第215話 エデルシュタット家の食卓15 メイプルシロップ(仮)

うちの子達との大冒険から帰ってきた翌日。

さっそく樹液を煮詰める作業に取り掛かる。

たまった仕事を片付けるのは翌日まで待ってもらった。

アレックスはやや渋い顔をしたが、将来の村の産業育成のためだという私の言い分を理解してくれた、と信じている。

持って帰ってきた樹液を庭に簡単なかまどを作り私、ドーラさん、シェリーが交代で煮詰めること4、5時間。

おおよそ10リットルと少しの樹液から、予想よりやや多く300ミリリットルくらいのシロップが作れた。

貴重なシロップをミルクポットに移し替え、さっそく毒見という名の味見をする。

3人とも衝撃を受けた。


濃厚な甘さはまるで、秋の森を凝縮したような深い味わい。

そして、独特の香ばしさの中には、ほのかに花のような香りが漂っている。

私の知るメイプルシロップに、こんな香りは無かった。

濃厚な甘さと香ばしさが口の中を駆け巡った後、まるで金木犀を思わせるような爽やかな香りが鼻腔に広がる。

メイプルシロップのあの濃厚な甘みと香ばしさに蜂蜜の香りが乗っているという表現で合っているだろうか?

いや、そんな言葉では言い表せないほど、力強く、かつ、可憐な味わいがそこにはあった。


時刻は昼。

期待に胸を膨らませるマリーとリーファ先生をおやつの時間まで待ってくれ、と言ってなんとか説得する。

ドーラさんとシェリーは、手早く昼を済ませると、さっそく台所に戻りおやつの準備に取り掛かった。

私もそんな2人の後に続くと、

「ドーラさん、すまんがスコーンを焼いてくれ。あと、リンゴ…はないな。…ナーズはあるか?コハクとエリスとフィリエにも味見をさせてあげたい」

と言って、ドーラさんからジャム用に確保しておいたラズベリーことナーズを人数分、皿に分けてもらう。

そしてシロップをかけ、トレーに乗せるとさっそく厩へ向かった。


(これは家族全員で試食しなければならない。きっとコハクもエリスもフィリエも気に入ってくれるはずだ)

そんな思いを胸に、厩へ向かう。

すると私に気づいたコハクとエリスとフィリエが、厩の方から駆け寄ってきてくれた。

「ひひん!」(さっきから良い匂い!)

甘い味が好きなコハクらしいひと言に、

「ぶるる…」

とエリスが鳴く。

たぶん、

(そ、そうね…)

とでも言っているのだろう。

「…ぶるる」

と鳴くフィリエはおそらく、

(…うん。良い匂いだね)

と、控えめに期待している感じだろうか?

「ああ。ほんの少ししか作れなかったが、この間取ってきたあの樹液からシロップができた。みんなで味見をしてみてくれ」

そう言ってコハク、エリス、フィリエに皿差し出した。


コハクは勢いよく、エリスはやや上品に、フィリエは少しおずおずとその皿にのったシロップのかかったナーズを口にする。

「ひひーん!」

最初に声にならない声を上げたのはコハクだった。

そして次々に、

「ひひん!」

「…ぶるる!」

と、これまた声にならない叫びがあがる。

そして、みんな一瞬にしてとろーんとした表情になると、コハクに至ってはその場で寝転んでしまった。

私は驚いて、

「大丈夫か!?」

と声を掛けたが、

「ぶるる…」(しあわせ…)

という返事が返ってきたのでどうやら美味しすぎて腰が抜けてしまったのだろう。

ひとまず安心して他の子達を見るが、エリスとフィリエは遠い目でどこかを見つめている。

どうやらこのシロップは森馬達にも大いに受け入れられたらしい。

そんな様子を見て、私は、

(本来は冬に採るものだったよな…。冬の強行軍は少し厳しい。秋の終わりくらいだったらみんなと一緒にまた行けるだろうか…)

とそんなことを思い、次は我が家のみんなの試食の準備を進めるべく、空になった皿を回収し、まだとろんとした表情でうっとりとしているみんなをひと撫でしてから屋敷へと戻っていった。


