第320話 ドーラさんと海07
楽しい昼食が終わった午後。
いったん部屋に戻るとリアとシアを呼ぶ。
「「なぁに?」」
と無邪気に返事をする2人私は、
「自分の道を見つけた時、自分の信じた正義のために使いなさい」
と、ひと言添えてそれぞれにその箱を渡した。
2人が箱を開ける。
私は2人が狂喜乱舞するかと思っていたが、2人は私の贈った刀をそれぞれ大切そうに胸に抱きしめると、
「「ありがとうございます」」
と言って涙を流した。
(ああ、大丈夫だな…)
私の中に確信めいた言葉が浮かび上がって来る。
泣きながら私に抱き着いてくる2人を優しく受け止め、
「驕らず、弛まず、阿らず、自分の信じた道を真っすぐに進めばいい。答えは胸の中にある」
と告げると、私もつい涙を流しながら2人頭をそっと撫でた。
やがて夕食の時間となり、また家族だけで食卓を囲む。
これで、しばらくの間会えなくなるのかと思うと、寂しさが込み上げてきたが、私もみんなも努めて明るく振舞った。
リズとユークが話す高等学校の話をリアとシアが楽しく聞き、話に花が咲く。
ユークはなんでもそつなくこなすのかと思っていたが、一応の嗜みとしてたまにある剣術の授業が苦手だったのだとか。
(運動神経は悪くない…どころか、やや良い方だと思っていたが…)
と不思議に思い、
「剣術の何が苦手だったんだ?」
と聞くと、
「人を叩くのはちょっと…」
といかにもユークらしい答えが返ってきた。
そんな話を聞いたリアとシアが、
「お兄ちゃんの代わりに天下を取ってあげるね!」
「うん。それなら私たちも一番を取れそう」
と意気込む。
私は心の中でそっと、
(やり過ぎないでくれよ)
と願いながら、子供たちが楽しそうに話すのを微笑ましく見守った。
その日の夜も、家族一緒にひとつの部屋で眠る。
明日の朝は早い。
おそらく別れを惜しむ時間はあまりないだろう。
そう思うと、寂しさが込み上げてきた。
きっと私の横で目を閉じているマリーもそう感じているのだろう。
目を閉じてはいるものの、完全には寝ていないようだ。
私はそんなマリーの手をそっと握り、
「大丈夫だ」
と小さく一声かけて、いつものように浅い眠りに落ちていった。
翌朝。
予想通り、バタバタと支度をしてエルリッツ邸の玄関を出る。
見送りに出てきてくれたオルセー殿やルシエール殿と挨拶を交わし、リズとユーク、リアとシアに別れを告げた。
軽く馬に合図を送ると、馬車が動き出す。
あんなにも言葉を交わしたのに、あんな話をすれば良かったとか、もっと伝えるべきことがあったのではないかという思いが込み上げてきた。
あんなにも抱きしめたのに、もっと抱きしめてあげればよかったという思いも胸に広がる。
私たちはみんな、そんな想いを抱えながら、川を遡る船に乗り込んだ。
ゆっくりと西の公爵領の領都、これからリアとシアが暮らすセルシュタットの街並みが遠ざかっていく。
私たち3人は甲板に出てそんな街並みを見つめた。
「あっと言う間でしたわね…」
とつぶやくマリーの手を握り、
「ああ…」
と言葉にならない返事を返す。
船はゆっくりと進み、やがてセルシュタットの町は見えなくなった。
しんみりとした空気が流れる。
「きっと大丈夫ですわよね」
とマリーがつぶやいた。
私はそれに、
「ああ。大丈夫だ」
と答える。
麗らかな春の日差しに照らされてキラキラと輝く大河の水面に魚が跳ねた。
そんなのんびりとした風景を見ながら、私は、
(きっとあの子達はこれから自分の道を見つけて真っすぐ進んで行ってくれるだろう。そして、私たちも村に戻ってまた自分の道を進む。この先どうなるかなんて誰にも分らない。しかし、これからも私たちが家族であり続けることだけは変わらない。だからきっと大丈夫だ)
と、自分の心を落ち着かせるようにそう言い聞かせる。
マリーが少しだけ私の手を強く握ってきた。
