第219話 村長、挨拶に行く02

私達を乗せた馬車は順調に進み、夕方前には慣れ親しんだアレスの町の門をくぐる。

道中、マリーは見る物すべてを珍しそうに見て、ずいぶん楽しそうにしていたが、アレスの町に入ると、

「どうしましょう。緊張してきてしまいましたわ…」

と言って、私に本当に困ったような表情を向けてきた。

「はっはっは。心配無いさ。兄上はとうに承知しているし、私と同じ…とまではいかないが、堅苦しいのはあまり好きじゃない人だからな。普通にしていれば大丈夫だ」

私はそう声を掛けるが、マリーはまだどこか不安そうにしている。

私はそんなマリーの手にそっと手を重ね、

「大丈夫だ」

ともう一度、できりだけ優しくそう言った。

そんな私の言葉に微笑むマリーだが、やはりまだ緊張しているように見える。

私はマリーの手を握り、もう一度、

「大丈夫」

とひとこと言って微笑んで見せた。


やがて、実家の門をくぐる。

馬車を降りると、いつものようにアルフレッドが淡々と出迎えてくれた。

一旦それぞれの部屋で旅装を解くと、すぐに応接間へ案内される。

(そういえば、この部屋に入るのはかなり久しぶりだな…。子供の時かくれんぼをして以来か?)

などと考えながら扉をくぐると、兄上がゆっくりとお茶を飲んでいた。


兄上は私たちに気が付くと、ゆっくりと立ち上がり、まずは、

「初めまして。私はそれの兄でアルバート・エデルという。エデル子爵家へようこそ、マルグレーテ嬢。うちのバカをよろしく頼む」

と言ってマリーに頭を下げる。

マリーは慌てて、

「めっそうもございません。こちらこそよろしくお願い申し上げます」

と貴族式の礼を取った。

そんなマリーに、兄上は、

「ああ。そんなにかしこまらないでくれ。私もこいつも、知っての通り堅苦しいのは苦手だからな。楽にして欲しい。ああ、このことは伯爵には内緒で頼むよ」

と軽い冗談を交え、いかにも気軽そう言葉をかける。

おそらく、マリーの緊張を慮った兄上なりの気遣いなのだろう。

そんな言葉にマリーの緊張も幾分かほぐれたようだ。

(よかった…)

兄上の気遣いに感謝しつつ、少し落ち着きを取り戻したマリーにソファを勧め、私も遠慮なく座った。


「で、ノーブル子爵の方はどうだった?」

兄上の唐突な質問に、一瞬戸惑う。

「ああ、ノーブル子爵とのお話なら順調に行きそうです。交易が始まればアレスの町との間でも取引が活発になるでしょう」

私がそう言うと、兄上は、

「それは良かった。で、あっちからは何を?」

と、聞いてきた。

そんな質問に私が、

「はい。将来的には、穀物の融通だとか北の辺境伯領から入って来る工芸品なんかの取引が活発になるでしょうが、最初のうちは椿油を仕入れようと思っています」

と答え、兄上の、

「椿油?」

という疑問符に、私はその効用を説明する。

その説明に、兄上が、

「ほう。あの花にそんな効用があるとはな…」

と感心したようにつぶやいたので、私は、

「ええ。学院で植物の知識をかじっておいて正解でした」

と答えて「一応そういうこと」にしておいた。


(すでに承知のこととは言え、結婚の挨拶に来ていきなり仕事の話とは)

と兄上らしいと言えば兄上らしい話の切り出し方に心の中で苦笑いする。

すると、そんな私の心中を察してか、兄上は、

「これからは守る者も増える。金が全てではないが、それなりに考えろ。お前のことだ、食い物に関しては抜かりないだろうが、美しいご婦人には美しいドレスも必要だということを忘れるな」

といかにも兄上らしい祝いの言葉が返ってきた。


ハッとする。

私があまり金に頓着が無いことは自分でも自覚していた。

これまでは、森に入れば十分に稼げるし、家族に不自由もさせていない。

だから大丈夫だろうと思う気持ちがどこかしらにあった。

しかし、これからは違う。

村の経済の安定を図ると同時に我が家の家計の安定も図らねばならない。

私はそのありがたい祝辞に、

「恐れ入りました」

と言って頭を下げた。


「ふっ。まぁ、だからといって、あまりどうこう考えるな。幸せならそれでいい。なにせお前には自由がよく似合うからな」

と軽く笑う兄上の顔には先ほどとは違って優しさが見える。

(…かなわんな)

