第236話 村長、再び仕事に追われる03

出発した日から2日。

森はいつもと何も変わらないように見える。

しかし、3日目の朝からは空気が変わった。

確かに多いらしい。

森が妙に静かだ。

そんな気配の中を進んでいると早速、痕跡を見つける。

どうやら虎、ジャールらしい。

「ぶるる」

と鳴くエリスにうなずいて、その気配を追っていった。


やがて気配が濃くなってきたところでエリスから降り、辺りの様子を慎重にうかがう。

(近い)

そう思った瞬間、背後でぬるりと空気が動いた。

振り返りつつ刀を抜き払う。

切っ先を制することはできた。

しかし、目の前にいるヤツは体制を低くして今にも飛び掛かろうかという姿勢でこちらを見ている。

(…特殊個体か)

この気配の消し方はおそらくそうだ。

私は油断なく構えると、いつものように気を溜め、そっと目を閉じた。


暗闇の中でぬるりと気配が動く。

かなり薄い。

よほど気配を隠すのが上手い個体なのだろう。

私はさらに集中して相手の出方をうかがった。

私の背中にはエリスがいる。

ここを抜けさせるわけにはいかない。

すると、ヤツもそんな私の考えを覚ったのか、狙いをエリスの方に定めるような気配を見せた。


おそらくヤツの狙いは私を守勢に回らせて戦いを有利に進めようというものだろう。

そんな考えが透けて見える。

(させるか)

私は刀を上段に構え、一気に攻める姿勢を取った。

すると空気が一瞬だけ止まる。

おそらくヤツがひるんだんだろう。

だが、ヤツの気配は次の瞬間エリスに突っ込むような様子を見せた。

おそらく、私を焦らせて自分の有利な体勢に持ち込みたかったのだろう。

そして、私が焦った所でその隙をつこうというヤツの作戦がはっきりと感じ取れる。

しかし、私はその瞬間を待っていた。


足を開き、腰を落とす。

構えは上段から脇構えへ。

私は一瞬で構えを切り替えると、迷わずヤツに突っ込んでいった。

一瞬とは言え、よそ見をしたヤツには迷いが生まれていたはずだ。

私の攻撃への反応がほんの一呼吸遅れる。

私にはそれで十分だった。


まずは掬い上げるように一閃。

ヤツの右前脚が飛ぶ。

すれ違いざま、返す刀でやはり右の後ろ脚を袈裟懸け。

そして、素早く体勢を整えると、地面でのたうち回るヤツに飛び掛かり、首元に刀を突き刺した。


ゆっくりと刀を引き抜き、

「ふぅ…」

と息を吐いて目の前のヤツを見下ろす。

大きさも見た目も通常とは変わらないが、よく見ると青い目をしていた。

(あまり見ない色だな)

そんなことを思いつつ、まずは刀に拭いをかけ、エリスのもとへ近寄る。

エリスは至極落ち着いた様子で、いつものように私に頬ずりをしてきた。

そんなエリスの行動に、私は、はたと気が付く。

(ああ、そうか。信頼されるということはこんなにも嬉しいものなのか…)

そんなことを思って、

「ありがとう」

とひと言、普段、なかなか言えずにいる礼を言い、いつものようにエリスを撫でた。


「…ぶるる」

と鳴いて、いつものようにツンデレるエリスに苦笑いを返しつつ、さっそく魔石を剥ぎ取りにかかる。

そして、取り出した魔石を見てみると、それは、綺麗な水色をしていた。

「はははっ。フィリエにいい土産ができたな」

そう言って、その魔石をエリスにも見せると、

「ひひん!」

とエリスも嬉しそうに鳴いてくれた。

(これであとは紫色の魔石でも取れば完璧だな)

