50章 リーファの旅
第273話 リーファの旅01
トーミ村を出た私は、寂しさという荷物を引きずりつつ、まずはアレスの町を目指す。
この旅の目的は大まかにふたつ。
ひとつはバン君にまつわる大人の事情に関する協議及び刺せそうな釘があれば刺しておくこと。
もうひとつはあの病気に関する謎解明の手掛かりを得ること。
エルフィエルからの報告では、ずいぶんと救命率が上がっているらしい。
しかし、中には完治できない例もあるし、残念ながらまったく歯が立たなかった例もあるとのことだった。
両方とも先天的かつ乳幼児期から重篤な症状がある場合がほとんどらしく、そのことが目下、課題となっている。
治療にあたる医師の技術の向上も欠かせないが、とにかく原因究明に向けて何かきっかけをつかみたい。
そんな思いが私の中にあった。
そんな大きな目的のついでと言ってはなんだが、例の民間療法に関する情報も集めたいと思っている。
その中にはまだ私の知らない薬草だってあるだろうし、香辛料として使えるものもあるかもしれない。
バン君ではないが、この世界がもっと美味しくなるきっかけがそこにあるのなら、探してみたいと思ってしまうのは食いしん坊の性というやつなのだろう。
とにかく、私はそんな重要な仕事を抱えて、歩を進めた。
ほどなくしてアレスの町に着くと、時刻は午後。
(最近、アレスの町の飯が美味くなったと聞いたが本当だろうか?)
と思いながらもまずはバン君の実家を訪ねる。
貴族家のことで急な訪問の場合1日くらい待たされるだろうと思っていたが、すぐに会えることになった。
(なんともバン君の実家らしい対応だな)
と苦笑いしながら、門をくぐる。
応接間へと案内されると、
「お初にお目にかかる。リーデルファルディ先生。あれの兄でアルバート・エデルと申します」
そう言って、意外にも綺麗な礼を取ったバン君の兄に、
「こちらこそお初にお目にかかる。リーデルファルディ・エル・ファスト・デボルシアニーだ。リーファでいい」
と簡略な礼を取って右手を差し出す。
するとエデル子爵は苦笑いで、
「いつもあのバカがお世話になっているそうですな。改めてお礼申し上げる」
と言いながら私の右手を握り返してきた。
(なるほど、兄弟だね)
私はその素っ気なくも気安い話し方がいかにもバン君そっくりだと密かに思いながら、
「ああ。何かと世話をしているよ」
と冗談を返した。
「はっはっは。引き続き世話をしてやってください」
そう言って、私に椅子を勧め、お茶と羊羹を持ってきた執事が下がると、
「さて、今回もあのバカがなにかやらかしたと聞き及びましたが?」
とさっそく羊羹をつまみながら仕事の話を切り出す。
私はそんなエデル子爵の態度に驚き半分納得半分というような感じで苦笑いしつつ、こちらも羊羹をつまみ、
「ああ。今のところエインズベル伯爵家とエルリッツ商会、そしてエルフィエルが上手くやってくれているから問題ないだろう。ただ、バン君のことだ、どうせまたやらかすに決まっている。だから、王家に刺せる釘があれば刺しておきたい。何かないかい?」
といかにも気軽に聞いてみた。
私のそんな質問にエデル子爵は、
「あいつと王家の絡みは知っての通り、…末席の王子を助けてしまったことくらいです。一応はその恩…というほどのものでもないが貸しもあるし、本人もできれば中央や政治とは関わり合いになりたくはないと思っているからおそらくは大丈夫でしょう。しかし…」
と答えながらも途中で言葉を切る。
「しかし?」
訝しがる私にエデル子爵はやや曇った表情で、いきなり言葉を崩し、
「そろそろ代替わりらしい。王太子はなかなかの器だが、よく言えば積極的で精力的、悪く言えば勢いまかせで強引な所がある。上手く御せればなかなか胆力のある優秀な人物。御せなければただの暴れ馬になりかねん。そんな王太子が功を焦ったり、どこかの馬の骨の言うことにコロっと騙されたりしなければいいが、と思っている」
とため息交じりにそう言って、紅茶をひと口飲むと、また羊羹をかじった。
私は、
(ほう。意外と甘党らしいな…)
などと変なことを思いつつも、
「そこに刺せそうな釘は?」
と直接的に聞いてみる。
どうやら実務家らしいエデル子爵にはこういう聞き方が正解だろう。
そう思ったが案の定、エデル子爵は、
「話が早くて助かる」
と言ったあと、
「あっち側に刺せそうな釘は今のところ無い。一応、現王には、『これ以上の負担はやめてくれ』とひと言申し上げたが、代が替わればまた別の釘を探さなければならないな。それには時間がかかる」
と言い、今度は先ほどよりも鋭い視線を私に向けながら、
