第223話 村長、挨拶に行く06

マーカス殿と一緒に井戸端で顔を洗い、いったん着替えた後、食堂へ向かう。

その日の朝食も高級宿でしかお目に掛かれないような素晴らしいもので、質、量ともに申し分なかった。

ただしガツガツとは食えないので、ゆったりと堪能させてもらう。

そして、食後のお茶の時間。

ふと思い出したかのようにエルシード殿が声を掛けてきた。


「剣術バカのマーカスが凄い物を見たと言っておりましたが、いったい何をお見せになったのです?」

と聞いてくるエルシード殿の視線には、にこやかな中にも少し鋭さがある。

私はその視線に少し戸惑いながらも、

「毎朝やっている型の稽古を」

とだけ答えた。

するとルシエール殿が、

「うふふ。エルシード。私も以前、見せてもらいましたけど、お父様が『追加の護衛なんて不要だ』と言った意味がよく分かったわ。だから心配しなくてもいいのよ」

と笑いながら、エルシード殿を窘める。

そして、今度は私に顔を向けると、

「ごめんなさいね、バンドール様。この子ったらマリーのことになると人一倍心配性になるみたいですの」

と困ったような笑顔でそう言った。


そんな言葉に私は、

(なるほど。優しい兄上だ)

と思い、微笑ましい気持ちになって、ついつい、

「いえ。ご心配はごもっともです。なんでしたら、今からでもどなたか常駐させますか?」

とほんの軽い気持ちで冗談を言ってしまう。

(…しまった。いくらなんでも気安過ぎたか?)

と思い、私は、慌てて冗談だと言って取り消そうと思ったが、その言葉にそれまで、ニコニコと私たちの会話する様子を眺めていた伯爵が、

「それはいいですなぁ。ではジュリアンを遣わしましょう」

と意外過ぎることをおっしゃった。


「?」

私がきょとんとした顔を伯爵に向けると、伯爵は、

「あれは、少し不器用なところもありますが、とにかくまじめな人間ですから、おそらく農作業を命じられても一生懸命やるでしょう。ああ、そう言えば、役場の事務員が足りないと言われておりましたな。あれはああ見えて書類仕事もきっちりとこなせますぞ?いかがですかな?」

と言って、なぜかやや強引な感じで勧めてくる。

「え、えっと…」

と私がドギマギしながら、そこにいる全員の表情を伺っていると、私の視界の隅で、メルが目を見開き、なにやら動揺しているような様子を見せていた。

ただでさえ訳が分からない私はさらに訳が分からなくなる。

そんな私に伯爵は、続けて、

「いかがでしょうかな?」

と真っすぐ私を見つめながら聞いてきた。


「い、いや…。しかし、ジュリアンは副団長だったかと…」

と、狼狽えながら言う私に、伯爵は、

「それはご心配には及びませんよ。なにせ、ジュリアンの兄が団長として頑張っておりますからな。あれは、ジュリアン以上にまじめな男ですから、私も安心して任せております」

と微笑みながら答える。

(なぜ、突然。しかも、そんなにも…)

と私がさらに疑問を深めていると、

「あ、あの…、し、失礼いたします!」

とメルが決死の覚悟を決めたように伯爵に声を掛けた。

「ご無礼を承知で…。あの、その…」

と言い淀み、自分でも何を言っていいのかわからない様子で狼狽するメル。

すると、伯爵は立ち上がり、メルへ近づくと、その頭をそっと撫でながらひと言、

「幸せになりなさい」

と声を掛ける。

そんな言葉に、メルは、

「あ、あの、わたし…」

と言って突然涙を流し始めた。

そんなメルの側に、今度はユリウスさんとマーサさんが近寄って来る。

「旦那様、感謝申し上げます」

ユリウスさんが、そう言って、深々と頭を下げると、マーサさんもそれに続き、

「あ、あ…」

と言葉にならない言葉で涙を流し続けるメルをそっと抱きしめた。

「大丈夫よ、メル。旦那様がお許しくださったのよ」

と言ってメルの背中をさするマーサさんの目元にも涙が浮かんでいる。

側にいたローズもメルと母親を一緒に抱きしめ、

「おめでとう。姉さん。…よかった…」

と涙ながらに声を掛けた。


(…ああ、なるほど…)

私はようやくそこで気が付く。

(しかし、そんな素振りは…)

そう思ったが、

(私は鈍感だからな)

と思って、心の中で苦笑いをした。

そして、どうやらマリーもこのイタズラの被害者だったらしい。

まだ事態を把握できず、

「あの…、えっと…」

と、動揺しているマリーの肩にルシエール殿が優しく手を置き、

「うふふ。イタズラ大成功ね」

としたり顔でそう言う。

マリーはそれでやっと事態を飲み込めたのか、

「まぁ。ルー姉様ったら…。もう…」

と言って、わざと拗ねたような表情を作ると、ルシエール殿に、

「あとで、ちゃんと教えてくださいましね?」

と、可愛らしく詰め寄った。

「うふふ。ごめんなさいね、マリー。でも、楽しかったでしょ?」

というルシエール殿にマリーは笑顔で、

「はい!」

と答えると、満面の笑みで、

「おめでとう。メル」

とまだ泣き止めずにいるメルに優しく声を掛けた。


そして、その場にいた全員から「おめでとう」という言葉がメルに掛けられる。

(ああ、さっきのエルシード殿のあれはお芝居だったのか…。なるほど、私が冗談を言わなくても、きっとジュリアンのことにふれて、そう言う方向に持って行く算段だったんだろう…)

