31章 村長、営業に行く

第206話 村長、営業に行く01

リーファ先生の帰還祝いが落ち着いた頃。

ナメコことヌメタケおろし蕎麦にナスことポロの揚げ浸し、甘い卵焼きと鮭ことソルの炊き込みご飯という、久しぶりにあっさりとした夕食を取った後、自室で小さな机に向かい手紙を書く。

手紙は2通。

1通は実家へ、隣のノーブル子爵領との間の街道を整備して交易を始めたいが、挨拶に行く段取りをつけてくれないか、という事務的な手紙。

そして、もう1通は伯爵への手紙。

深呼吸をし、静かに丹田に気を溜め、ペンを執ると、伯爵への手紙を書き始めた。


内容は、

先日、マルグレーテ嬢に結婚を申し込み、承諾を得た。

順序が逆になってしまったかもしれないが、ご容赦いただき、是非、伯爵にもお許しをいただきたい。

ついては、近々伺って直接お願い申し上げたいが、いつがよろしいだろうか?

もちろん、身分違いは理解しているつもりだ。

しかし、そこを伏してお願いしたい。

というもの。


書き終えて、

「ふぅ…」

と静かに深く息を吐く。

そっとペンを置き、どこともなく虚空を見上げた。

(伯爵はなんと…)

なんとなくわかってはいるが、不安が胸の中を支配する。

そんな自分の心の揺らぎを吐き出すように、今度は、

「はぁ…」

とため息を吐くと、パンッと軽く両手で自分の頬を叩いた。

それで迷いが振り切れるはずもないが、それでも少しは気が落ち着いたのか、

(なるようにしかならん)

という考えが頭に浮かんでくる。

私は、もう一度、自分を落ち着けるように、

「ふぅ…」

と息を吐くと、なんとか重い腰を上げて立ち上がった。

ふと窓の外を見るが、トーミ村に灯りはほとんどついていない。

(そんなに時間が経っていたのか…)

そんなことに気がついて苦笑いすると、何となく覚悟が決まったような気がして、私はやっと眠りに就いた。


翌朝。

いつものように稽古に出て、無心で木刀を振る。

一太刀ごとに不安が少しずつ払われていくような気がした。

剣に集中していると、心が澄んでいくような気がする。

一つの波紋も無い湖面のように、泰然自若となった瞬間。

渾身の一閃を虚空に放った。


その一閃から、まるで、

人の心に不安は付き物だ。

揺らぐことは決して恥ずかしいことではない。

しかし、自分の信念までをも揺るがすな。

お前はどうしたい?

何のために生きていきたいんだ?

そのことを忘れるな。

と、言い聞かされたような気がした。

(ゆるぎない気持ちで真摯に向き合うことが、伯爵に対する最低限にして最上級の礼だ。そのことを忘れるな…)

自分でもう一度、そう思って覚悟を決める。

気がつけば、ローズとシェリーが目を見開いて私を見つめていた。


弟子の大げさなお褒めの言葉に照れつつ、井戸で顔を洗って勝手口をくぐる。

いつものようにみそ汁の良い匂いが私の食欲を刺激してきた。

(ふっ。相変わらずだな…)

と自嘲する。

そして、いつものように笑顔で食卓に向かい、みんなと一緒に温かい飯を食った。


いつものように午前中は仕事をこなし、ギルドに向かう。

しかし、途中でふと足を止め、

(隣の領の件もある。たまには自分で持って行くか)

と思い直して役場に引き返した。


執務室で、サンドイッチ片手に書類をめくっているアレックスに、明日、実家へ行って来ると告げる。

さして、忙しい時期でもないので、許可は簡単に降りた。

隣の領との間の街道整備の素案を念のため確認して、簡単なメモを取っていく。

そして、屋敷に戻ると、昼食の後のお茶の時間、みんなに明日から3日ほど屋敷を空けることを告げた。

マリーは少し寂しそうな顔をしたが、

「伯爵へ大事な手紙を出すついでにちょっと仕事を片付けてくる」

というと、一転して喜びの表情に変わる。

私は、そうやって一喜一憂し、ころころと変わるマリーの表情を心の底から愛おしいと思った。


翌朝早く、さっそく馬に乗って出発する。

厩に顔を出した時に見た感じだと、フィリエはまだ少し遠慮がちながら、うちの子達とも仲良くなっているようで少し安心した。

(今度うちの子たちみんなを連れて、親睦会ついでに森に熊でも狩りに行くか…)

