ったように突っ込んでくるゴルに向かって目一杯の魔法を乗せた矢を放った。
「グギャァ!」
と叫んで少し離れたところにゴルが落ちる。
私もシェリーも素早くそちらに駆け寄ると、私は万が一に備えて少し離れた所で止まり次の矢をつがえた。
シェリーが真っすぐに突っ込み、デタラメに振り回される尻尾を軽快に避け根本近くから斬り落とす。
気のせいでなければ、
「テールスープ!」
と叫んでいた。
そして素早く悲鳴を上げるゴルの懐に入り、今度は確実に、
「ロースト!」
と言いながら、足首を落とす。
それでバランスを崩したゴルが仰向けにひっくり返ると、シェリーは、
「霜降りに傷はつけません!」
と叫んで素早くゴルの上に飛び乗り、心臓の辺りに剣を深々と刺し、完全に沈黙させた。
ゴルから飛び降り、
「…ルビーちゃんとサファイアちゃんのお土産はちょっと傷ついちゃいましたね…」
と苦笑いしながら言うシェリーに、
「なに。極上の霜降りがあるんだ。許してくれるさ」
と笑顔で返し、さっそく解体に取り掛かる。
当然、肉も、薬の材料になる鱗もたんまりと獲れた。
「帰ったら村中でゴル肉祭りですね」
と嬉しそうに微笑むシェリーに、
「ああ、肉のスシ祭りだ。忙しくなるぞ」
と笑顔で返す。
「頑張ります!」
と言って、こぶしを握り「ふんすっ」と言わんばかりにやる気を見せるシェリーと2人して笑い、私たちは笑顔で帰路に就いた。
屋敷に戻り、さっそくバン君に帰還と大猟を報告する。
すると、バン君は喜び勇んで、
「稲藁をもらってくる」
と言って、屋敷を飛び出していった。
(稲藁?)
と思いながらとりあえずリビングに入りお茶を飲んでいると、バン君は大急ぎで戻って来て、
「ドノバン、裏庭に焼き台を出してくれ。ドーラさんはシャリの準備を。ああ、かば焼きのタレっぽいものも頼む。シェリーは霜降り肉の準備だ。ああ、寿司にするのにちょうどいいくらいの柵にしてくれよ。一気に炙る!」
と言って、さっそく裏庭に向かって行った。
やがて、シェリーが、ゴル肉の柵を持って裏庭に出ていく。
私も興味津々でその様子を見に行くと、準備を整えたバン君が、
「よし。準備出来たな。味付けは塩のみだ。ああ、忘れていた。ドノバン、すまんがバーベキュー用の串を持ってきてくれ。シェリー、それをこう、扇形に肉に打ってくれないか?そしたら藁に火をつけて、高火力で一気に表面だけを炙ってくれ」
と矢継ぎ早に指示を出し、さらに準備を整える。
そして、支度が整うと、
「リーファ先生、火を頼む」
と言われ、私は適当に藁に火をつけた。
バチバチという音を立てて、稲藁が一気に燃え上がる。
そして、シェリーが頃合いを見計らって、肉の表面をさっと炙った。
肉の表面がサッと焼け、うっすらと汗をかく。
するとバン君はその状態を見て満足そうにうなずき、
「よし、後は握るだけだ。任せたぞ」
とシェリーに真剣な眼差しを向けると、
「かしこまりました」
と言って、台所に向かうシェリーをまるで戦地に兵を送り出す指揮官のような目で見つめた。
段々味の想像が付いて来た私もワクワクしながら勝手口をくぐり、食堂に向かう。
食堂にはほとんどの家族とルッツォがすでにそろっていて、そこに焼き台を片付けたドノバンとローズが加わる頃、肉やシャリが入ったスシ桶を持ってドーラさんとシェリーが食堂に入ってきた。
「じゃぁ、握りますね」
とドーラさんが微笑み、肉で寿司を握る。
そして、それを繰り返し、家族全員に最初のスシが行き渡ると、バン君が、
「いいかみんな。このスシは塩でいってくれ。あとから味の濃いのが欲しくなったら醤油よりもかば焼きのタレがいいだろう。少しまったりとした味の方が合うからな」
と言って、さっそく全員で、
「いただきます」
と言い、その肉のスシを口に入れた。
「むっふーっ!」
と思わず叫んでしまう。
私の横でシェリーも同じように、叫んだ。
「あらあら…」
「まぁ…」
「すごいですね…」
「…すごいです」
とドーラさん、マリー、メル、ローズも驚愕の表情を浮かべている。
「こいつぁ、驚きました。スシってのは肉でもできるものなんですなぁ…」
と感心するズン爺さんに、ドノバンが、感極まった顔で、
「………(コクコク)」
と激しく同意し、ジュリアンは呆けたような顔で中空を見つめていた。
ルビーとサファイアも、
「きゃん!」(すごい!)
