39章 緊張の夏
第238話 緊張の夏01
夏も4月。
私は今、41年間の人生でもっとも緊張感に包まれた日々を送っている。
たぶん、2人のお産の時期が近い。
もう、マリーのお腹ははちきれんばかりだが、私にそんなお腹を見て人体の不思議を感じる暇はない。
とにかく、毎日が緊張の連続だ。
マリーやメルは時々きつそうにしているが、お腹が空いたと言えば病気なんじゃないかと疑い、腰が痛いと言えばどこか骨にでも異常があるのではないかと調べようとしてリーファ先生に呆れた顔で怒られる。
そんな日々を送っていた。
そんな状況はジュリアンも同じだったらしく、
「『あまり構い過ぎるな』とメルにもリーファ先生にも怒られてしまいました」
と言って、落ち込んでいた。
そんなジュリアンの横で、私も、
「いや、知っての通りそれは私も同じだ…」
と言って、2人してため息を吐き、お茶を飲む。
そして、診察が終わり、リーファ先生がマリーとメルを連れてリビングにやって来ると、やはりあれこれ質問して、また怒られた。
「…まったく。妊娠は病気じゃないんだ。油断はいけないが心配し過ぎも妊婦の負担になると言ったのを忘れたのかい?」
というリーファ先生のお説教を縮こまって聞く私たちをマリーとメルが微笑ましそうに眺めている。
「…まぁ、気持ちはわからんでもないけどね。しかし、もうすぐ父親になるんだから、もう少し気持ちを強く持って欲しいものだよ」
とため息を吐きながらそう言うリーファ先生だったが、
「ああ、そうそう。おそらくだけどメルの方が早く生まれるよ。10日かそこらかな?あと少しだ。とりあえず、助産師さんに連絡をしておいてくれ」
と言うと、さっさと自室に戻っていった。
そんな話を聞いた私は、さっそく助産師さんのところへ向かう。
くれぐれもよろしく頼む、と頭を下げる私に助産師さんは恐縮したり苦笑いしたりしていたが、最後に、
「何度か診させてもらいましたが、お2人とも順調ですよ」
という言葉をくれたので、少し安心した。
少しの安心を抱えつつも急いで屋敷に戻るとさっそくリビングに向かう。
マリーとメルはうちの子達と一緒にソファに座って、ゆっくりとくつろぎながら編み物をしていた。
「ちょっと気が早いかもしれませんけど、この子達の防寒着を編んでいますのよ」
と言って、優しく自分のお腹をさすりながら、
「可愛いのを編んであげますからね」
と言って微笑むマリーと、
「お嬢様…じゃなくて、奥様のお子様とお揃いですよ。良かったわね」
と嬉しそうにお腹に向かって話しかけるメル。
そんな2人を見て、私は、
(母は強しというが、本当だな…)
と思って感心してしまう。
そんなマリーの隣に座り、やはり私もお腹を撫でてやりながら、
「トーミ村のリンゴは美味いぞ。バンポやチールだって美味い。離乳食は期待していてくれ」
とお腹の子に向かって声を掛けた。
「まぁ、バン様ったら。相変わらずですのね」
と言って笑うマリーとメルの笑顔にほっとする。
(私が焦ったところで何にもならない。焦る気持ちも不安な気持ちもあるが、落ち着かなければ…)
そんなことを思って、
「ゆっくりでもいい。元気に生まれてきてくれよ。温かい食卓を用意してみんなで待っているからな」
とまた、マリーのお腹を撫でてやりながら、子供に向かって話しかけると、
「きゃん!」(もうすぐ会えるね!)
「にぃ!」(お姉ちゃんも待ってるからね!)
