第221話 村長、挨拶に行く04

丁寧なノックの後、

「失礼いたします。バンドール・エデルシュタット男爵様、マルグレーテお嬢様がお着きになられました」

という執事の声に、中から扉が開く。

何度か見たことがある、メルとローズの母親だというメイド長が扉を開けてくれたらしい。

「失礼いたします」

とひと言断り部屋の中へ入ると、そこには伯爵とメイドの他に4人の人物がいた。

そのことに私は一瞬驚いてしまうが、ルシエール殿の姿があるということは、マリーの兄弟の方々なんだろうとすぐに気が付く。

一度、こほんと咳払いをして少し落ち着くと、すぐに、

「バンドール・エデルシュタットにございます。本日はお時間を作っていただきありがとうございます。また、騎士の方々によるお迎えまでいただき痛み入ります」

となんか噛まずにそう言うと、貴族式の礼を取った。

(…マリーとダンスの稽古をはじめてから、ずいぶんとこの礼も上手くできるようになった…)

と訳のわからないことを考えていると、

「どうぞお楽に。エデルシュタット男爵。ここには家族しかおりません」

と、伯爵が声を掛けてくる。

私は一瞬その言葉に甘えそうになったが、そこは一応気を引き締めて、

「恐れいります」

と一度頭を下げ、

「どうぞこちらへ」

と執事に案内されたソファの席に、

「失礼いたします」

と、もう一度頭を下げてから座った。

(…しまった!時候の挨拶!いや、その前に肝心の挨拶が…)

そう思ったがもう遅い。

私が、そんな自分の粗相を心の中で悔やみながらもとりあえず、

「本日はお日柄も良く…」

と言うと、

「ふふっ」

とルシエール殿が思わずと言った様子で小さく噴き出した。

伯爵も苦笑いで、

「どうぞ、お楽に」

ともう一度言ってくれる。

(穴があったら入りたいというのはこのことか…)

と思う私に、

「はははっ。噂通りの御仁ですね、父上」

と伯爵のすぐ横に座っている30代くらいの爽やかな青年が笑顔でそう言った。

「失礼。私はこの家の長男でエルシードと言います。エデルシュタット男爵の話は父から聞いておりましたので、つい気安く話してしまいました。どうぞご容赦を」

と言ってにこやかに軽く頭を下げるエルシード殿に、

「いえ。私もその方が気楽で助かります」

と、つい本音を漏らしてしまう。

(…あ)

と思うが、これまたもう遅い。

(穴が2つあったら、また入りたい)

と思うが、

(もう、仕方ない。人間諦めが肝心だ)

と思って、

「…ははは。ご覧の通りです。本当に助かります」

と言って頭を下げた。


「ふふっ。あの時とは別人ですわね」

と声を掛けてきたルシエール殿に、

「…ははは。恐れ入ります」

と、もう諦めて気楽に話す。

私は、伯爵も兄弟の方々もクスクスと笑っているから、きっと大丈夫なのだろう、と勝手に思うことにしつつも、

(最初にこれだけはきちんと言わなければ)

と思い、再び立ち上がった。

伯爵と兄弟の方々の視線が私に集まる。

私はかるく、こほんと咳払いをしてから、

「本日は、お時間をいただき痛み入ります。クルシウス・ド・エインズベル伯爵。先日、息女マルグレーテ殿に求婚させていただき、承諾をいただきました。順序が逆になってしまったことは、誠に申し訳なく思っております」

とひと息にそう言うと、一度頭を下げてから、再び顔を上げ、伯爵を真っすぐに見つめながら、

「私は、マルグレーテ嬢を心の底から愛し、一生を添い遂げたいと思っております。どうか、この結婚をお許しいただきたく存じます」

と言って、先ほどよりも深く頭を下げた。


きっと、これにも貴族式の礼があるんだろう。

しかし、私はそれをしないことを選択した。

自分の言葉で自分らしく真っすぐに私の正直な思いを伯爵に告げるべきだと考えたからだ。

もちろん、そこには伯爵のお人柄を知っているという理由もある。

しかし、それを差し引いても、私はこの方法を取っただろう。

すると、ルシエール殿ではない、もう一人の女性、おそらくユーリエス・ド・ルクロイ伯爵夫人であろう女性が、

「まぁ。素敵なお言葉ですこと」

と言い、

「ねぇ、お父様。そう思いませんこと?」

と伯爵に向かってそう言うと、今度は、

「うふふ」

と私に向かって笑いかけてきた。

伯爵も、その言葉にうなずき、

「ああ。いい言葉だった…」

と感慨深そうつぶやく。

「ええ。良い言葉でした」

そう短く低い声で言ったのは、おそらくマーカス殿だろう。

「ふふふ。ユリウス、マリーを呼んできてちょうだい。マーサはお茶をお願いね」

ルシエール殿がそう声を掛けると、ユリウスと呼ばれた執事もメイド長のマーサさんもが笑顔で、

「かしこまりました」

と言って、部屋から出て行った。


「さて、エデルシュタット男爵。マリーのこと、トーミ村という所のこと…、とにかく、いろいろと聞きたいことがありますからね。マリーが来たらたっぷりと話していただきますよ」

とエルシード殿が笑顔でそう言うと、

「うふふ。楽しみですわね」

とユーリエス殿も笑顔で続く。

「まぁ、でもきっと大半がお料理の話よ」

とルシエール殿が言うと、伯爵と兄弟の方々が、一斉に笑った。


(いったい私のことは、どう伝わっているのだろうか?)

