第233話 冬は春の使者02

屋敷に帰ればマリーがいる。

そんな状況が当たり前になってからもう1年以上。

だが、その当たり前を日々感じられることの幸せが薄れることなど無かった。

(今日も嬉しいし、そしてきっと、明日も嬉しい)

と、何の根拠も無いがそんな自信がある。

そんな自信を胸に今日も屋敷の勝手口をくぐった。


今日は鹿肉。

私とリーファ先生、ジュリアン、ローズそれにシェリーは焼肉丼で食べ、マリー、メル、ズン爺さんとドーラさんは肉を別盛りにして、焼き肉定食で食べる。

ちなみに、ルビーとサファイアは肉だけ派。

そんないつもどおりの楽しい食事の途中、

「ふぅ…」

とマリーが小さなため息を吐いた。

そんな小さなため息がふと気になって、

「どうした?」

何気なく聞いてみる。

すると、マリーはなんとなく浮かないようなきつそうな表情で、

「ごめんなさい。バン様。私お腹がいっぱいになってしまって…」

と申し訳なさそうにそう言った。


見れば、マリーの前には肉も米も半分くらい残っている。

そんな状況に私は異常を感じて、

「だ、大丈夫か!?」

と慌てて、マリーに声を掛けると、リーファ先生に向かって、

「リーファ先生、すぐに診てやってくれ!」

とついつい大きな声でそう言ってしまった。


ちょうど丼から飯と肉を掻き込んでいたリーファ先生は、

「なんだい?どうしたっていうんだい?」

と、無理やり口の中のものを飲み込みながらそう聞いてくる。

もしかしたら私の顔は相当青ざめていたかもしれない。

私はこれ以上ないほど真剣な顔で、

「マリーが病気だ!」

とリーファ先生に向かって叫んだ。


しかし、リーファ先生はきょとんとしている。

伝わっていない。

そう感じた私は、

「食欲が無いらし。それにきつそうだ。すぐに診てやってくれ!」

と言って今度は頭も下げた。


「あ、ああ。…とりあえず、マリー。部屋へ行こうか。ああ、バン君はリビングで待っていてくれ。…あと、メルもいいかな?最近、食が進んでいないようだからね。ついでに診てみよう」

と言って、まずリーファ先生はほんの少し残っていた丼の中身を急いで腹に詰め込み始める。

そして、水をひと口飲むと、マリーとメルを促がして、部屋を出て行った。


私は気が気ではない。

ただ単に「食欲がない」だけならいいが、マリーのあの表情を見る限り、何かあるに違いない。

いったいどこが悪いのだろうか?

軽い風邪ぐらいであってくれ。

もし、感染性の病気だったら村中で対策が必要だ。

それに万が一重病なら…。

いろんな思考がぐるぐる巡る。

ふと見ればジュリアンの箸も止まっていた。

落ち着かずにおろおろしているその様子から、おそらく私と同じく動揺しているだろうことが伝わって来る。

そんな気持ちがみんなにも伝わったのか、食堂は一気に静まり返った。


そんな中うちの子3人は美味しそうにご飯を食べている。

この空気に気が付いていないのだろうか?

しかし私は、とりあえず、

(この子たちに妙な心配をかけなくてよかった)

と思いつつも、

(いつもはちょっとしたことにも敏感なはずの3人なのに、この状況のことは気にならないのだろうか?)

と少しだけ不思議に思った。

すると、ようやくご飯を食べ終わった3人は、みんなに向かって、

「きゃん!」(マリー、元気!)

「にぃ!」(うん。お腹丈夫!)

「ぴぃ、ぴぴぃ!」(きっとお野菜が食べたい気分だったんだよ!)

と言った。


うちの子達の不思議さは、なんとなくわかっている。

しかし、この妙に確信めいた発言は何なんだろうか?

だが、3人には何か確信があるはずだ。

そうでなければうちの子達が軽率に軽口なんて言う訳がない。

ということは、きっと信じてもいいのだろう。

そう考えた私は、3人に向かって一度うなずくと、

「よくわからんが、マリーとメルを応援してやってくれ」

と言って頭を下げた。


「きゃん!」

「にぃ!」

「ぴぃ!」

という3人の元気な声にほんの少しだけ安心していると、

「とりあえずリビングに移ってお茶にしましょう」

とドーラさんが落ち着いて声でそう言ったのでみんなしてリビングに移る。

そして、

(病院の待合室で家族の無事を祈るのはこんなにも辛いものだったのか…)

と、前世の記憶に引っ張られ、少し変な方向へ思考をずらしつつ、そわそわしながらリーファ先生の診察が終わるのを待った。


どのくらいそうしていただろうか。

とりあえず、目の前にある冷めた薬草茶を口にする。

(3人もああ言っていたじゃないか。大丈夫。大丈夫…)

そんな風に心の中で祈っていると、リーファ先生が2人を連れてリビングにやって来た。


「やぁやぁ。待たせたね」

なんとも気楽な感じで入って来るリーファ先生の姿を見て、

(どうやら重病では無かったようだ…)

とまずは一安心する。

しかし、「食欲が無い」ということは何かしら悪い所があったはずだ。

その原因はなんだろうか?