とルビーとサファイアも嬉しそうにマリーとメルのお腹に頬ずりした。
マリーとメルは、
「うふふ。頼もしいお姉さんだこと」
「ええ。とっても素敵なお姉様です」
と微笑みながら、うちの子達を撫でてやる。
うちの子達は気持ちよさそうに撫でられながら、マリーとメルの膝の上で、
「くぅん…」
「ふにぃ…」
と鳴いて今度は甘えだした。
そんな様子に「うふふ」と笑うマリーとメル。
そんな光景に私も微笑ましい気持ちになる。
そして、これまでの不安が少しだけ小さくなったような気がして、少し気持ちを落ち着かせると、
(大丈夫。みんなが応援してくれている。それに、一番不安なのはマリーとメルじゃないか…。それなのに私は自分ばかり焦って…。私はやはり未熟だ)
という反省の気持ちも湧いてきた。
そこへジュリアンもかえって来たので、みんなでお茶にする。
4人でゆっくりとくつろぎながら、いろいろな話をした。
体調のこと。
お互いの不安。
これまでのこと。
これからのこと。
いろんな話をして、お互いに嬉しくなったり反省したりする。
そんなやり取りの中でわかったことは、結局みんなが温かい気持ちで応援しているし、それをメリーとメルもいつも感じているということだった。
そんなことがわかって4人で笑い合う。
穏やかな時間が流れ、いつの間にか昼寝をしてしまったルビーとサファイアを時折優しく撫でながら、静かなお茶会は楽しく進んで行った。
そして、月日はあっと言う間に流れる。
ついにその日がやって来た。
夕方。
リーファ先生の言葉通りまずはメルが産気づき、苦しそうな声を上げる。
前世の知識的に、大変なものだという知識はあったが実際に目の前にしてみると、それは想像をはるかに超えていた。
おろおろする私とジュリアンに、リーファ先生が、
「落ち着き給え。お産にはそれなりに時間がかかるものだからね。とりあえず助産師さんを呼んできてくれ」
と落ち着いた声を掛けてくれたのでなんとか我に返る。
「ジュリアンはメルについていてやってくれ。私が助産師さんを呼んで来よう」
私はそう言うと、厩に向かった。
厩に着くと、そこにはズン爺さんがいて、すでに馬車の準備をしてくれている。
コハクとエリスもやる気十分の様だ。
私は「ありがとう」と礼を言って、さっそく馭者席に乗り込むとコハクとエリスを案内して助産師さんの家へと急いで向かった。
屋敷に戻ると、すぐに助産師さんを案内する。
部屋の前では青ざめた顔でジュリアンがおろおろとしていた。
(きっと私の時は私がこうなるんだろう…)
そんな想像をしつつ、無言でジュリアンの肩を軽くたたき、励ます。
そんな私に、
「ここからは父親の出る幕は無いんだそうです…」
と力なく言うジュリアンに、とりあえず、
「せめて邪魔にならないところに行こう」
と言って、ひとまずリビングへと移った。
忙しそうなみんなに代わってお茶を淹れる。
悠長にお茶なんて飲んでいる場合ではないのかもしれないが、なにかしていないと落ち着かなかった。
そして、ふと、何か作業の合間につまめる軽食でも用意してやれば何かの助けになるんじゃないか、と思って台所に行く。
しかし、そこにはすでにおにぎりやサンドイッチを作るシェリーがいて、
(ここでも邪魔になるな…)
と思い苦笑いでリビングへと引き返した。
(本当に出る幕が無いらしい…)
なんとも言えない無力感に苛まれる。
メルの部屋の方から聞こえるドタバタとみんなが働く音。
メルを励ます声。
そして、メルの苦しそうな声。
そのどれもが私の胸を締め付け苦しくさせた。
しかし、この場で一番苦しい思いをしているのはジュリアンだ。
私にできることと言えばジュリアンの隣に座ってやっていることくらいだろう。
そう思って、時々立ち上がっては所在無さげにリビングをうろうろと歩き回るジュリアンを眺める。
いったい何時間が経ったのだろうか。
ついに産声が聞こえた。
立ち上がってジュリアンと顔を見合わせる。
大きくうなずいて真っ先に駆けていくジュリアンを追いかけようとしてふと立ち止まった。
(親子の対面はじっくり味合わせた方がいいだろうな…)
そう思って少し苦笑い気味の笑顔を浮かべて、窓の外に目をやる。
晩夏の美しい朝日が窓から差し込みほのかにリビングを照らしている。
村の澄んだ空気の中を通り抜けてくるその新しい朝日はこのうえなく美しかった。
(まるで、村中が…いや、この世界全体が祝福してくれているようじゃないか…)
私は徐々にまばゆさを増していく朝日を眺めながらそう思う。
そして、すっかり冷たくなった薬草茶を飲み干すと、
「ふぅー…」
と安堵の息を吐き、メルとジュリアンに祝辞を述べに向かった。
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