58章 バンドール・エデルシュタットの小さな冒険
第321話 バンドール・エデルシュタットの小さな冒険
久しぶりにひとりで森に入る。
この森の初夏の新緑は相変わらず美しく眩しい。
時折、果物をもぎ、小川のせせらぎで喉を潤しながら慣れた道をのんびりと進んでいった。
ふと目を止める。
足元に見慣れない花が咲いていた。
白い花弁で中央がオレンジ色の小さく可憐な花。
(セシリアの花…では無いな)
と思いつつも、慎重に摘み、持ってきた紙に挟み込む。
(これはきっとマリーが喜ぶ)
そんなことを思ってひとり微笑みながら、また森を進んで行った。
ここまで野営を挟んで4日。
(私の足もずいぶん遅くなったな)
と、以前ならもう1日くらいは早く着くことが出来たであろうことを思って苦笑いを浮かべる。
またしばらく進んで行くと、ゴブリンの痕跡を発見した。
(この程度なら若者に任せてもいいが…)
と思いつつも、
(最近は運動不足だったしちょうどいいかもしれんな)
と思い直してその痕跡を追っていく。
やがて、昼を少し過ぎたあたりでヤツらの巣を発見した。
とりあえず小休止を挟む。
シェリーがドーラさんから受け継いだバンポの皮とメッサリアシロップで甘く味付けした行動食を口に入れながら、
(最近はずいぶんと食が細くなった…。かつ丼に蕎麦を付けると少し胃がもたれるようになったしな…)
と、どうでもいいことを思って少し苦笑いをした。
少しの水で口を潤す。
「さて…」
私はいかにも「よっこらしょ」という感じでやや重たくなった腰を上げると、さっそく悠々とした足取りでゴブリンの巣へと近づいて行った。
静かに気を練る。
軽く集中を高めると、「ギャーギャー」とうるさいヤツらの声が消えた。
飛び掛かって来たヤツを居合の要領で一閃。
残身を取り左へ袈裟懸けに刀を振る。
素早く後ろへ横なぎの一閃を放つと、また悠然と前に進んだ。
ただ、淡々と刀を振るう。
無駄な力を入れず、動き回ることもなく、ただ、そこにあるがままに在り、空気の揺らぎに逆らわず刀を振るうとまた次へ。
(さて、そろそろか…)
そう思って何かをかわし、すれ違いざまに横なぎの一閃で胴を抜くと、辺りにヤツらの気配が無くなった。
「ふぅ…」
と息を吐き、トントンと腰を叩く。
(歳は取りたくないもんだ)
と心の中でつぶやきながら、せっせとゴブリンの山を作っていった。
燃えるヤツらに背を向けて、適当な倒木に腰掛けると、スキットルを取り出し、まずはちびりとやる。
(村のアップルブランデーもずいぶんと美味くなった。やっぱり年数をかけて寝かせると味に深みが増していい…)
そんなことを思いながら、
(これをズン爺さんが飲んだらどう思うだろうか…)
と考え少し寂しい気持ちになった。
思えばリズとユークの間に生まれた孫のユリウスが6歳になり、双子の弟妹クリスとクララはそろそろ4歳になる。
時が流れ、季節は巡り、家族の形もずいぶん変わった。
きっとそのうち、シェリーが料理行脚の旅に出て、我が家の台所はハンナが中心になって取り仕切るようになるだろう。
リーファ先生もルッツォさんもハンナの味を褒め、きっと将来はドーラさんに追いつくだろうと言っている。
リアとシアは相変わらずで、今ではすっかり中堅どころの冒険者になった。
今はエルも加えて『白猫』というパーティーを組み、東の公爵領を中心に活動している。
しかし、しょっちゅう、特にケチャップの季節になると村に帰って来るものだから、あまり離れて生活しているという気はしない。
私は、
(今年もそろそろ戻ってくる頃か…。元気にしているだろか?きっと相変わらずやんちゃなんだろうな。親としてはそろそろ落ち着いて欲しいと思ってしまうが…。人はこれを老婆心と言うのかもしれんな…)
と思って苦笑いをこぼした。
こうしてぼんやりしていると、いろんなことを思い出す。
(ジードさんは元気だろうか?あれはドーラさんと一緒にリアとシアを送ったすぐあとだったからもう10年も前になるな…。まぁ、エルフさんにとって10年なんてつい最近の出来事かもしれんが、私にとっては懐かしい…。母や姉にからかわれるリーファ先生の姿はなかなか新鮮だった)
私はあの時の微笑ましい光景を思い出し、目を細めた。
