第312話 家族旅行04
~~村長視点~~
風呂から上がり、そわそわした気持ちで料理を待つ。
どうやらこの宿の食事は部屋で食べられるらしい。
どうやらそのことも鑑みてマーカス殿はこの宿を選んでくれたようだ。
私はその気遣いに感謝しながらも、
「いよいよだな…」
とつぶやいた。
「うん、そうだね」
とユークもやや緊張気味に答える。
「どんなお味なのかしらね」
とマリーが目を輝かせると、リズも、
「リーファお姉さんが美味しいっていうくらいだからきっとものすごく美味しいんだと思うよ!」
とマリーに負けないくらいキラキラした目でそう言った。
「ははは。私も緊張してきました」
と言って緊張と苦笑いを混ぜたような表情を浮かべるジュリアンを、メルが落ち着いた声で、
「もう…。少しは落ち着いてくださいな」
と窘める。
しかし、先ほどからメルの視線もどこか落ち着かない様子だから、きっとメルも緊張しているのだろう。
私たちはみんな、それぞれに緊張と興奮を胸に抱きながらその時をじっと待った。
やがて部屋の扉が叩かれ、
「お待たせいたしました」
という声とともに、2人のメイドさんがカートを押して入ってくる。
私たちの目の前に、料理が手際よく配膳され、そのメイドさんのひとりが、
「まずこちらがお刺身と炙りの盛り合わせです。こちらの柑橘タレか塩でお召し上がりください。また本日は白子が手に入りましたので、そちらは醤油に柑橘を混ぜたタレで。卵は塩漬けですので、そのままでどうぞ。お酒は少し辛口の白ワインを用意してございます。では後ほど、焼き物と煮物、アラ汁と炊き込みご飯をお持ちします。ごゆっくりお召し上がりくださいませ」
と、慣れた様子ですらすらと料理の説明をしてくれた。
目の前に並んだ、ものの見事に白で統一された料理の数々に、全員の目が釘付けになる。
誰かが、いや私かもしれないが、とにかくどこかから「ごくり」という音が聞こえると、
「じゃぁ、さっそくいただこう」
という私の声をきっかけに、
「いただきます」
の声が重なりみんなが一斉に料理に箸を伸ばした。
私がまず箸を伸ばしたのは刺身。
やはり初手は素材そのものの味を確かめたい。
そう思って、塩で食べる。
口に入れた瞬間、私の舌、いや、脳に衝撃が走った。
(や、柔らかい。いや、しかしねっとりもしているし、程よい繊維質も感じる。まるでトロとホタテと新鮮なイカを同時に食っているようだ…。それにこのうま味!?牡蠣と鯛を足して2で割った…いや、2を掛けたようなこの強烈なうま味はなんだ?いや強烈なだけじゃない。奥深く繊細な味わいがある。未知だ。これは全く未知の美味さだ…。まさに筆舌に尽くしがたい…。本当にこの魚はクラムチャウダーの海で生まれ育ったとしか思えん。いや、あの味すら超えている。間違いない。これこそ魚貝の頂点だ!)
私は、思わず天井を見上げる。
「…美味しい。美味しいよ、父さん!」
と言うユークの声でふと我に返った。
「すっっごく、美味しいね!」
というリズの言葉がもっともこの味を端的に、かつ的確に表しているかもしれない。
とにかく美味い。
そのひと言に尽きる。
私は、リズとユークのキラキラと輝く無邪気な瞳に重々しく「うん」とうなずくと、今度は炙りを柑橘タレにつけて口に運んだ。
(おぉ…。これはこれで…)
口に入れた瞬間、皮目の脂がさっと溶け出す。
(食感は先ほどの刺身と同様だが、焼き目の香ばしさと皮目からしみだしてくる脂の甘さがたまらないな。刺身よりも味に奥行がある。なるほど、これはこの柑橘タレで食えという訳だ。醤油ではこの甘さと香ばしさが活かされない。…なんとも良く出来た料理だ)
私はたまらずワインに手を出した。
きりりとしまった口当たりが口の中をさっぱりとさせてくれる。
しかし、それだけではない。
先程の脂の甘さがより引き立ち、私の口の中に華やかという言葉では足りない、まさしく、百花繚乱の余韻が広がった。
(最初の2品でこの破壊力…。私はとんでもないものに手を出してしまったのかもしれない)
そんな戦慄を感じながらも、箸を止めることが出来ず、次は白子に手を伸ばす。
ひと口食べた瞬間、これまでに感じたことのない衝撃を覚えた。
(甘い!身よりも濃縮されたうま味もさることながら、このねっとりとした甘みがたまらない。これは酒だ!)
