第303話 エデルシュタット家の大冒険16

ヤツの体をひっくり返すという作業は難航したが、なんとかみんなの力を合わせて成し遂げる。

やはり森馬の力はすごい。

それを改めて知った。

まずはヤツの上に登る。

トレーラー並みのヤツの巨体をどう捌いたものかと思ったが、とりあえず人数分の肉があればいいだろうと思い、胸の辺りに思いっきり刀を突き刺した。

やはり腹側は柔らかく、やや苦労したもののなんとか刃を入れることが出来た。

(これは、魔石までは無理だな…)

と思いつつ、なんとか一抱えほどの肉を剥ぎ取る。

そして、それを麻袋に詰め込むと、いったん野営地へと戻って行った。


野営地に戻った私はさっそく調理に取りかかる。

調理方法は悩んだが、まずは焼いて食うのが正解だろうと思って、ステーキにすることにした。

エデルシュタット家の面々は期待の表情を浮かべ、エルフィエル騎士団の面々は不安の色を滲ませている。

ヤツの肉は見た感じ薄い赤。

ちょうど牛肉と豚肉の中間くらいの色と言った所だろうか。

とにかくこれまでに見たことがない色をしている。

サシはあまり入っていないから、脂が少ないのだろうかと思いつつナイフを入れると、その刃にはっきりと脂が付いた。

(もしかしたら意外とジューシーなのかもしれないぞ?)

と、高まる期待に胸を躍らせつつ、さっそく塩とハーブで下味をつけ、焼いていく。

「じゅっ」

と小気味よい音を立てて肉がスキレットの上に乗ると、とたんにいい香りが広がった。

その香りを何と例えればいいのだろうか。

甘い脂の香りと肉の持つうま味たっぷりのあの香、そして、焼かれた時のあの香ばしさ。

そのどれもがあるのは他の肉と変わりないが、そのどれもが繊細かつ華やかなものに感じられる。

(これは…)

私が驚いていると、リーファ先生が、

「…期待以上なんじゃないかい?」

と私の横でゴクリと喉を鳴らしながらそう言った。


ルビーとサファイアも

「きゃん!」(すっごく良い匂いだね!)

「にぃ!」(生もあるよね!?)

と言ってソワソワしだす。

私の期待もこれ以上ないほど高まり、

「ああ。これはひょっとしたらひょっとするぞ…」

と、じっくりと焼かなければという思いと、早く食いたいという思いの狭間でじりじりとしながらその時を慎重に見極めた。


やがて、最初の1枚が焼きあがる。

まずは試食用に1枚。

さらさらとした脂が程よくしみ出したスキレットから肉を取り出し、8等分にした。

「にぃ…」(生じゃない…)

とやや寂しそうに言うルビーに、

「まずは焼いた物を食べて安全を確かめてからだ。安心しろ、まだまだ肉はあるからな」

と言って宥めさっそく全員に配る。

「よし、行き渡ったな…」

という私の声に全員が重々しくうなずき、

「いただきます」

という号令とともに、さっそくその肉を口に入れた。


全員に衝撃が走る。

「むっふーっ!」

「わふーん!」

「んにぃー!」

という言葉にならない魂の叫びが上がった。


(肉だ。これは間違い無く肉だ。しかし、肉の中の肉と言っても過言ではない。全てを内包し、全てを超越した存在。それがこの肉を表現できる唯一の単語だ。熊肉よりも甘味が強く、ゴル肉を超えた口溶けの良い脂。それがしつこさを微塵も感じさせない圧倒的な上品さを持ち、独特の華やかな芳香を放っている。それに加えてこの食感だ。適度な弾力があるにも関わらず、噛めば口の中でほろほろと解けていくこの食感はなんだ?最初のひと噛みはステーキ、そして、次の瞬間ビーフシチューに変わるだと!?いったいどういうことだ?しかもこのうま味。まるで加工肉のように凝縮されたうま味が爆発的に口の中に広がっていく…。しかしそのうま味はどこまでも繊細だ。これを何と例えればいいのだろうか?『蝶のように舞い蜂のように刺す』だろうか?いや、これはなんとも表現が難しい…)

私の頭の中を衝撃と混乱が入り混じって駆け巡る。

そして、私は天を仰ぎ、

「この世界に生まれてきてよかった…」

とひと言発した。


全員が言葉を無くす。

ある者は呆然とし、ある者は恍惚として、我を忘れた。

そして、その全員が今「幸せ」を噛みしめている。

果たしてどのくらい時間が経ったのだろうか?

その忘我の境地からいち早く目覚めたのは、ルビーだった。

「にぃ!」(生!)

という言葉で私も我に返る。

「あ、ああ…」

という言葉で再び肉を切り始めると、今度はリーファ先生とサファイアから同時に、

「お替り!」

「きゃん!」(お替り!)