私はそんなことに気が付き、少し苦笑いを浮かべたものの、すぐにこの温かいサプライズへの感動が心の底から湧いてきて、

「おめでとう、メル。…2人の家は屋敷のすぐ横に建てさせよう」

と、微笑みながら、そう祝辞を述べた。


ややあって、その場が少しだけ落ち着きを取り戻すと、

「さて、ユリウス。すまんが、ジュリアンを呼んできてくれるか?」

という伯爵の言葉に、ユリウスさんは、ハンカチで軽く目元を拭いながら、

「かしこまりました」

と言って食堂を出て行く。

そんな言葉にメルがハッとして母であるマーサさんの腕の中から出てくると、懸命に涙を拭いながら、

「あの、お館様!…そ、その…。ありがとう存じます。お命じになられた通り、幸せにならせていただきます」

と言って礼を取った。

その物言いにみんなが小さく笑う。

そこへ、

「ああ、あとでジュリアンにも『命令』しよう。2人で一生かけて任務を遂行しなさい」

と言う伯爵の言葉が加わると、その笑い声は食堂全体を包み込んだ。


少し恥ずかしそうにするメルをよそに、ルシエール殿が、突然、

「では、さっそく結婚式を挙げてしまいましょう」

と、なにやらイタズラな表情を浮かべながら周りにそう提案する。

すると、今度はエルシード殿が、これまた、そんな表情で、

「それはいいですね。さっそく準備に取り掛かりましょう」

と続き、ユーリエス殿までもが、ニコニコしながら、

「私、お裁縫が得意なメイドを連れてきておりますから、ドレスはお任せになって」

と楽しそうに言った。


「はっはっは。そうだな。明日…ではさすがに早すぎるかい?」

と言う伯爵の言葉に、

「いえ。お父様。準備は整っておりましてよ」

とルシエール殿が答える。

私が、

(なんと、そこまで用意していたのか…。さすがは伯爵家とエルリッツ商会だな…)

とそのサプライズの規模の大きさに驚いていると、伯爵が、

「エデルシュタット男爵。なんだかついでのようになってしまって申し訳ないが、もちろんエデルシュタット男爵とマリーにも式を挙げてもらいますよ」

と、突然そう言った。

あまりのことに私はその発言の意味が分からず、とりあえずマリーの方を見ると、マリーも、固まった顔をこちらに向けてくる。

(ああ…、こちらにも仕掛けられていたのか…)

そんなことを思ってはみたものの、私は、もうどうしていいのかわからず、とりあえず天井を見上げて、

「…あはははは」

と笑うことしかできなかった。


そこからは、流石と言うか何と言うか。

急に呼び出されて、伯爵から、

「メルと幸せになりなさい」

という「命令」を与えられ、立ち尽くしたまま、呆然とするジュリアンと恥ずかしそうにうつむきながらも、幸せをかみしめているようなメルを囲んで、みんなが一斉に再び「おめでとう」という言葉を掛けると、さっそく使用人総出で準備が始まる。

伯爵は、

「明日は、しっかりやるように」

と追加でジュリアンに「命令」を下し、ルシエール殿も有無を言わせない感じで、

「礼服とドレスの心配は必要ありませんよ」

と言って、さっそく2人を裁縫が得意だと言うユーリエス殿のメイドに引き渡した。

ルシエール殿も何人かのお針子を連れてきているらしく、続いて私たちにも同じようにするよう笑顔で「命令」してくる。

そうなると、私もマリーも、黙ってそれに従うことしかできなかった。


(伯爵家とエルリッツ商会の本気というのはこんなにも凄まじいのか…)

と感慨にさえふけりながら、なぜか仮縫いされていた礼服に袖を通し、お針子たちのなすがままにされる。

そして、私は「嫁ぐ前の花嫁は家族と晩餐の席を囲む」という習慣に従って、一人寂しく部屋で夕食を取った。


(怒涛…。ああ、まさしく怒涛だな…)

そんな感想を抱きつつ、気を落ち着けようと、部屋の隅に置いてあるいつもの背嚢から、スキットルを取り出し、アップルブランデーをひと口やる。

甘い香りと、強い酒精に心地よさを感じながらも、

「ふぅー…」

とやや長めに息を吐いた。


不安は無い。

ただ、緊張はある。

何をすればいいのだろうか?

上手くできるだろうか?

そんな事は今考えたところでどうにもならないとわかっていてもやはり緊張してしまう気持ちを落ち着けるようにもう一度長めに、

「ふぅー…」

と息を吐く。

それでも私の中から緊張が抜けていってくれる気配はない。

しかし、そんなことを何回か繰り返しているうちに、

(…なるようにしかならんか…)

という諦めとは違う、思いっきりのような気持ちが湧いてきた。


遠く、窓の外に広がるエインシリアの町を眺める。

赤々と灯る町灯りからはまるで暮らしの息遣いが聞こえてくるようだ。

(いい町だな…)

そんなことを思いながらその灯りを見つめていると、いつの間にか、先ほどまでの緊張は薄れていた。

(なるようになる…)

また、そんな心境になる。

私の気持ちは変わらない。

きっとマリーの気持ちだってきっとそうだ。

ならば上手くいかないわけがない。

そう思うと、不思議と心が落ち着いてきた。

ふいに家族の笑顔が浮かぶ。

そんな笑顔に、私も笑顔で、

(ありがとう。行って来る)

と心の中でつぶやいた。

もう一度町灯りに目を落とす。

(なんとかなる)

先程よりも確信めいたその言葉を胸に私は意外と安らかな気持ちで床に就いた。

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