エデルシュタット家の食卓16
第231話 栗三昧
村での結婚式を終えてから30日ほどたっただろうか。
村は収穫を目前にし、ようやく私とマリーの間に、「ぎこちなさ」がなくなってきた頃。
エルフィエルから荷物が届く。
中身は、栗もといミルと、砂糖が取れるというポロックの種。
ミルの方は苗木も実もたんまりと送られてきた。
私がいかに興奮したか。
甘露煮。
栗きんとん。
餡子と合わせるのは当然として、マロンクリームがあれば、プリンやパイもいける。
ブラウニーにパウンドケーキもいいだろう。
そして、甘味意外にも栗ご飯や煮物。
夢しか広がらない。
「よし。まずはおっちゃんたちに相談して栽培の手配だな」
はやる心をなんとか抑え込むようにそう言うと、午後の仕事をアレックスに任せ、さっそく各世話役のところへ向かった。
翌日の午後。
さっそく一家総出で栗剥きの作業に取り掛かる。
マリーがケガをしないか不安だったが、私よりもよほど器用に栗を剥いていた。
水に浸け熱湯にさらし、鬼皮を剥いてから今度はまたお湯にさらして今度は渋皮。
水にさらしてアク抜きしたら、ドーラさんとシェリーの手によってまずは甘露煮にする。
これは味をなじませなければいけないから、明日のデザートになると言うと、マリーとリーファ先生が泣きそうな顔になった。
心を鬼にして、
「美味い物を作るには時間がかかる。耐えてくれ。私もつらい」
と言って説得する。
とりあえず、半分ほどの栗を処理して、残りは明日ということにすると、さっそく今晩は栗ご飯にしてくれとドーラさんに依頼をかけた。
その日の献立は、
栗ご飯。
野菜の煮物。
茸汁。
そしてイノシシの角煮。
どれも秋を連想させる完璧な組み合わせに郷愁を覚える。
「ご飯のお替りはたっぷりありますからね」
というドーラさんの神のようなひと言で、待ちに待った栗三昧の日々が幕を開けた。
栗の甘みに程よい塩気。
ほくほくとした食感に米の「つぶつぶもっちり」とした食感が合わさり、甘い香りが鼻から抜ける。
角煮との甘じょっぱくて濃い味との相性もなかなかにいい。
そして、あっさりとしながらも重層的なうま味が絶妙なドーラさんの茸汁をすすってまた甘いご飯を掻き込むと口の中が一気に秋一色に染まった。
「ほぉ…。ミルを米に入れるなんて、なんて斬新な組み合わせかと思ったら、これはなんとも懐かしい味がするね。いかにもほっとする味だよ。なんだろうね?この妙な懐かしさは…。砂糖煮にはない。ふっくらとした甘みとほくほくの食感がたまらない。そして、なにより角煮との相性が抜群だ」
そう言って、リーファ先生もどこか遠く何かを懐かしむような目をしている。
マリーも初めて食べる栗ことミルの味を、
「ごろごろ、ほくほくしててほんのり甘くて、いい香り。うふふ。初めて食べるのに懐かしいっていうリーファちゃんの言うことがよくわかりますわ」
と、うっとりとした目でそう表現し、こちらもどこか遠くを見るような目でその味を堪能しているように見えた。
私も、その郷愁をゆっくりと堪能する。
そして、その日の夕食は、ぬか漬けと緑茶で締めくくられた。
翌日。
甘露煮が完成する。
一日味をなじませた甘露煮は私の記憶にある物よりも少しだけ色が薄いだろうか?
(ああ、あれはたしかクチナシか食紅か…そんなもので色を付けていたな。しかし、この自然な色合いの方がなんとなく美味そうだ)
そんなことを思って食後、私は緑茶、マリーとリーファ先生は紅茶と共にいただく。
私の横で、マリーが、
「まぁ…っ!」
と感嘆の声を上げた。
目を見開き、頬を抑えているそのしぐさを見る限り、かなりの衝撃を受けたのだろう。
昨日の栗ご飯とは全くの別物の栗の姿に驚いたのだろうか?
それとも、単にその濃厚な甘さに驚いたのだろうか?
おそらくそのどちらもあったに違いない。
私もひと粒口に放り込んだ。
砂糖で強制的に甘さを付けられたのにも関わらず、栗本来のあの柔らかな甘みと香りがしっかりと残っている。
食感はなんと表現すればいいのだろうか?