そんなことを思いつつ、慣れた道をアレスの町に向かって進んでいく。

そして、昼ごろにはアレスの町に到着した。


いつものように門番のケニーに声を掛け実家への伝言を頼むと、こちらもいつもの伝令役の騎士に、

「至急ではないが、重要な手紙だ。心配はしていないが、念のため頼む」

とひと言添えて、伯爵への手紙を渡す。

そして、いつものように雷亭に宿を取り、昼飯を食いに、昔コッツと久しぶりに再会した時に訪れた「満月亭」へと向かった。


店に入った瞬間、あの鳥焼きと冷えたエールを思い出す。

さすがに、これから実家で仕事の話をするかもしれないというのだから、そこはちゃんと我慢したが、ほんの少し後ろ髪を引かれた。

そんな自分に少し苦笑いしつつ、注文を取りに来た店員に、

「なにかお勧めはあるか?」

と聞くと、

「今日の日替わりはアウルのから揚げです」

と言われたのでさっそくそれを注文する。

(着実に広まっているな)

この世界に美味い物が着実に広まっているという事実にほくそ笑みつつ、から揚げの到着を待った。

から揚げの到着を待つ間、ぼんやりとアレスの町の様子を眺める。

町は相変わらずのんびりとした中にも活気があって、明るい雰囲気に満ちていた。

(いい町だな…)

我が故郷ながら、小さい頃に出て行った町を感慨深く見つめる。

そんな郷愁にも似た気持ちに浸っていると、お待ちかねのから揚げがやって来た。


(から揚げサンド!?)

やって来た、満月亭のから揚げが予想とは違っていたことにまず驚く。

そして、

(くっ…。その発想は無かった…)

と自分の発想力の貧困さを嘆きつつも、同時に、

(こうして新しいものが生まれていくのか…)

という感慨も沸き起こってきた。

さっそく、その新発想ながらも懐かしいから揚げサンドにかぶりつくと、少し辛味の効いたケチャップベースのソースがから揚げのジューシーな肉汁と共に口いっぱいに広がっていく。

シャキシャキとした夏キャベツの食感とほのかな青臭さもいい。

(やはり揚げ物とキャベツの組み合わせは最強だ…)

そんな感想を抱きつつ、

(帰ったらリーファ先生に自慢してやろう。きっと、大急ぎでアウルを狩りにいくぞ)

と思って微笑んだ。


から揚げサンドに満足すると、とりあえず実家に向かう。

玄関をくぐると、すぐに執事のアルフレッドが対応に出てきてくれて、

「執務室へどうぞ」

と簡潔に、兄上が待っていることを告げてくれた。


兄上の執務室に入ると、

「どうした?」

と挨拶をする間も無く、声を掛けられる。

私は少し苦笑しながらも、

「用件は2つです。1つは隣のノーブル子爵領との交易に関して、ノーブル子爵につなぎを付けていただきたいというお願いです。2つめは、マルグレーテ嬢に求婚して、本人からは承諾を得たので、先ほど伯爵宛てに書状を出してきたというご報告です」

と簡潔に答えた。


「…」

兄上は無言で、驚いた表情をこちらに向け、

「交易か…。まさかあの村がそんなことにまで手を出せるようになるとはな…。まぁ、確かに今のトーミ村の現状をみれば不思議なことではないか。…予算の確保はできたのか?」

と、まずは交易の方について質問をしてくる。

「予算案は出来ております。街道の状況次第ですが、来年の春辺りから初めて最大で3年ほどの事業になるでしょう。人手は冒険者と村の若者、あとは、周辺の村から若者を募る予定です」

私がそう答えると、兄上は、

「そうか。お前が問題ないと判断したのならそれでいいだろう。ノーブル子爵にはすぐに手紙を出す。おそらくすぐに使者が来るはずだ。なにせあそこの領も我が領と同様、田舎だからな。わずかでも収入は欲しいはずだ。ああ、北の辺境伯なら心配ない。税収が増えて喜びはしても、煙たがりはしないさ。そちらにも手紙を出しておこう」

と言って、すぐに問題ないと言ってくれた。


「ああ、あと…」

と兄上は、思い出したようにそう声を掛けてきて、

「冬、伯爵にお会いしたが、今か今かとやきもきしておられた」

と言って苦笑いする。

(そうか…。どうやら、伯爵からは色よい返事がもらえそうだな)

と、そんな兄上の言葉に安堵しながらも、私は苦笑いでその言葉を受け止めた。


「今日は泊まっていくのか?」

という兄の問いに、

「雷亭という宿をとりました」

と答える。

すると兄上は、

「そうか。あそこの飯…いや、領内の飯が美味くなっているようだが、何をした?」

と、聞いてきた。

「思いついた料理のレシピをコッツに渡しました」

と答える。

「はっはっは。そうか。相変わらずだな」

そう言って、兄上は、ひとしきり笑ったあと、

「売らないところがいかにもお前らしい」

と言って微笑んだ。


その後、交易について、いくつか質問を受け執務室を辞する。

そして、見送りに出てきてくれたアルフレッドに、

「アレックスには感謝している」

とひと言伝えると、実家を出て、少し浮かれながら、颯爽とアレスの町へ戻って行った。

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