そんなことを思って私も思わず微笑んでしまう。

「さぁ、とりあえず昼にしよう。水場はわかるか?」

私はエリスにそう声を掛けると、

「ぶるる!」

と自信たっぷりの表情でやる気を見せてくれるエリスに跨ると、その背に揺られてまた森の奥へと歩を進めていった。


そんな虎退治の日から4日。

そろそろエリスに疲れが見える。

ここまで順調に魔獣を倒してきたが、緊張の連続だったことに違いはない。

さすがのエリスも堪えたのだろう。

そんなエリスの様子をみて、私は帰還を決断した。


「よし、村に戻ろう」

私の言葉にエリスは少し不満げな表情を見せる。

しかし、自分の体力のこともわかっているのだろう。

シュンとしながらも、

「…ぶるる」

と鳴いて、どうやら納得してくれたようだった。


「大丈夫。今回は十分だ。ありがとう」

そう言って、エリスをひと撫でする。

すると、エリスは、

「…ぶるる」

と少し照れたような感じで鳴き、そっぽを向いた。

そんなエリスを微笑ましく思いながら、

「さて、とりあえず休憩できる水場を見つけよう。そこで昼だ」

と言って、村の方へと進んでもらう。

そして、意外と近くにあった小さな水場で簡単な食事を済ませ、いつもの薬草茶で一息入れているその時だった。


「ぶるるっ!」

といつになく鋭く鳴くエリスの声に一瞬で緊張が高まる。

集中して気配を探るが私にはまだわからない。

私は焦る気持ちを落ち着けるように深呼吸すると、

「とりあえず、荷物を簡単にまとめてしまおう。何が出るかわからんが、なるべく有利な場所の方がいいだろう。エリス。気配に近づきすぎない程度に進んでくれ」

とエリスに伝え、急いで準備に取り掛かった。


緊迫した空気の中、森を進む。

進む度にエリスの緊張が高まるのが伝わってきた。

徐々に森の空気が重たくなっていく。

どうやら、大物らしい。

そんな気配が私にもはっきりと感じられるようになってきた。


慎重に気配を読み、回り込むように進んで行く。

(もう少し、がんばってくれ…)

心の中でエリスにそう語り掛けながら、私はいつも以上に集中して気を練り始めた。


そのまま慎重に歩を進める。

周りの景色は森から林といった雰囲気になり、遠くにはやや開けた草地が見えた。

「ひとまずは、あそこで様子を見よう」

私の言葉にエリスもうなずき進路を定める。

そして、もうすぐその草地かという所で急激に気配が動いた。


(…っ!読まれていた!?)

そう思った瞬間、

「エリスっ!」

と叫ぶ。

同時に、

「ひひん!」

と鳴いたエリスが駆けだした。

どうやら、同時に異変を察知したらしい。

スルスルと木々の間を縫うように走り抜けるエリスの背に揺られていると、後方から、ドスドスという荒々しい足音が聞こえてくる。

「林を抜けたら草地を横切って逃げろ!私は降りて迎え撃つ!」

私のそんな指示にエリスが一瞬、躊躇するような気配を見せた。

「エリスっ!」

いつになくやや強い口調でエリスに呼びかける。

そんな私の言葉でエリスの気持ちは元に戻ったらしい。

先程までと同様に力強く木々の間を駆け抜けてくれるようになった。


そして、林の切れ目を抜ける。

私は慎重に後ろの気配を読みながらも、足場の良さそうな場所を狙って、一気にエリスから飛び降りた。

軽く受け身を取り、迷いなく走って行くエリスをほんの一瞬だけ視界の隅にとらえると、すぐに気配の方へと目を向ける。

そこにいたのは今までに見たどの熊よりも大きい、灰色がかった大型の熊だった。


まんまと私の逃げを許したことが悔しかったのか、それとも、逃げずに立ち向かって来きたことが癇に障ったのかはわからないが、とにかくヤツは怒り狂ったように、

「グォォォッ!!」

と叫びながら、私に突進してくる。

そんなヤツを私は冷静に観察しながら待ち構えた。

第一印象は「速い」。

そして、おそらく「強い」と「賢い」も兼ね備えているだろう。

そんな雰囲気が見て取れる。

(手強い)

そんなことを自分に言い聞かせ、気を引き締めた。

ヤツの一撃が、ものすごい勢いで振り下ろされる。

私はその一撃を飛び退さってかわしながら抜刀して軽く斬りつけた。

当然浅い。

ヤツにしてみれば、包丁で指先を軽く切った程度の切り傷だろう。

しかし、それでヤツの気が少しでも乱れてくれれば儲けものだというくらいの気持ちで放った一撃だった。

普通の熊ならここで勝負が決まる。

しかし、やはりヤツは賢かった。

どうやらその一撃で逆に冷静さを取り戻したらしい。

また、

「グォォォッ!」

と叫びながらも、むやみやたらに突っ込んでくることは無く、冷静に私の横から回り込もうとしてくる。

おそらく、それでこちらの隙を作ろうとしているのだろう。

(小賢しい…)

心の中でそう悪態を吐きつつも、

(落ち着け。焦れた方が負けだ)

