第235話 村長、再び仕事に追われる02

3日後。

一通り講習を終え、帰路に就く商人に礼を言い、村の入り口まで見送る。

「うちの村の特産だ」

と言って、アップルブランデーを1本と試しに椿油をしみこませてみた櫛を試供品として提供すると、さすがは小間物なんかを扱う商人だけあって、すぐに興味を示してくれた。

「帰りにノーブル子爵領のエレン商会に寄ってみますよ」

と言ってくれる商人と握手を交わす。

(上手く取引につながってくれればいいが)

と少しの期待を抱きながら護衛の冒険者と一緒に街道を進んで行く馬車を見つめた。


そして、その日の夕食後。

さっそく村のご婦人方が試作してくれた餡子を使った大福を食後に食べてみる。

今回ドーラさんは手を出していないらしいが、私は、

(これなら十分、外に出せる)

そう確信して嬉しくなってしまった。

しかし、ふと横を見れば、マリーが少し浮かない顔をしている。

私が焦って、

「どうした?気分でも悪いのか?」

と聞くと、

「いいえ…」

と首を横に振り、

「でも…」

と続けると、また悲しそうな顔で、

「せっかくの美味しいお菓子を、たくさん食べられないのは残念ですわ…」

とつぶやいた。


私も悲しくなってしまう。

食いたいものが食いたいだけ食えない。

それがどれほど不幸なことだろうか。

無ければともかく、目の前にあるのに、だ。

「マリー、辛い時は言ってくれ。愚痴ならいくらでも聞こう。イライラしたらあたってくれても構わない。それで、少しでもマリーが楽になるなら安いものだ」

私が、そう言うとマリーは一瞬目を見開いたあと、

「もう…。バン様ったら」

と言ってはにかんだ。

そんなマリーの態度に、私も、

(いくらなんでもキザ過ぎた)

と思って、こちらも照れてしまう。

とりあえず、私は照れ隠しに目の前の大福を一つ摘まむと、適当に口に放り込みながら、窓の外に目をやった。


その翌日。

いつもの通り稽古を終え、飯を食い、マリーの体調を心配しながらも役場へと赴く。

すると、仕事を始めてすぐ、アイザックがやって来た。

嫌な予感しかしない。

私は、アイザックを応接へ通し、すぐに、

「緊急事態なんだろ?」

と切り出した。

私はアイザックの申し訳なさそうな顔を見ながら、さらに、

「で、どういう状況だ?」

と聞いてみる。

「数が多い…」

と言うアイザックの真剣な顔をみて私の緊張感がより一層高まった。

そういえば、去年は表年で魔獣が多かったが、たしか、そこまで大変ではないという話だったように思う。

なにか状況が変わったのだろうか?

もし、なにか異常事態が起こっているなら、「事」だ。

「原因はつかめているのか?」

そう聞く私に、

「…おそらく『大当たり』ってやつだ。オークとか亜竜とかそういうのじゃないからそこは安心してくれ。ただし、数が多くて手が足りん。…すまん」

アイザックはそう言ってガバッと頭を下げた。


しかし、それを聞いて私は少しホッとする。

確かに緊急事態だが、異常事態では無かった。

もちろん、喜べるような状況ではないが、対処可能な範囲内に収まってくれている。

とりあえず、そう判断した私は、

「で、状況は?」

とやや落ち着いた声でそう聞いてみた。


「中層は猿が多い。あれは弓と盾が無いと厳しい。そうなると対応できる人間が限られてくるから困っている。あと、奥は熊と猫だ。今のところ大型は少ないが、その分数が多いらしい」