そんな疑問も湧いてきたが、とりあえず私も、

「…ははは」

と笑う。

そして、お茶が配られ始めたころ、若草色のいかにも楚々としたドレスに、私が送ったトリル石のブローチを付けたマリーがリビングへと入ってきた。


「エルシードお兄様、マーカスお兄様、ユーリエスお姉様。ご無沙汰しております。私こんなに元気になりましたのよ!」

と言って、いたずらっぽい笑顔でマリーがそう言うが、その瞳からは一筋の涙が流れる。

ユーリエス殿が真っ先にマリーに駆け寄り、ひしと抱きしめると、エルシード殿もマーカス殿もマリーの側に寄って行き、その肩に手をやって兄弟が抱きしめ合った。

伯爵とルシエール殿もハンカチで目元を拭うことを忘れて立ち上がると、その輪の中に加わる。

私も立ち上がってその光景を、目頭を熱くしつつも微笑ましく見つめた。

執事のユリウスさんもメイド長のマーサさんも眼がしらを抑えている。

その場にいた全員が涙し、リビングを温かい空気が包み込んだ。


初秋の透き通った日差しが差し込むその美しいリビングを、温かい笑顔と涙がより美しく輝かせる。

そして、その家族の抱擁は、言葉にならない言葉と、ひとかけらの悲しみも無い涙で結ばれ、しばらくの間解けることなく続いた。


やがて、その抱擁の輪がほんの少しだけ緩む。

すると、まずはエルシード殿、マーカス殿、ユーリエス殿がそれぞれにマリーに声を掛けた。

「マリー…。本当に、本当に良かった」

「ああ。よく頑張った」

「ええ。よく頑張りましたね」

そんな言葉にマリーは、明るい笑顔で、

「うふふ。私、もう、歩けますし、ご飯も食べられるんですのよ」

と、少し自慢げに答える。

そこへ今度は、ルシエール殿と伯爵が、

「ええ。そうね。ダンスも踊れるようになったのよね」

「ああ。そうだね。あれからもっと上手になったんだろうね」

と声を掛けると、マリーは、

「はい。バン様と一生懸命練習しておりますの」

と、今度は少し照れながらそう答えた。

そこから、家族の楽しい会話が始まる。

「うふふ。それは楽しみだわ、後で見せて頂戴ね?」

「はい。ユーリエスお姉様とも踊りたいです」

「じゃぁ私とも踊ってくれるかい?」

「はい。もちろんです。エルシードお兄様」

「…私もダンスのひとつくらい練習しておけばよかったな…」

「あら。マーカスお兄様ったら。うふふ。じゃぁ、マーカスお兄様とはお庭で一緒にお馬に乗りましょう?…ああ、でも横乗りの鞍はあったかしら?」

「えっ!?乗馬までできるようになったの!?」

「はい。ルシエールお姉様。お姉様もお会いになったでしょ?あのコハクちゃんっていう白い子でいっぱい練習したんですのよ」

「まぁ、マリーったら、すっかりお転婆さんになったのね」

「まぁ。いやですわ、ユーリエスお姉様。私、お転婆ではありませんことよ?」

「はっはっは。マリーはすっかり元気になったんだね。…本当に嬉しいよ」

「はい。エルシードお兄様。マリーはすっかり元気です」

「うんうん。そうだな。マリーはすっかり元気になった。本当に良かった」

「ええ。お父様のおかげですわ」

そう言って、マリーが伯爵に微笑みかけると、伯爵は、

「いや。私は何もしてないよ。全てエデルシュタット男爵のおかげだ」

そう言って私に視線を向けきた。

そんな視線に少し照れてしまいながらも、

「いえ。すべてはマルグレーテ嬢の頑張りがあったればこそのこと。私とリーファ先生、そして私の家族とトーミ村はそのお手伝いをしたにすぎません」

と自分の正直な気持ちを述べる。

そして、私は、マリーに視線を向けると、微笑みながら、

「よく頑張った」

と万感の思いを込めてそう言った。

「はい!」

マリーの元気な返事が返ってくる。

そんな返事にみんなが微笑んで、

「さぁ、お茶にしましょう。聞きたいことは山ほどあるからね」

というエルシード殿の言葉で、一同がまた席に着き、楽しいお茶会が始まった。

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