私はそんなマリーの手を優しく握り返し、また、
「大丈夫だ」
と優しくつぶやく。
マリーが、
「ええ」
と答えて私の胸に顔を埋めた。
私はマリーの髪をそっと撫で、また、
「大丈夫だ」
と今度は自分自身にも言い聞かせるようにつぶやく。
大河は相変わらず、その美しい水面に空の青と木々の緑を映し、ただただ悠々と流れていた。
私はそんな長閑な風景にふと目を細め、
「美味かったな」
とつぶやく。
すると私の腕の中でマリーが、
「もう、バン様ったら…」
と言い、おでこを押し付けてきた。
その温もりが優しく伝わって来る。
私が、
「はっはっは。私は相変わらずだな」
と笑うと、マリーが、
「ええ。バン様は相変わらずです」
と私を見上げていつものように可愛らしく微笑んだ。
私はその微笑みについつい照れて頭を掻く。
また「うふふ」と微笑んで私の胸に顔を埋めるマリーを優しく抱きしめながら、ふと空を見上げた。
我が家で待つ家族の顔が浮かぶ。
まず浮かんできたのは、ルビーとサファイアが一番に駆け寄って来て私に飛びついてくる姿。
そして、次にエリスがいつもよりも少し甘え気味に頬を寄せてくる光景が浮かんできた。
コハクはマリーに頬を寄せ、フィリエは少し遠慮気味に近寄ってくるはずだ。
そんな2人のことも撫でてあげていると、ユカリがリーファ先生の頭の上から私の頭の上に飛び移って来て歌うようにはしゃぐだろう。
それから、リーファ先生が、
「おかえりバン君、マリー、ドーラさん」
といつもの笑顔で声を掛けてきて、ズン爺さんが、
「おかえりなせぇまし」
と、いつものニカッとした笑顔を浮かべながら声を掛けてくるのが聞こえてくる。
続いて、シェリーの元気な、
「おかえりなさいませ!」
とメルとジュリアンの落ち着いた、
「おかえりなさいませ」
という声が聞こえた。
ローズの明るい、
「おかえりなさいませ」
の後に、ドノバンとエルは小さく、
「…おかえりなさい」
と言ってくれる姿が目に浮かぶ。
私たちは、そのひとつひとつに、
「ただいま」
と笑顔を向けて屋敷の中へみんなで入って行くのだろう。
そして、変わらない笑顔が食卓にこぼれ、また次の日常につながっていくはずだ。
そんなすぐそこの未来の光景を思い浮かべると、自然と顔が綻んだ。
私たち家族の形は少し変わったが、きっとこれからも日常が続く。
家族の絆は変わらない。
相変わらず我が家の食卓には明るい笑顔がこぼれ、トーミ村は長閑な日常を繰り返していくはずだ。
私はそんなことを思い、眩しい春の日差しに目を細めると、そっとマリーを抱き寄せてその髪に優しく口づけをした。
そして、長いようで短い旅が終わり、私の思い描いた通りの光景が私に再び日常を与えてくれた翌日。
いつものように木刀を振り、いつものように朝飯食う。
子供たちがいない食卓はずいぶんと静かになった。
しかし、食卓に並ぶドーラさんの飯は相変わらず美味い。
シェリーのスープも相変わらず元気の出る味だ。
リーファ先生が朝から米をお替りし、私もそれに対抗して、競うように米を掻き込めば、マリーが笑い、うちの子達も笑う。
そんな朝食が終わり食後のお茶で腹を落ち着かせると、今日も私の一日が始まった。
「さて、しばらく村を空けていたことだし、今日からまたしばらくは忙しくなるな」
私がそう言うと、マリーが、
「私もがんばりますわ」
と笑顔で張り切った様子を見せる。
私が、
「あまり無理はするなよ」
と声を掛けると、マリーも、
「バン様こそ無理はなさらないでくださいましね」
といつものように微笑んでくれた。
私の
「いってきます」
という声に、マリーが、
「いってらっしゃいませ」
と答え、いつものように私たち2人の笑顔が重なる。
そして私は今日も、いつも通り役場へと赴いていった。
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