そう言って、苦い顔をするアイザックにひと言、

「わかった」

と告げる。

「…本当にすまん。お前にとって今が一番大切な時期だってのはわかってるんだが…」

と言ってまた心苦しそうな顔で頭を下げるアイザックに、

「…まぁ、本音を言えば今はマリーの側にいたいがな」

私は苦笑いで少し冗談っぽくそう言うと、続けて、

「だが、それは村が平和だというのが大前提の話だ。マリーが安心して暮らしていけるためならなんだってするさ」

と、アイザックに真剣な眼差しを向けながらそう宣言した。


そんな私の宣言にアイザックは少しほっとしたような様子を浮かべる。

しかし、すぐに真剣な表情に戻ると、

「浅い層は任せてくれ。過去の資料なんかを確認したが、春を乗り切れば大丈夫だろうと思う。どうだ?」

と私の意見を求めてきた。

「そうだな。『大当たり』は対処さえ間違わなければ数か月で終わる。しかし、ある程度は余裕を持って考えていた方がいい。何があるかわからんからな」

アイザックが私の意見にうなずくと、そこからはさっそく簡単な打ち合わせに入る。

そして、その打ち合わせで私が動くのは春の間。

担当は奥地。

対象は熊と猫。

ということになった。


さっそく執務室に戻ってアレックスに状況を伝える。

「かしこまりました。どうぞご存分に」

といつものように淡々と返してくるアレックスと違ってジュリアンは、

「あの!お手伝いさせてください!」

と顔をこわばらせながらそう申し出てきた。

そんなジュリアンに私は、

「騎士と冒険者では領分が違う。ジュリアン。私がいない間、屋敷と村の安全は頼んだぞ」

と出来る限り優しく伝える。

すると、ジュリアンは、なんとなくその意味を理解してくれたのだろう。

多少、悲しそうな顔をしながらも、

「…かしこまりました。村長がご不在の間は、私が村の剣となります」

と騎士の敬礼で答えてくれた。


さっそく屋敷に戻るが、当然、気は重い。

マリーに寂しい思いをさせてしまう。

そのことが私の胸に重くのしかかってきた。

しかし、これは私にしかできない仕事だ。

その仕事から逃げるわけにはいかない。

村人の生活と笑顔、場合によっては命が懸かっている。

村長という立場で、しかもその事態に対処できる能力を持っていながら、動かないことなど考えられない。

そう自分に言い聞かせながら、いつものように勝手口をくぐった。


あまりにも早い私の帰還にドーラさんは何かを察してくれたらしく、洗いものの手を止めて、

「すぐにマリー様を呼んでまいります」

と言って、台所を出て行く。

私もその後に続いて、リビングへと入った。


マリーがリビングへやって来ると、さっそく話を切り出す。

「…すまん。マリー。しばらくの間森に入ることになった。おそらく春の間はほとんど帰って来られなくなる。しかし、村のために必要なことだ。この大事な時に寂しい思いをさせて申し訳ないが、わかって欲しい」

そう言って、私は素直に頭を下げた。

しかし、マリーは、

「バン様。それは少し違っておりますわ」

と言う。

私が一瞬、何が違うのかと思って考えに迷っていると、マリーは、

「もちろん寂しい気持ちはありますわ。でも、バン様は村のために森へお行きになるのでしょう?きっとそれはとっても重要なお仕事なんだということくらい理解できます。私はそんな真面目でお優しいバン様を誇りに思っておりますのよ。ですから、どうぞ私に引け目を感じることなく堂々とお仕事に向かってくださいませ。この子と一緒にちゃんとお留守番をしてみせます」

と優しく自分のお腹を撫で、微笑みながらそう言ってくれた。


私は恥ずかしい人間だ。

いつの間にか、マリーを子ども扱いしていたのかもしれない。

それは、マリーをきちんと信じ切れていなかったということなのではなかろうか?

信じていれば、言うべき言葉は違っていたはずだ。

そう思って私は、マリーの目を真っすぐに見つめて、

「そうだな。すまん、私は少し間違っていたようだ。…マリー。村を守って来る。家族のために戦ってくる。その子の未来のためになすべきことをなしてくる。しばらくの間留守を頼む」

と言って、微笑んだ。


「うふふ。はい。かしこまりました」

マリーが笑ってくれる。

しかし、その目には、やはり寂しさがにじみ出ているように見えた。

それでも、気丈に振舞ってくれるマリーの気持ちに応え、私も寂しさを押し殺して微笑みを返す。

リビングには少しの間、寂しくも穏やかな空気が流れた。

高くなり始めた初春の日差しがリビングに優しく差し込む。

私にはその日差しがまるで、これからのこの家族の姿を示してくれているように感じられた。


やや落ち着き、私とマリーが一瞬訪れた穏やかな空気の中で紅茶を飲んでいると、

「やぁやぁ、バン君。何事だい?」

と言いながらリーファ先生がリビングに入ってきて、マリーの隣に座る。

おそらく先に声を掛けておいたんだろう、リーファ先生がやって来るとすぐにドーラさんがお茶を持ってきてくれた。

さっそくお茶をすすりながら、私に目で話を促がすリーファ先生の視線に、私は迷う。

マリーにこんなことを話していいのだろうか?

そう思って逡巡していると、

「バン様、私なら大丈夫でしてよ?」

とマリーが私の心を読んだかのようにそう言った。


私はまたハッとする。

そして、また同じ失敗をするところだった自分のうかつさに少し苦笑いしながら、

「ああ。そうだったな。すまん」

と言うと、リーファ先生の方を向き直り、

「『大当たり』らしい」

と告げた。

「ほう…。そいつはまた穏やかじゃないね。で?」

と、言いつつも平然と紅茶を飲んでいるリーファ先生に、

「中層は猿。奥は熊と猫が多いらしい」

と先ほどアイザックから聞いた情報をかなりかいつまんで伝える。

「なるほどねぇ…」

リーファ先生はそう言って、少し考えるような表情で、もう一度紅茶を口にすると、

「時期を見て、私も協力しよう」

と言った。


「いやいや、待ってくれ!」

と言う私をリーファ先生は手で制する。

「安心してくれ。見極めはする。村の安全が脅かされればそれこそ子育てどころじゃなくなる…。違うかい?」

私はそんなリーファ先生の正論に言葉を飲むしかなくなってしまった。

「…信じるぞ」

私が精一杯発した言葉に、

「ああ。安心してくれ」

と答えるリーファ先生の目を真っすぐに見つめる。

リーファ先生の目は揺るがない。

それを見極めた私は、

「頼んだ。しかし、くれぐれも無理だけはしないでくれ」

と言って頭を下げた。


そこからはバタバタと準備が始まる。

当面リーファ先生は、マリーとメルの安定期というものを見極めてから行動してくれるそうだ。

私はとりあえず、10日ほど森に入ることにした。

エリスに積極的に動いてもらえば、それなりの数が狩れるはずだ。

村に迫る危機に焦る気持ち、マリーのことを思う気持ち、そして私自身の辛さ。

そのどれもが混ざり合って心がかき乱される。

しかし、ここで失敗なんてできない。

(落ち着け。冷静に役目を果たせ。…そして、信じろ)

そう自分に声を掛けて、一つ大きく深呼吸し、準備を続けた。


翌朝、早く。

手早く朝食を済ませると、さっそく玄関へ向かう。

見送りに来てくれたみんなに挨拶をし、最後にそっとマリーを抱きしめた。

「行ってくる」

「はい。いってらっしゃいませ」

そんな簡単な会話に想いを込めて、お互いの体温でその想いを確かめる。

引かれる後ろ髪を振りほどくのには相当な精神力を要したが、なんとかそれを成し遂げ、私はエリスに跨った。

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