そう思って、リーファ先生の次の発言を待っていると、

「ほら。2人から直接伝える方がいいよ」

と言って、リーファ先生がマリーとメルを私とジュリアンの前へと促した。


メルがマリーに視線を送る。

その視線にマリーは神妙な顔でうなずくと、

「あ、あの…バン様」

と少し恥ずかしそうに頬を赤く染め、うつむきながらもじもじとしだした。

私は、そんなマリーの態度の意味がよくわからなかったから、

「あ、ああ…」

と、相槌を打ちつつも、いったい何なのだろうか?と心配に思ってマリーを見つめる。

すると、マリーは顔を上げて、はにかみながら、

「お子を授かりました」

とひとこと言った。


次に、マリーの横で、メルがジュリアンに向かってコクンとうなずく。

私は、なんと言えばいいのか、どうすればいいのか、この気持ちはいったい何なのだろうか…。

とにかく、色々な思考と感情が混ざり合って、

「あ、ああ…」

と何も言葉に出来ないまま、マリーのほほを両手で優しく包み込み、気が付けば涙を流していた。

ジュリアンも私と同じだったらしく、ひと言も発することが出来なかったようだ。

隣からは何の言葉も聞こえてこない。

ただ、しばらくすると、

「う、うぅ…」

という声が聞こえてきた。


私はそんな声でようやく我に返る。

おそらく微笑んで、マリーを見つめるとそっと胸に抱き寄せた。

「ありがとう」

自然とそんな言葉が口をつく。

「はい。とっても…、とっても、うれしいです」

という可愛らしい声が胸元から聞こえてきた。

周りから聞こえるのはおめでとうの言葉と優しい拍手。

うちの子達のはしゃぐ声は楽しげで、そんな声を聞きながら私たちはおでこをくっつけて見つめ合う。

お互い涙が止まらない。

そして、微笑みも止まらない。

突然、庭から、

「ひひん!」(おめでとう!)

というコハクの声が聞こえた。

「「ひひん!」」

エリスとフィリエもいる。

ズン爺さんがリビングから庭に続く窓を開くと、コハクが少し遠慮がち室内へ首を入れてきた。


私とマリーは、コハクのもとへと近づき、

「ありがとう」

と言って、その首筋を撫でてやる。

すると、私の足下でルビーとサファイアが一生懸命体を擦り付けてきた。

きっと、全身で祝辞を述べてくれているんだろう。

私はそんな2人を抱きかかえて優しく撫でる。

そして、ユカリはなぜか私の頭の上に乗り、

「ぴっぴっぴぃ!」(わーい!わーい!)

といって飛び跳ね始めた。


その時間はどこくらい続いていたのだろうか?

外はいつの間にか、雪。

「ほれ。明日また、昼間の時間にゆっくり遊びにきな」

というズン爺さんの一言に、

「ぶるる…」

と少し寂しそうに鳴くコハクをまたひと撫でし、次にエリスとフィリエに声を掛ける。

「ありがとう」

と礼を言いながら、2人を順番に撫で、

「明日、みんなで雪遊びをしよう。マリーには部屋の中から見てもらえば一緒に楽しめるだろう」

と言うと、サファイアが、

「きゃん!」(球投げ!)

と嬉しそうに言って、私の周りをくるくると回り始めた。

「…にぃ」(…寒いのいやだなー)

というルビーの声に、

「うふふ。ルビーちゃんは私と一緒に見学しましょう?」

とマリーが声を掛ける。

「にぃ!」(うん!)

「ぴぃ!ぴぴぃ!」(私も!寒いのヤ!)

というルビーとユカリの返事でみんなが笑って、いったん抱擁の輪は解けた。


「きゃん!」(また明日!)

というサファイアの明るい声に、

「ひひん!」(うん。また明日!)

とコハクも元気にそう返す。

私はマリーの肩を抱き、楽しそうに厩へ引き返していく3人を見送りながら、

(きっと、明日は楽しくなるな)

と、思って微笑んだ。


ちらついていた雪は、いつの間にか少しだけ大きくなっている。

部屋の明かりを受けて、ちらちらと瞬く雪たち。

私はそんな雪たちを眺めながら、

(もっとこのトーミ村をもっと楽しい村にしなければな…)

と明るい気持ちでさらなる決意を固めた。

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