私は迷わずワインを飲む。
すっきりとした味わいと甘味の余韻が先ほどにも増して私の脳、全体に広がった。
私はきっと、恍惚とした表情で固まっていたのだろう。
マリーが、
「バン様、どうなさったんですか?」
と声を掛けてくる。
私はその声にハッとして、
「いや、すまん。あまりの美味さに我を忘れてしまっていた」
と、正直に自分の今の状況を伝えた。
「まぁ。バン様ったら。相変わらず…、と言いたいところですけど、そのお気持ちよくわかりますわ」
とマリーも少し照れたように笑う。
そんなマリーに私は、ひとつうなずくと、
「ああ。仕方ない。この美味さは尋常じゃない。…私たち家族はとんでもないものに手を出してしまったのかもしれんな」
と真顔でそう返した。
その後、卵の塩漬けを口に入れ、その噛んだ瞬間ミルクがあふれ出したのかと思うほどの一種独特の味を堪能し、また酒をひと口飲む。
そして、ふと、
(いかん。先ほどのメイドさんは、この後まだ焼き物、煮物、アラ汁、炊き込みご飯があると言っていたはずだ。ここで飲みすぎてはいけないぞ。しかし…。これは止めるのが難しい…)
と気が付いた。
そんなことに気が付いて、ふと斜め前を見てみると、ジュリアンもワイングラスをじっと見つめて何やら難しい顔をしている。
(なるほど、どうやら考えは同じらしい)
そう思って、ジュリアンに、
「飲み過ぎには気をつけよう」
と言うと、ジュリアンはハッとした様子で、重々しくひとつうなずいた。
それからは、比較的落ち着いて飲む。
私もジュリアンも何とか自分の欲望に打ち勝ち、「大人の飲み方」をしていると、そこへ頃合いを見計らったかのようにメイドさんがやって来た。
そして、料理を配膳しながら、
「こちらの焼き物とトマト煮には赤ワインがよく合いますので」
と告げる。
私にはその言葉が悪魔のささやきにしか聞こえなかった。
火が通ったオルバの味を例えるなら、あの油漬けと生の中間と言ったところだろうか?
油漬けでは感じられなかった瑞々しさがあり、生よりもさらにうま味が増している。
(たしかに、メイドさんの言った通りだ。この肉にも負けない濃厚で深い味わいは赤ワインの渋みと良く合っている。なるほど…。生もいいが、これは火を通して食う方が正解の食べ物なのかもしれん)
私はそう感じ、ほんの少しだけ自分に負け、ワインをついつい飲み過ぎてしまった。
(あの炊き込みご飯とアラ汁のさっぱりとしながらもしっかりと心を落ち着けてくれる優しいうま味がなければ今頃酔いつぶれていたかもしれん)
と思いながら、程よく〆られた腹をさする。
当然、私の目の前からはオルバがきれいさっぱり消えていた。
そんな光景に寂しさを感じつつ、
「美味しかったわね」
と笑うマリーに、元気よく、
「「うん!」」
と答える子供達の笑顔を心の底から微笑ましく思い、温かい気持ちで眺める。
私はそんな光景を見ながら、
(ああ、きっと私がこれまでオルバを食い逃していたのは、この日、この幸せの中で、この魚の本当の美味さを味わうためだったのかもしれん)
と本気でそう思った。
「本当に美味かったな」
と私も子供達に微笑みかける。
「うん。父さんありがとう!」
「村長ありがとう!」
という子供たちの笑顔で、今度は私の心が程よく〆られた。
その幸せそうな笑顔に無上の喜びを感じる。
私は思わず泣きそうになってしまうのを何とかこらえ、ほんの少し照れ隠し気味に、
「ちょっと酔い覚ましに外の空気でも吸って来るよ」
と言いながら席を立った。
「私もご一緒してよろしいですか?」
と聞きながら席を立つマリーに、
「もちろんだ」
と答えて、宿を出る。
出掛けるとき、受付にいた女将に聞くと、川沿いにベンチが設えてある場所があるから、そこなら夜風が涼しくて酔い覚ましにはちょうどいいだろうと言う事だったので、簡単に場所を聞き、夫婦2人で夜の港町を散策するようにゆっくりと歩いて、そのベンチのある場所を目指した。
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