(ああ、そのあともう一度、肉食の亜竜も討伐に行ったな…。5年くらい前だったか?群れでかかって来られた時は難儀したが、うちの子達のおかげでずいぶん助かった。リーファ先生とユカリなんて、1発で仕留めていたし、ジークさんも、私が教えた騎士たちも良くやってくれた。…もう、私の助けはいらんだろう)
そんなことを思うと少し寂しいような気持ちにもなる。
しかし、それでいい。
私の剣術は引き継がれた。
刀は当面の間シェリーが引き継いでくれるだろうから心配ない。
シェリーの実力はもう、十分な所まで来ている。
うちの子達もシェリーにだったら協力してもいいと言っていたから、あとは任せていいはずだ。
そんな頼もしいみんなのことを思い出して、私はまた目を細めた。
またちびりと酒をやり、干し柿をかじる。
(このねっとりとした甘さと酒精の刺激の組み合わせがいいんだよ…)
と心の中でつぶやくと、今度はアイザックのバカのことを思い出した。
(リーサをあんなに泣かせやがって…。バカ野郎が…)
と心の中でつぶやく。
そしてふと、
(私はバンポだな…)
と思った。
この村の風習で誰かが亡くなると木を植える。
故人が村と、そして森とともに生き続けるようにと願って。
ズン爺さんはアカメ、ドーラさんは柿を選んだ。
ズン爺さんのアカメはなかなか良い木で、毎年たくさんの実をつける。
今年もきっとローズが酒の仕込みで忙しくなるだろう。
あの酒の味はしっかりと受け継がれた。
ドーラさんの柿はどうなるだろうか?
「私、干し柿が大好きですから」
と言っていたドーラさんの言葉を思い出しながら干し柿をつまみ、またちびりとやる。
そしてまた、
「ふぅ…」
と息を吐くと、再び重たい腰をトントンと叩きながら立ち上がった。
ふと空を見上げる。
私も今日で70歳。
いろんなものを見させられた。
喜び、悲しみ、出会い、別れ。
穏やかな日常の中で繰り返される悲喜こもごも。
その全てが今も私に道を示し続けてくれている。
そう。
私は道を見つけた。
そして、今もその道の先を探している。
それがどんなに幸せなことか。
そう考え、私は改めて心の中で全ての出会い、全ての別れに感謝した。
(あれから40年か…)
そんな言葉が頭に浮かぶ。
私がこのトーミ村に来てから40年が過ぎた。
来年リズとユークは30歳になる。
そろそろ潮時だろう。
そう思って離れを隠居所にしてマリーとのんびり暮らす将来を想像してみた。
しかし、日がな一日何もしないという生活がどうにも想像できない。
(さて、これからどんな仕事をするか…)
そんなことを考えて、ふと苦笑いをこぼす。
そして、
(おいおい。お前はいつからそんな仕事人間になったんだ?)
という言葉を自分自身に投げかけた。
マリーは相変わらず新しい図案を考える仕事をしているし、村のご婦人方のために手芸を教え、せっせと孫の服を作ってくれている。
毎日楽しそうに生活しているマリーの姿を思い出し、ふと、
(ああ、学問所の教員なんてのもいいかもしれんなぁ)
と思いついた。
(勉強の好きな子には勉強を教えればいいし、嫌いな子には剣術を教えればいいだろう。きっとそれが村の未来につながるし、私のやりがいも生まれる。うん。それがいいかもしれん…)
そう思いつくと、ふと先ほどまでの疲れがどこかに行ってしまっていることに気が付く。
(やはり道は続いて行くものなんだな…)
そんなことを思い、師匠のことを思い出した。
もしかしたら、師匠もこんな気持ちだったのかもしれない。
何かに道を見出して、それを未来につなぐ。
それを自分の仕事だと見極めて進めば、その先に必ず答えはあるものだ。
きっと、師匠もそんな心境になったのだろう。
そう思うと、
(これからの仕事が楽しみだ)
と思えてきた。
(何事も気の持ちようで変わるものだな)
と思いまた苦笑いをこぼす。
そしてまた、干し柿をかじると、ほんのちょっぴりアップルブランデ―をやった。
気が付けばゴブリンはすっかり灰になっている。
(さて。帰ろう)
そう思って、さっさと荷物をまとめ、いつものように背負うと、やはり、暖かい家、美味い飯、そして愛する人の顔が心に浮かんできた。
(相変わらずだな)
いつもの言葉をいつものように思い浮かべて「ふっ」とひとつ短く笑う。
そして私は軽くなった心を抱え、昔よりも少しだけ重たくなった足で、愛しい我が家を目指して歩を進めていった。
※もう1話だけ続きます。
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