と、自分を戒めるようにそうつぶやいて、いつものように気を練ると、徐々に周りの雑音を消していった。


そんな私の気配の変化に気が付いただろうか。

ヤツが少し攻め方を変える。

大振りな攻撃をやめ、小振りの攻撃を連続して出してくるようになった。

左から小さく薙ぐヤツの前脚をギリギリで交わし、かいくぐって胴に一閃。

すぐに飛び退さって、怒ったヤツが叩きつけてくる前脚を交わすと頬のあたりに軽く斬りつけ、また飛び退さる。

そんなふうに、ヤツが小刻みに攻撃を繰り出し、私はそれをギリギリでかわして、時々切り傷を負わせるという、一進一退の攻防がしばらく続いた。


そうして、ヤツの腕や顔の辺りにいくつかの切り傷が付き、私の体や防具にもいくつかのひっかき傷ができた頃。

とうとうヤツが焦れ始める。

それまで冷静なジャブのように繰り出していた攻撃が大振りになってきた。

その攻撃をかわす度、私はまた的確に斬りつける。

するとヤツの体には先ほどよりも深い切り傷が刻まれていった。

私の左斜め上から叩きつけられるヤツの右前脚を、鼻先をかすめるほどのところでかわし、引き際に下段から撫で斬る。

痛みに怒りヤツが立ち上がると、今度は思いっきり踏み込んで、ヤツの左の後ろ脚を一気に断ち斬った。


普通ならここで決着がついていてもおかしくない。

しかし、ヤツはまだだ。

そう自分に言い聞かせて残心を取る。

案の定ヤツは痛む足で強引に立ち上がって何やら叫びながら一撃を叩き込んできた。

またしても鼻先をかすめるかという所でその一撃をかわす。

そして、しっかり腰を落として踏みとどまると、そのまま踏み込み、最後は裂ぱくの気合とともに、ヤツが叩きつけてきた左前脚を肩口辺りから思いっきり袈裟懸けに叩き斬った。


バランスを崩し地面に転がったヤツの首筋をひと突きして勝負は決する。

やがて、遠くから蹄の音とエリスの声が聞こえてきた。

そんな可愛い相棒の声に軽く手を挙げて応え、とりあえずその場に腰を下ろす。

「久しぶりに疲れたな…」

そうつぶやくと、なぜか腹が鳴った。


「ひひん!」

座り込む私に心配そうな声を掛けながら駆け寄って来るエリスに、

「大丈夫だ」

と告げて微笑んで見せる。

それでも、心配そうに私に頬ずりをしてくるエリスを撫でて宥めてやっていると、また、腹が鳴った。

緊張から解放されたのだからある程度は仕方ないだろう。

それでも、空気を読まない自分の腹の虫に苦笑いしながら、

「さて、さっさと魔石と肉を取って、飯にするか」

と言って立ち上がり、まずは熊の胸のあたりに剣鉈を突き刺す。

当然そうだろうと思っていたが、やはり特殊個体だったようだ。

出てきた魔石は、紫。

ゴルの物よりも少し色が薄いだろうか?

この化け物みたいな図体からは考えられないほど透き通っている。

「なんとも出来過ぎた話だ」

と苦笑いしつつも、

「ほら、エリス。見えるか?ユカリにもいい土産が出来たぞ」

と言って、エリスにその魔石を見せた。

「ひひん!」

と嬉しそうに、しかしておかしそうに鳴くエリスの笑顔につられて私も「はははっ」と笑う。

そして、そんな幸せな空気を読まずに、また私の腹が鳴った。


「さて、こいつはどんな味がするんだろうな?」

と、私がエリスに語り掛けるようにそう言うと、

「…ぶるる」

とエリスが鳴いた。

そのセリフはわかっている。

おそらく、

(相変わらずね)

だ。

(時間も無いし、私の腹も限界だ…)

そう思った私はまずは、血抜き…と言っても、太い血管を切って放置するくらいのことしかできないが…を済ませ、適当に内モモ辺りの肉を数切れ剥ぎ取ると、さっそくハーブを混ぜた塩をまぶして焼き始めた。

スープはいつものトマトスープ。

(試作の乾燥コンソメが出来上がっていればよかったが…)

と思いつつ、いつものように手早く作る。

そして、程よく焼きあがった肉をぐっと我慢してほんの少しだけ休ませると、パンに挟んで一気にかぶりついた。


(う、美味い…)

脂の甘さが際立っている。

しかし、クドくはない。

まるで丁寧に肥育された家畜のように上品な脂だ。

あれだけ狂暴な、野生の象徴のような存在の肉がこんなにも上品だとは…。

素直に驚いた。

(これはきっとみんな喜んでくれるぞ!)

一瞬そう思ったが、

(いや、マリーとメルは…)

と、悪阻で食欲の無い2人のことを悲しく思ってしまう。

(こんなに美味い物を存分に味わえないなんて…。そんなにも辛いことがあるだろうか?半分背負わせてもらえるなら背負ってやりたいが…)

肉の美味さに感動しつつも切なさが胸に広がった。


そんな私の様子を心配してくれたのだろう。

エリスが近寄ってきて、隣に座ってくれる。

そんな優しいエリスの首筋をそっと撫で、

「マリーもメルも早く体調が戻ればいいな…」

とつぶやいた。

「ぶるる…」

とエリスが鳴く。

きっとエリスも心配してくれているんだろう。

その声には家族全員の気持ちがこもっているように思えた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る