の声がかかった。

私もようやく我に返る。

「よし、どんどん焼くぞ!」

と声を掛けると、さっそくその肉の中の肉に挑みかかっていった。


全員の腹が満たされ、ルビーとサファイアが私の膝の上でうとうとし始める。

私たちはまた我を忘れ、しばらく無言でお茶をすすった。

「…ははは。これは父上にいい土産話、いや、自慢話ができましたよ」

とアインさんが最初に口を開くと、

「ははは…。きっと父上は悔しがるだろうね」

とリーファ先生も苦笑いで続く。

「しかし、これだけ美味いとなると、本格的に狩りたいところだが…」

とジークさんは苦悶の表情を浮かべた。

なるほど、森のためにも、自分たちの胃袋のためにも積極的に狩るべき存在なんだろう。

しかし、ヤツを倒すのは至難の業だ。

今回はたまたま私の刀とうちの子達の力という物が組み合わさって狩ることが出来たが、私が常にこの討伐に参加することはできない。

となれば、ジークさんの苦悩もうなずける。

そんなジークさんに、

「まずは矢の改良だね。魔導工学の専門家を総動員することになるかもしれないが、あの大型用の矢の精度と威力を増すことを考えた方がいい。次に騎士の実力の底上げが必要になるけど、それはバン君にも協力してもらえば少しは早く進むんじゃないかい?魔力操作の得意な連中にあの魔力循環の方法を教えて、魔力を纏わせるのに適した剣を用意すればある程度対抗できるはずだよ。…まぁ、どちらも時間はかかるだろうがね」

とリーファ先生が声を掛けた。


「ええ。前にも言った通り、騎士の実力向上は私が先陣を切って、バンドール殿から学ばせていただきます。その後も定期的に人を送り込めば2、30年後にはそれなりの形になるでしょう。おそらく、この周辺の調査と防衛体制のさらなる強化にもそのくらい時間がかかるはずです」

と、なんともエルフさんらしい時間感覚で答えるジークさんの言葉に、私は苦笑いを浮かべる。

2、30年後と言えば私は70か80歳だ。

そんなに長く生きていられるだろうか?

そんなことを考えていて、ふと気が付いた。

(…今日は私の誕生日じゃないか?)

と。


気が付けば私も50歳。

この世界では孫がいても全くおかしくない年齢だと思うと、もはや、おっさんというよりもじいさんの方が近い。

そう思うと、なんともやるせない気持ちになる。

だが、同時にこれで良かったのだろうという気持ちにもなった。

私は他人より、ずっと遅まきの人生を送っているのかもしれない。

だが、それは裏返すと、それだけじっくりと自分の道を踏みしめながら確実に成長してきたということだ。

早く成長すれば、成長した後の楽しみを存分に味わえるのだろう。

しかし、成長する楽しみは一瞬しか味わえない。

私は自分の道をじっくり時間をかけて見つけたんだ。

そう思えば、自然と自分の人生が誇らしいもののように思えてくる。

それぞれの人間にそれぞれの人生があり、どの人生が素晴らしいとかそういうことは一概に言えない。

だが、私は気が付いた。

自分の道を探して歩く人生の素晴らしさに。

時に迷い、嘆き、くじけながらも進む道の先に何があるのかはわからない。

しかし、そのわからない先を必死に見定めながら、心のままに、自分の信じた道を歩むこの人生は、私にこの上ない幸せを与えてくれている。

トーミ村の村長になり、最初は3人の生活だったのが、ルビーとサファイアに出会ったことをきっかけにどんどん家族が増えた。

そして、今も私たち家族はより家族としての絆を深め、もっと家族になろうとしている。

血縁も何もない人間が集まって、お互いの優しさと信頼で結ばれ、家族になっていく。

そのことが家族というものの本質なのではないかと最近になってようやく気が付いた。

家族の基本は愛情と信頼で結ばれた絆だ。

それ以外に必要なものなど何も無い。

私たち家族はこれからも家族をしての絆を深め、先へと進んで行く。

これから先どうなって行くのかなんてわからないが、「みんながいれば大丈夫」そう思わせてくれるのが家族だ。

ひとりの力では何もできない私が、家族のおかげで自分の居場所を見つけ、自分の道を見つけることができた。

それがどんなにありがたいことか。

そんな事を思い、ふと、自分の左手を見つめると、そこに巻かれた組紐は、今回は切れずに残っている。

みんなの分もそうだ。

私たち家族の絆は切れることなどない。

その組紐は私にそんなことを教えてくれているように思えた。

そんなことを思って空を見上げる。

いつものように美しく瞬く星に向かって、私は家族の顔をひとりひとり思い浮かべながら、

「さて、おうちに帰るまでが冒険だったな…」

とつぶやいた。

星は変わらずそこにある。

きっと私たちの絆も未来永劫変わる事なく、存在し続けるのだろう。

私にはそんな希望が見えたような気がした。

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