第313話 家族旅行05
「静かですわね」
「ああ」
川のほとり、柳に似た木の下に設えてある石造りのベンチに腰掛け、ぽつぽつと会話を交わす。
川面を渡る風が私の頬を心地よく冷やしてくれた。
「美味しかったですね」
「ああ。この世の物とは思えない美味さだった」
「まぁ…。うふふ」
「ははは…」
滔々と流れる大河を眺めながら、またぽつりと会話を交わす。
マリーの手が私の手に重なった。
「幸せですわ」
「私もだ」
そうつぶやくように答え、
「…マリーと結婚できたからな」
と続ける。
マリーの頭が私の肩に乗り、私の耳元で、
「はい」
と可愛らしい声がした。
「私もバン様と出会えて幸せです」
「ああ。出会ってくれてありがとう」
「こちらこそありがとうございます」
そう言って、ふと会話が途切れる。
しかし、私の心は温かいもので満たされていた。
マリーの温もりを感じ、マリーの声を一番近くで聞いている。
これを幸せと言わずして何を幸せと言うのだろうか。
(私は幸せ者だ)
改めて心の中にそんな単純で簡素な、しかし、芯をついた言葉が浮かんできた。
「明日はマーカス殿に会えるな」
と私が話題を変えると、
「ええ。楽しみです」
とマリーが嬉しそうにつぶやく。
私は目の前を悠然と流れる川に目をやり、しばし、マリーの温もりに感じ入った。
そして、また会話が途切れる。
しかし、私はその静寂の時さえも幸せに感じた。
私の手に重ねられたマリーの手がわずかに私の手を握ってくる。
きっと、マリーも私と同じく、今この時を幸せだと感じてくれているのだろう。
私はなんとなく、その手の温もりからそんなことを感じた。
また、私が話を変える。
「西の公爵領へはここから船を乗り継いで5日ほどかかる」
「…遠いですわね」
「ああ…」
「ユークは…」
と寂しそうにマリーがつぶやいた。
マリーが言おうとした言葉は「大丈夫でしょうか?」だろう。
私は、マリーの手を握り、
「あの子は大丈夫だ。信じよう」
と答える。
「ええ…」
少し寂しそうながらも前を向くようなマリーの声が聞こえた。
「ああ。きっと大丈夫だ」
私はもう一度、自分自身にも言い聞かせるように、そう答える。
すると不意に「ぱしゃん」と音がした。
魚でも跳ねたのだろう。
その音を聞いて、私は、
「海はもっと広い」
とつぶやく。
「いつか見てみたいです」
「ああ。約束したからな」
「うふふ。楽しみですわ」
「ああ、楽しみにしていてくれ」
そんな会話を交わすとまたしばし会話が途切れた。
「ふふっ。幸せですわね」
「ああ。幸せだ」
「今頃みんなどうしているでしょうか?」
「きっと飯を食い終わってお茶を飲みながら、笑っているさ」
「ええ。きっとそうですわね」
私はふと、空を見上げ、
(ああ、そう言えば、この世界には月が無いな…)
と、ややどうでもいい前世の記憶を思い出す。
今にも降ってきそうな満天の星を眺めながら、改めて私はこの世界に生まれたことに心から感謝した。
ふとマリーが、
「お星さま、綺麗ですわね」
とつぶやく。
私も、
「ああ。今夜は星が綺麗だ」
とつぶやいた。
マリーと目が合う。
そして、私たちの唇が重なった。
「うふふ」
と微笑むマリーに、私も微笑み返す。
またしばらく会話が途切れて、マリーが私の肩に頭を乗せた。
私はマリーの肩を抱く。
「温かいですわ」
とつぶやくマリーに、
「ああ、温かいな」
とつぶやき返した。
また相変わらず悠然と流れる川を眺め、幸せな時間を噛みしめる。
「きっと、明日も、明後日も、ずっと幸せですわね」
とマリーが言った。
「ああ。みんなと一緒だからな」
と私が答える。
「うふふ」
とマリーが笑い、
「みんなと出会えてよかったですわ」
と私の耳元で嬉しそうにそう言った。
私も、
「ああ。みんなと出会えてよかった」