「ほくほく」ではない。
「もっちり」でもない。
口あたりはごろごろとしているが、歯を入れた瞬間「ぱっくり」と「ほろり」の中間くらいの感覚で実が割れ、そのなんと表現したらいいのかわらからない、ほくほくともっちりの中間の舌触りが現れる。
この感覚は栗の甘露煮独特のものだ。
よくよく考えても他に見当たらない。
まさに、唯一無二。
奇跡の産物。
今、私はそんな至高の逸品を味わっている。
そう思うと、今、この時がとてつもなく幸せな瞬間だと思えた。
そして翌日。
「もう、我慢できない!」
という、リーファ先生の一言を受け、いよいよ、餡子と合わせる。
いろいろ悩み、まず村のお菓子として馴染みのあるパイはどうかと思いついた。
パイの中にこしあんで包んだ栗の甘露煮を入れる。
そして、3時のおやつとしていただくなら、牛乳を合わせれば完璧だ。
しかし、今回は夜のデザート。
お茶、おそらく緑茶と合わせことになる。
それに、栗と餡子という王道の組み合わせに対する初球が変化球と言うのは、どうにも納得できない。
やはりここは餡子と栗がもっと直接的に味わえる、ど真ん中の直球で勝負すべきだ。
そう思って次に思い浮かべたのがぜんざい。
だが、ぜんざいは悩んだ末にいったん保留にする。
なんとなく、ぜんざいには餅も入っていて欲しいという欲求が出てきてしまった。
(ん?…餅!?おい。なぜ今まで忘れていた?もち米が無いわけじゃない。村で栽培していないだけだ…。たしかに、マイナーな存在でこの世界では一部の地域で細々と栽培されているだけだが…。くっ。私としたことが…。至急コッツ、いや、ルシエール殿に手紙を書かなければ…)
私はおこわやぼた餅の存在を心の中で涙しながら見送る。
そんな、史上最大の後悔に陥りながらも深呼吸をして、なんとか気持ちを立て直すと、再度考え始めた。
(無いものは仕方がない…)
となれば、残る候補は…大福か。
甘露煮を餡子と皮で包んだ、ただそれだけのシンプルな物。
それだけに餡子と栗の抜群の相性を直接的に楽しむことができる。
まさに餡子との相性を計るには最適の食べ物だろう。
(あれならまさしく直球勝負ができる)
そう思った私は、意を決し、
「大福にしてみよう」
とドーラさんに提案した。
その日の夕食が終わり、待ちに待ったデザートの時間。
白くふくよかな貴婦人が小皿の上にちょこんと乗っている。
そのたおやかな姿にきっと誰もが心奪われてしまったのだろう。
事実、私の両側でマリーもリーファ先生もうっとりとした表情でそのお姿に魅入られていた。
さっそく摘まんでひと口に放り込む。
もっちりとした皮の食感の中から現れるねっとりとした餡。
そして、唯一無二のあの栗の食感。
日本人を魅了してやまないその味、その食感に感動しながらも、ほんの少しの違和感を覚えた。
(本当にこれが直球だろうか?いや、直球であることに変わりない。しかし、どちらかと言うとやや外角にシュート回転しているように思える。…なんだ、この違和感は…)
そんなことを思いつつも、大福の皮、栗、餡子という組み合わせに緑茶を合わせるという日本が誇る最高級の戦力に舌鼓を打つ。
「うん。いいね!これだよ、これ!やっぱり私の勘に狂いは無かった!」
そう叫ぶリーファ先生の横で、マリーが、
「ええ、そうね。この餡子と栗の甘さは同じ甘いでもちょっと違うからお口の中が面白いわ」
となかなか鋭い感想を述べる。
私がそんなマリーの成長を微笑ましく思っていると、リーファ先生がぽつりと、
「もう、いっそ餡子の中に栗を入れて、そのまま食べたくなってしまうね…」
とつぶやいた。
衝撃に胸を打たれる。
(そうだ。そうじゃないか。直球と言うなら餡子と栗その両方をそのまま味わえるものでなければ…。そうか、あの妙なシュート回転を感じたのは皮の存在があったからか…。これはこれで最上級の美味さだが、餡子と栗を直接的に味わうという目的からすると、皮のほのかな甘さともっちりとした食感がその魅力をほんの少し別の方向へ曲げてしまっている)
そんな後悔にまみれた私の心に浮かんできたのは、「本練り羊羹」という究極の餡子スイーツの存在だった。
魔道具の大鍋が来てから本格的な製造をと思って後回しにしていた自分のうかつさは悔やんでも悔やみきれない。
思いつきながらも今まで手を付けていなかった自分に腹がたった。
しかし、これまた無い物は仕方ない。
本練り羊羹は微妙な匙加減が必要だ。
いくらドーラさんでも何回か試作を重ねなければ無理だろう。
(…栗を入れずにさっそく試作に掛かるとして、これは少し待たねばならんか…)
そんな後悔で苦くなった口に栗…ミル大福を放り込む。
すると、そのふっくらとした、たおやかで優しい貴婦人が、私に、
(気にしなくってもいいのよ。次は頑張ってね)
と優しく微笑みかけてくれたような気がした。
その後も我が家ではミル祭りは続き、マロンクリームをプリンに乗せ、サブレで挟み、シフォンケーキを使った土台にたっぷりとかけたモンブラン風のケーキが登場する。
次はブラウニーにパウンドケーキ。
もちろん、餡子と合わせる時、最初に選択肢から外した栗と餡子のパイも出された。
究極こそ取り逃してしまったものの十分に満足の行く祭りの内容に家族の笑顔が食卓にこぼれる。
(桃栗3年…)
村でミルが収穫できるようになるには、まだまだ時間がかかるだろう。
しかし希望は見えた。
私は、
(さっそく本練り羊羹の試作に取り掛からねば…。あと、エルフィエルにミルを追加発注だな…。こうして、少しの失敗を重ねながらも、村に新たな名産が生まれていく。喜ばしいことじゃないか)
そう思うと、失敗も悪くない物だと思えてくる。
涼しさを増すトーミ村の秋風に乗って、あの貴婦人がもう一度、
「がんばってね」
と微笑んでくれたような気がした。
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