そんな兄上の言葉に、私はそんなことを思って、ほんの少しだけ照れながら、

「ええ。精一杯自由にやらせていただきます」

と冗談でそう返した。


「はっはっは。硬い話はこの辺りでいいだろう」

そう言う兄上の言葉でそこからは楽しい雑談になる。

トーミ村での暮らしのこと、うちの子達のこと、森の様子、季節の恵み、そんな他愛もない話にマリーの緊張もすっかりほぐれ、そんな気楽な雰囲気のまま夕食となった。


エデル子爵家の食卓には、子供の頃と変わらないあの質素な料理が並んでいる。

一応、マリーという客人をもてなすのだから、いくらなんでも質実剛健が過ぎるのではないか?と思ったが、兄上の思いは少し違う所にあったようだ。

兄上はやや真剣な顔で、

「私もこいつも小さい頃は、こんなものを食べていた。私と違ってなぜかこいつは小さい頃からその辺に不満を持っていたようだから、今のトーミ村の美味い飯があるのかもしれない。ただ、マルグレーテ嬢にもそういった過去のことを知っていて欲しくてな。あえてこういう物を出してみた」

と言う。

そんな言葉に、私たちは見つめ合って少し驚いたあと、「ふふっ」と小さく笑ってしまった。

そんな私たちに兄は怪訝な顔を向ける。

「アルバート様とバン様はやはり兄弟でいらっしゃいますのね」

と、マリーが少し笑いながらそう言った。

「…ああ。そうらしいな」

と私も、苦笑いで続く。

「どういうことだ?」

兄上のそんな言葉に、

「私も同じことをしたんですよ」

と言って、結婚を申し込んだ日の夕食のことを白状した。

そんな言葉に一瞬、目を丸くした兄上だったが、

「はっはっは。そうか。じゃぁ今夜はナポリタンでも出せばよかったな」

と大きな声で笑う。

私たちもそれに続いて笑い、その質素な食事を美味しくいただいた。


私の実家への挨拶という私にとっては気楽な、マリーにとってはこの旅でもっとも緊張する場面を無事に終え、翌日、兄上の見送りを受けてアレスの町を出発する。

兄上から借りた馬は若いオスで、少しやんちゃな性格だったが、しばらく進むうちにだんだんと息が合ってきた。

慣れてみればなかなか賢い馬で、ちゃんと他の馬に歩調を合わせて進んでくれている。

(なんとなくだが、ローズと気が合いそうだな。帰りにもらえないか聞いてみるか)

そんなことを思いながら、時々休憩を入れつつもその日は順調に進んだ。


その後も、順調に行程を重ねること3日。

予定通りの宿場町に到着すると、すでに手配されていた宿に泊まる。

小さな宿場町だけあって、貴族向けの宿ではないが、なかなかに落ち着いた宿で、料理もどことなく田舎の良さが香って来るような良い料理だった。

(こういう、素朴で家庭的な料理がこの辺境の良さだ)

と思いながら美味しくいただく。

今回の旅は7日間の予定。

急ぎつつも、旅を楽しめる、そんな速度だ。

マリーの体調が良くなったことを思えばそのくらいでちょうどいいだろう、という私の提案で、そのようにしてもらった。

私にとっては慣れた道でもあり、なんとも長閑で代わり映えのしない景色だが、マリーの目には見る物全てが新鮮に映っているのだろう。

時折、私に向かって楽しそうに車窓から手を振り、メルやローズと楽しそう話す姿をなんとも微笑ましく思いながらのんびりとだが、確実に進んで行く。

そして、その日の行程も順調に終え、小さな宿屋の小さな食堂でみんな揃って食事をとっていると、マリーがやや遠慮がちに、

「あの、バン様…」

と声を掛けてきた。


「ん?なんだ?」

私は一瞬、どこか体調でも悪いのだろうか?とか疲れたのだろうか?と思ったのだが、どうやらそうではなさそうだ。

いったいどうしたのだろうかと疑問に思っていると、

「あの、私、野営…は無理でしょうけど、その、バン様が冒険の時に食べてらっしゃるようなものを一度食べてみたいと思っているんですの…。そういうのは無理でしょうか?」

と少し上目遣いで、やや恥ずかしそうに聞いてくる。

きっとマリーは少し、はしたないお願いだと思ったのかもしれない。

私はそんなマリーを少しいじらしく思いながら、

「はっはっは。そうだな、たまにはそういうのもいいかもしれん。ジュリアン。どうだ?明日の昼は野営ごっこでもしてみるか?」

とジュリアンに声を掛けた。


「お嬢様がよろしいのでしたら、私たちはかまいません。…ただ、主にはどうぞご内密に」

と苦笑いを浮かべながら、ジュリアンがそう言うと、マリーは、パッと笑顔になる。

そして、

「ありがとう。ジュリアン。うふふ。またバン様のお料理が食べられるんですわね。とっても楽しみですわ」

と本当にうれしそうにそう言った。


「ああ。楽しみにしていてくれ。…と言っても本当に簡単な料理だからさして美味い物でもないぞ?」

と微笑みながらそう言う私に、マリーは、

「あら。料理の味は、いつ、誰と、どこで、どんな気分で食べるかによって変わるとおっしゃったのはバン様でしてよ?」

と返してくる。

「はははっ。そうだったな。これは一本とられてしまったようだ。よし。明日はちょっと食材を仕入れてから出発しよう。ただ、さすがにみんなの分を野外で作るのは無理があるから、すまんが他のみんなは普通の弁当にしてくれ」

私のそんな言葉にみんなうなずき、その日の夕食を微笑ましく終えた。

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