勝手口をくぐると、台所はスコーンが焼ける良い匂いに包まれている。

私はその蠱惑的な香りと、これから始まるおやつの時間への期待に膨らむ胸を何とか抑えて食堂へ向かった。


膝にルビーを乗せ、みんなと同じくソワソワしながら待っていると、やがて食堂のドアが開き、まずはメルとローズがティーセットを持って入ってくる。

そして、人数分のお茶を淹れ終わった頃、まるで見計らったかのようにドーラさんとシェリーがやってきて、スコーンを食卓の上に置いた。

それぞれのスコーンの横には、小さなミルクポットに入ったシロップが添えられている。

全員のゴクリと唾を飲みこむ音が聞こえたような気がした。


「いいか。お替りは無い。心して食べてくれ」

という私の声に全員が真剣な顔でうなずく。

そして、誰からともなく、

「いただきます」

と号令をかけると、みんなが一斉にスコーンにシロップをかけ、口に運んだ。


「んぉーっ!」

まず叫んだのはリーファ先生。

次に、マリーが、

「んーっ!」

と、感嘆の声を上げる。

「にぃーっ!」

「きゃ、きゃうーん…」

「ぴぃぃっ!」

とうちの子達も叫ぶと、ズン爺さんまでもが、

「…んっ!」

と言って、目を見開いた。

メルはなんとか声をこらえたようだが、驚きに目を見開いて固まっている。

「んふーっ!」

一方、ローズはこらえきれなかったようだ。


「…ああ、これは秋と春が詰まっている…。まさに豊かな森そのものの味だ…」

そう言ったのはリーファ先生で、おそらく私が感じたように濃厚さと香ばしさの中に香る花のような香りを感じての感想を述べたのだろう。

「たまらない。たまらないよ、バン君。…君はまたなんと恐ろしいものを…」

リーファ先生がシロップのかかったスコーンを見つめたまま、そうつぶやく。

マリーもうっとりとした表情で同じくスコーンを見つめたまま、

「…素敵…」

とつぶやいた。


リーファ先生が、

「ああ、なぜこの世の中には植物の成長を促す魔法が無いんだろうか…」

とおかしなことを言い出す。

普段なら、そこで「まぁ、リーファちゃんったら」などと言って「うふふ」とおかしそうに笑うはずのマリーも、

「ええ…。そうね…」

と言って、その嘆きに賛同していた。

私もそうだ。

普段なら、苦笑いで「まったく、この人は」などと思うはずなのに、

(たしかに…)

と、心の中で思わずうなずく。

それからはみんな静かに時折目を閉じながら、その味、その香りを一生忘れまいとするかのようにシロップがかかったスコーンを堪能した。


気が付けばスコーンは無くなっている。

最後の一滴まで残さずかけたシロップも、もう無い。

ルビーがその小さい口と舌を活かして、小さなミルクポットの中をしきりに舐め、ユカリもその短いくちばしを懸命に突っ込みなんとか食べようとしている。

普段なら、お行儀が悪いと窘めるところだが、誰もそうしようとするものはいなかった。

それどころか、そんな2人を羨ましそうに眺めている。

そんな2人の行動も終わり、みんなが呆然とした空気の中、私は、

「ドーラさん、残りは?」

と聞いた。


「なっ!?まだあるのかっ!?」

と、やや怒ったような顔でいうリーファ先生を手で制し、

「残りは、これからあの木を育ててくれる炭焼きの連中や手伝いを申し出てくれた農家の若者たち、ひいては将来採取を担ってくれるであろうご婦人方に配ろうと思っている」

私がそう言うと、リーファ先生はまだ少し悲しそうな顔で、「なんとかならないのかい?」と目で問うてきた。


私はそんな視線を受け止めて、一度深くうなずくと、

「あれは、将来この村の重要な産物になる。だとしたら、その育成も並々ならぬ気合で行ってもらわなければならない。そのためにはこの美味しさを知ってもらうのが一番だ」

と答え、その意義を説く。

それを聞いたリーファ先生は、苦悶の表情を浮かべながらも、

「…そうだね。確かにバン君の言うとおりだ。私も、この味を知ってしまったらより気合を入れて育てたくなったからね…」

と言って、断腸の思いで納得してくれたようだ。

そして、おもむろに、

「バン君。これはエルフィエルに教えても?」

と聞いてきた。

「もちろんだ」

私が即答すると、リーファ先生は、ぱぁっっと笑顔を浮かべ、シェリーに目線を送る。

そして、シェリーもまた笑顔で大きくうなずくのを見て、

「さっそくあの木のことと、シロップの作り方を記した手紙を書かせてもらうよ!」

と目を輝かせながらそう言った。


私はそんなリーファ先生の笑顔に、

(これでまた、この世界が美味しくなる…)

そんなことを思って感動しながら、

「そういうわけで、ドーラさん。残りのシロップを使ってできる限り多くのクッキーを焼いてくれ」

とお願いする。

ドーラさんとシェリーは、嬉しそうに笑顔でうなずいてくれた。

そんな2人に私も笑顔でうなずき返し、

(カステラ、シフォンケーキ、クッキーに王道のパンケーキもいいだろう。フレンチトーストだってさらに美味くなる…)

と、頭の中でこれからこの村で生み出すことになるだろう様々なお菓子を思い浮かべ、

(多少コストはかかるが、まずはコッツに蜂蜜を注文して、蜂蜜でのレシピを完成させなければ)

と、固い決意を胸に抱く。

そんな私の横で、

「…メッサリア」

とつぶやいた。


「ん?」

そんなつぶやきに私がそう聞き返すと、リーファ先生が、

「ああ、いや。古いエルフの言葉で『森』という意味なんだけどね。このシロップを食べたらついつい思い出してしまったんだよ」

と言って、少し照れた笑いを浮かべる。

すると、マリーが、

「まぁ、なんだかいい響きの言葉だわ。うふふ。じゃぁ、このシロップは『メッサリアシロップ』ね」

と言って微笑んだ。

「ああ。それはいいな。なんだか高貴な感じがして、いい商品名になりそうだ」

そう言って私もマリーの提案に続く。

するとみんなも、

「あら、素敵ですわね」

「はい、師匠。さすがはリーファ先生です!」

「ええ。良い響きだと思います」

「うん!私もそう思うよ、姉さん」

「へへっ。なんつーか。お貴族様の食い物って感じの名前で格好いいですなぁ」

「きゃん!」(いいね!)

「にぃ!」(もっとおいしそう!)

と言って賛同してくれた。


そんなみんなの声にリーファ先生も、

「ははは…。じゃぁ、そう言う名前にしておこうか」

と言って、なんだか諦めたような苦笑いを浮かべる。

こうして、トーミ村とエルフィエル大公国に「メッサリアシロップ」という新たな味が誕生することになった。

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