と答える。
「家族っていいですわね」
というマリーの嬉しそうなつぶやきに、
「ああ。家族はいいな」
とつぶやき返した。
またマリーと見つめ合う。
そして、もう一度唇を合わせると、私は、
「そろそろ戻ろうか」
と、ややはにかみながらそう言い、マリーも、
「はい」
と微笑みながら答えて立ち上がった。
手をつなぎ、また静かな港町をゆっくりと、今、この瞬間を噛みしめるように歩き宿屋へ戻る。
部屋に戻ると、
「おかえり!」
「おかえりなさい!」
と子供たちの元気な声に迎えられた。
「「ただいま」」
私たちの声がそろう。
「おかえり」「ただいま」という当たり前の、短い会話に家族の温もりを感じた。
マリーと見つめ合って微笑み合う。
メルとジュリアンに目を向ければ、こちらも微笑んで、
「まだ美味しいね!」
「うん。まだ美味しい!」
と嬉しそうに話すリズとユークに優しい視線を注いでいた。
きっと、2人も私たちと同じように家族の幸せを噛みしめていたんだろう。
今度は4人で笑い合う。
「なになに?」
と、リズがメルに言い、
「きっと、父さんたちもまだ美味しいんだよ!」
とユークが言った。
私は、
「ああ、まだずっと美味しくて幸せだ」
と言って2人の頭を撫でてやる。
すると、リズとユークが、
「「相変わらずだね」」
と言って、笑った。
そんな2人をまた撫でてやりながら、私が、
「はっはっは。ああ、我が家は相変わらずだな」
と笑うと、マリーも、
「ええ。うちは相変わらずです」
と微笑む。
メルとジュリアンも、
「相変わらずの家族ですわね」
「ええ。みんな相変わらずです」
と言って笑った。
みんなの笑顔が明るく広がる。
(きっと、みんなも今頃笑顔で笑っているんだろう)
私はなぜかそう確信できた。
(離れていても、私たちは相変わらず、ずっと家族だ)
そんな思いが胸に広がる。
「今日はみんなで一緒に寝よう」
私がそう声を掛けると、
「えー。ちょっとベッド狭いよ?」
とユークが言った。
「はっはっは。それがいいんじゃないか」
と私が笑い、
「ええ。それがいいのよ」
とマリーも笑う。
「そっか。まぁ、そうかもね」
とユークが言って、
「じゃぁ、今日はうちも一緒だね!」
とリズが笑った。
「うふふ。そうね」
「ああ。そうだな」
とメルとジュリアンが笑顔でリズを撫でる。
「えへへ」
と照れたように、しかし、嬉しそうにリズが笑い、メルに抱きついた。
私たち全員を温もりが包み込む。
そんな温かい空気の中で、私はまた、
(我が家はきっとずっと相変わらずだ)
と心の中でつぶやいた。
「さぁ、そうと決まれば寝る支度をしなければな」
という私の声に、
「「はーい」」
という子供たちの明るい返事が返ってくる。
その声を聞き、嬉しそうに寝る支度を始める子供達を見ながら、
(きっと、明日も、明後日も、ずっと幸せだ)
と私は先ほどマリーが言った言葉をもう一度噛みしめた。
やがて夜は更け、そしてまた、私たち家族に新しい朝が来る。
私は幸せのまま眠り、新しい幸せを感じて目覚めることだろう。
そこにはマリーがいて、いつものように微笑んでくれているはずだ。
それ以上に何を望めばいいのだろうか?
そう考えたとき、家族みんなの顔が浮かび、それぞれの笑顔が私の胸に広がった。
ささやかな日常の中にある、ささやかな幸せ。
楽しい食卓。
家族の笑顔。
穏やかな日常が繰り返されるトーミ村の全てに感謝する。
そして、私は、
(この世界に生まれて良かった)
という言葉を心の中でつぶやくと、楽しそうに笑う子供たちの後に続いて、今日という幸せな日を終える支度に取り掛かった。
明日また訪れる新たな幸せへの期待を胸に抱きながら。
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