「だが、あちらに釘が刺せないなら、こちらも釘を刺されないようにしてしまえばいい。どうやらリーファ殿はエルフィエルの上層部に何らかの伝手があるようだが、バンのバカに勲章のひとつでもやることは可能か?」
と意外なことを言ってきた。
「勲章?」
私はまたエデル子爵に訝しがるような視線を送る。
そんな私に向かって、エデル子爵は、
「ああ。王国の貴族が他国から勲章をもらうのは、少ないが無いことじゃない。感謝状とか友好の印とかそんな感じの軽いやつだ。そんな感じでバンがエルフィエルから勲章でももらえば、エルフィエルの恩人とか友好的人物という扱いになる。そうすれば、王家がバンに手を出してきたとき、文句の一つくらいは言えるようになるだろう」
ややシニカルな表情でそう言った。
そんな案に私は、それだけでは弱いのではないか?という意味を込めて、
「ほう。それで?」
と続きを促がす。
すると、エデル子爵は軽くうなずき、
「おそらく内政干渉だと言われればそれで終わりだ。しかし、今の王国はエルフィエルとの関係を悪くしてまで目先のちょっとした利益を欲しがらなければならないほど困ってはいないし、バンのことは『冒険者上がりの煙たい田舎者』くらいにしか思っていないはずだ。すぐに手を出してくることはないだろう。…まぁいろいろバレなければ、だなが」
と言うと、また紅茶をひと口飲んで羊羹をかじった。
「なるほど」
私は一応納得しつつも、
「勲章を与えるかどうかはともかく、仮に与えたとしたら、そのことで『色々』がバレてしまうということにはならないかい?」
と軽く聞いてみる。
すると、エデル子爵は、
「ああ。その辺はやり方を考える必要がある。武功を出すのは悪手だ。それに、利益の供与も悪手だろう。なにか…、そうだな、例えば、研究熱心なエルフのお姫様のために、村に別荘を建てて差し上げた、なんてどうだ?」
と何でもないことのようにそう言った。
(ちっ!)
心の中で軽く舌打ちをする。
(たしかに、薄々知られているとは思っていたが、こうも堂々と手札として切って来るとはね…)
そんなことを思って、これ以上の腹の探り合いは無駄だと感じた私は、潔く隠し立てするのをやめた。
そんな覚悟とは言えない程度の軽い覚悟を決めた、私は、
「なるほど。まぁ…武功については上手く隠せばいいだろう。私がやったことにすればいい。それに経営手腕やらその他の発見についても私が助言したことにしてエルリッツ、あとはエインズベル伯爵に協力してもらえばなんとかできる。そっちはそれで当面は大丈夫という見積なんだね?」
と、エデル子爵にシニカルな視線を送りながらそう聞く。
そんな私の発言に、エデル子爵は苦笑いで
「ああ」
と答え、また何でもないことかのように、
「当面はそれでいい。その間に新しい『釘』はこちらで用意しておく」
と、さらりとそう言った。
私はもう、笑うしかなくなって、
「はっはっは。まったく。バン君といい君といい、なかなか食えない兄弟だね」
と、言って右手を差し出す。
そんな私の右手を、エデル子爵は、
「お褒めにあずかり光栄の極みにございます」
と、わざとらしい敬語でそう言いながら、恭しく握り返してきた。
泊まっていくか?
と聞くエデル子爵に、
「こんな伏魔殿に泊まる勇気は無いさ」
と冗談を返し、とっとと屋敷を後にする。
(なるほど。私が身分を明かせばそれだけで済む。まぁ私にとっては面倒が増えるかもしれないが、さしたることもないだろう。結局は、これまで通り家族と一緒に生活するってだけのことじゃないか)
そんなことを思うと、これまでああだこうだと考えていた過去の自分がおかしく思えてきた。
(まったく。本当に食えない兄弟だよ)
私はそんなことを思いながら雷亭への道を急ぐ。
(さて、今日の飯はなんだろうね?…いや、そう言えば最近アレスの町の料理が美味くなったと聞いたが…。よし、今日は少し趣向を変えて、場末の飯屋にでも飛び込みで行ってみよう。宿屋の飯は惜しいがその分明日の弁当を豪華にしてもらえばいい)
私は急にそんなことを思いつくと、いったん雷亭に戻って訳を話し、適当な飯屋を教えてもらった。
夕暮れのアレスの町の商店街の雑踏を抜け、一本の裏路地へと入っていく。
雷亭の主人に教えてもらった店はすぐに見つかった。
紙で出来た真っ赤なランタンと縄で出来た短い、やたら寸足らずなカーテンとも幕とも言えない妙なヒラヒラをくぐってその店に入る。
そして、
「おっちゃん、カツ乗せね!」
とさも常連っぽく頼むと、おっちゃんが持ってきてくれた「カツカレー」を思いっきり腹に詰め込んだ。
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