第318話 ドーラさんと海05
「まぁ…」
本日何度目かわからない驚きの声を上げてドーラさんが目を見開く。
エルリッツ邸の台所はうちの新築した食堂をすっぽり納めてもまだお釣りがくるほど広かった。
そんな広い台所というよりも厨房の一角に作業台がひとつ空いている。
私たちはメイドさんの案内でその作業台の方へ向かった。
作業台の前には何人かの料理人が並んでいる。
私たちがその作業台の前までやって来ると、その中からひと際背の高い帽子をかぶった、背の低い女性が前に進み出てきて、私に、
「はじめまして、料理長を任されているシエラです」
と右手を差し出してきた。
私も、差し出された右手を握り返しながら、
「トーミ村で村長をやっているバンだ。今日は職場に押しかけてしまってすまんな」
と挨拶をし、
「こっちが、うちで料理を作ってくれているドーラさんだ。今日はよろしく頼む」
と簡単にドーラさんを紹介する。
「はじめまして。ドーラでございます。本日は不躾にお邪魔いたしまして申し訳ございません」
と頭を下げるドーラさんに、そのシエラと名乗った料理長は、
「いえ。お噂はかねがね。ユーク坊ちゃんもリズ嬢ちゃんも舌が肥えているもので最初はかなり驚かされましたよ」
と、にこやかに言葉を掛けると、
「さっそくですが、なんでも新しい料理をお作りになったとか?」
といきなり本題に入って来た。
おそらく料理人の血が騒ぐのだろう。
まるで子供のようにキラキラとした目をドーラさんに向けている。
よく見れば後ろで見ている料理人たちも何やらメモを持って、今か今かとその時を待ち受けているようだ。
そんな雰囲気に、ドーラさんはやはり緊張してしまったのか、
「そんなたいそうなものではありませんし…、なにより、このお料理をお考えになったのは村長ですから…」
と消え入りそうな声でそう答えた。
「ほう。村長さんが…」
とシエラさんが言って今度は私に好奇の目を向けてくる。
私は、「こほん」と軽く咳払いをすると、
「たしかに、考案したのは私だ。しかし、これから作るスシというのは単純だが奥が深い。私が言うのもなんだが、ドーラさんの腕があってこそ完成した料理だ。今日は是非とも味わってみてくれ」
と少し誇らしげな態度でシエラさんに向かってそう言った。
「村長…」
とドーラさんが、少し泣きそうな顔になる。
しかし私は構わず、
「大丈夫だ。いつもの通りやってみてくれ」
と伝え、ドーラさんに向かってしっかりとうなずいて見せた。
「そ、そうですか?」
とドーラさんはまだ緊張した様子だが、
「じゃぁ、まずはお米を炊くところから始めますね」
と言っていつものようにエプロンを腰に巻くと、さっそく大きな鍋で米を研ぎ始める。
シエラさんの目の色が変わった。
そこに浮かんでいるのは驚きと尊敬だ。
おそらく米を研ぐという何気ない動きから、ドーラさんのすごさを読み取ったのだろう。
感心したような目でじっとドーラさんを見つめている。
その視線を感じたのか、ドーラさんは、
「やっぱりなんだか緊張してしまいますねぇ」
と苦笑いながらも、いつもの要領で手際よく米を研いでいった。
やがて、米を火にかけると、
「じゃぁ、次はお魚ですが、何がありますか?」
とシエラさんに訊ねる。
「あ、ええ。今日は白身ですと、ウルとリエッカ、あとは、赤身のクルとソッチ、エビやルツ貝も用意してあります」
とそれぞれの魚やサクを指し示しながら教えてくれるが、おそらくドーラさんが初めて海の魚を触るということに気が付いたのだろう、
「捌きましょうか?」
と申し出てくれた。
ドーラさんは少し迷ったようだが、
「あの…。初めてなので、お手本を見せてもらえませんか?」
とお願いして、まな板の前をシエラさんに譲る。
シエラさんは軽くうなずくと、そのまままずはウルを捌き始めた。
鯛に似たウルが見事な手並みで3枚におろされていく。
ドーラさんはその様子を真剣な眼差しで見つめ、しっかりと目に焼き付けているようだ。
そして、ドーラさんは、鯛に似たウルが一通り捌き終わるのを見届けると、
「あの…。そちらの、えっと、リエッカというお魚でやらせていただいても構いませんか?」
と願い出た。
シエラさんはうなずき、
「どうぞ」
と言って、またまな板の前をドーラさんに譲る。
すると、ドーラさんは気合を込めたような表情で、先ほどリエッカと呼ばれた私の記憶には無い、強いて言うならスズキを小さくしたような魚を手に取ると、さっそく包丁を入れた。