「にぃ!」(美味しい!)
と言ってご満悦のようだ。
ルッツォはなぜか泣いている。
私はそんなみんなの表情を見ながら、自分の口の中にある味を今一度しっかりと味わった。
さらりと溶ける脂とあっさりとしたシャリ。
そして、表面を軽く炙られたことによって醸し出される香ばしさとワサビの爽やかな辛味。
そのどれもが混然一体となって完全な調和を保っている。
(ああ、そうだなこれは醤油じゃない。確かに塩だ。バン君のいうようにかば焼きのタレを少しだけ塗ってもいいだろう。しかし、この肉の美味さを最大限に引き出すのはやはり塩だ…)
そう思って、感動に打ち震えていると、ドーラさんが、
「赤身は軽くローストしておりますから、次はそちらで握りましょうね。たぶんそちらにはタレですわよ」
と微笑みながら恐ろしいことを言った。
「あ、じゃぁ取ってきます。もうお肉は十分休まっていますか?」
と言う、シェリーに、
「ええ。たぶんもうそろそろいい頃合いよ」
とドーラさんが、返すと、
「じゃぁ、ついでに切ってきますね」
と言ってシェリーはさっそく台所へと下がっていった。
「じゃぁ、どんどん握りますから、どんどん食べてくださいね」
と言って、次のスシを握り始めるドーラさんが神に見える。
「ああ…、神の味だ…」
と、こっそりバン君がつぶやいたから、おそらく同じようなことを思っているのだろう。
そこからは、シェリーも握るのに加わって、どんどん作られていく寿司をつまみながら、この上なく幸福な時間を過ごした。
食後。
一同が呆けたような表情で緑茶をすする。
「ああ…、コッツとルシエール殿にも教えてやらねばな…」
とバン君がつぶやき、
「ええ、そうですわね…」
とマリーがそれにつぶやき返した。
「ああ、ついでに父上にも教えてやるか…」
と私がつぶやくと、
「そうだな。あちらの料理人もスシが握れるようになっていればいいが…」
とバン君が心配そう答える。
その言葉に私が、
「あはは。そのうちスシ留学生でも招くかい?」
と冗談を返と、バン君は、
「ああ、それがいいかもしれんな。どうせそのうち騎士さんたちがうちに稽古に来るだろうからついでに料理人を連れて来てもらうよう、手紙を出しておいてくれ」
と言ってきた。
「おいおい。やけに前のめりだね」
と私がほんの少しだけからかうようにいうと、バン君は苦笑いしながら、
「それでこの世界がもっと美味しくなるなら本望さ」
と即答する。
そんなバン君に、私がまた、
「ははは。そうだね。エルフィエルが美味しくなれば公女としても喜ばしいことだよ」
と冗談を返すと、バン君は本当に忘れていたかのような顔で、
「ああ、そう言えばそうだったな」
と、やや目を丸くしながら、そう言った。
(まったく、これだから君って男は…)
と思って思わず苦笑いしてしまう。
私はもう一口緑茶をすすると、
「ふぅ…」
と、ひとつ息を吐いた。
美味しくて幸せな夜が更けていく。
(いつかこの感動を子供達も含めた全員で味わえる日が来るだろうか)
と、私はそんなことを想っていつも通り美しいトーミ村の夜空をぼんやりと見つめた。
新作
「はぐれ聖女 ジルの冒険 ~その聖女、意外と純情派につき~」
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「賢者はつらいよ~猫になった魔王と異世界のんびり旅~」
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もよろしくお願いいたします。
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