料理人たちが一斉にどよめく。
おそらくドーラさんが海の魚に触ったことが無いということは伝わっていたのだろう。
しかし、ドーラさんは先ほどのシエラさんに負けず劣らずの手捌きで初めて触るリエッカという魚を捌ききった。
「やっぱり上手くできませんでしたわね…」
と、少し悔しそうな表情を見せるドーラさんにまた料理人たちがざわつく。
そんなドーラさんにシエラさんは、
「お見それいたしました」
とひと言声を掛けると、軽く頭を下げた。
「あら、まぁ、そんな…」
と謙遜するドーラさんだが、素人の私から見てもその手捌きは見事なもので、どこが上手くいかなかったのかと疑問に思うほどだ。
しかし、ドーラさんはまだ悔しそうな顔で、そのリエッカに、
「ごめんなさいね」
と声を掛ける。
きっとドーラさんのことだ。
一番美味しくしてあげられなくて、ごめんなさいね、とでも言っているのだろう。
その言葉を聞いたシエラさんが、また、
「お見それいたしました」
とひと言発した。
「あ、あの…」
とドーラさんはますます恐縮し、
「えっと、ご飯が炊きあがる前に、お酢を作っておきましょうか」
と慌てたように言って話題を変える。
そして、料理人が持ってきてくれた酢や砂糖の味を少し見ると、迷いの無い手つきでそれを合わせていった。
それを見ていたシエラさんが、
「良ければ味見用にもう一つ作ってもらえませんか?」
と願い出る。
「ええ、ええ。それは構いませんとも」
とドーラさんはようやく少し気を取り直したような表情でそう言うと、さっそくまた先ほどと同じようにすし酢を作って、シエラさんに渡した。
シエラさんが軽く味を見て、後ろの料理人たちに回す。
すると、料理人たちは必死にメモを取り出した。
「このお料理はここからが肝心なんですよ」
と言うドーラさんの言葉に、料理人の目が再びドーラさんに向く、
ドーラさんはもう、諦めてしまったのか、その視線に苦笑いをすると、
「お米の温度が大事ですから」
と言って、料理人に桶と手ぬぐいを持ってきてもらえるように頼み、さっそくシャリを作る準備に取り掛かった。
ドーラさんが持ってきた道具箱の中からうちわを取り出す。
このうちわは、このために私が村の職人に頼んで作ってもらい、今では村の夏の風物詩としてすっかり広まった。
そんな初めて見る道具に興味津々の料理人たちに向かって、横から私が、
「それはうちわと言って、扇いで風を吹かせるだけの道具だ」
と簡単に説明する。
すると、料理人たちはまた素早くメモを取り、またドーラさんに視線を戻すと、さっそく炊きあがった米を桶に移し、さっとすし酢をかけて、軽く切るように混ぜるドーラさんの手元を食い入るように見はじめた。
シャリにすし酢が回ると今度はうちわで軽く扇ぎながらシャリを冷ます。
そして、また軽くシャリを回すように混ぜると、
「はい。これで出来ましたよ」
と言って、ドーラさんは料理人たちにシャリを見せた。
「温度はこのくらいで、うちわで扇ぎながら手早く冷ますのがコツですよ」
とにこやかに説明するドーラさんは、まずシエラさんに、
「どうぞ」
と言って、シャリをひと掬い渡す。
シエラさんはなんとも言えない表情で、シャリを受け取りさっそくひと口、口に運んだ。
「………」
シエラさんは目を閉じて、咀嚼する。
どうやら味を確かめているようだ。
そして、おもむろに口を開くと、
「なるほど…」
とつぶやいた。
料理人たちにも次々シャリが渡され試食が始まる。
すると、料理人の一番後ろの方から、
「んふーっ!」
という、奇妙な叫び声が上がった。
みんなの目が一斉にそちらに向く。
すると、その目を向けられた人物は、慌てて、
「す、すみませんっ!」
と言って、がばっと頭を下げた。
見ればその人物はまだ見習いなのだろう。
料理服ではなく、いかにも食堂の皿洗い係がつけるようなエプロンをしている。
年齢も14、5歳くらいだろうか。
私がシエラさんの方に目をやると、シエラさんは苦笑いで、
「すみません、見習いのハンナと言います。どうにも元気な子で…。失礼いたしました」
と軽く頭を下げてきた。
「いや。ちょうど今度こちらでお世話になるうちの子たちと同じくらいの歳頃だ。仲良くさせてやってくれ」
と私が答えると、シエラさんは、苦笑いのまま、
「はい」
と答えてドーラさんの方へと視線を戻した。
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