第204話 閑話 エデルシュタット家の食卓14 酢豚とポークチャップ
リーファ先生帰還の翌日。
午後から、さっそく乾燥機と大鍋の仕様会議を始める。
しかし、一度はご婦人方の作業の様子を見学して、そのご意見もうかがってみないといけないだろうという結論になり、とりあえず、大まかな方針だけを決めて、詳細は後日となった。
そんな日の夜。
我が家の食卓に、ケチャップ好きのリーファ先生のために用意しておいた、帰還祝い第一弾として、酢豚を登場させる。
米はチャーハンにするかどうか少し悩んだが、最初なので、とりあえず白米を付けることにした。
初めて見る料理にリーファ先生となぜかユカリも目を輝かせ、すぐにでも食べだしそうな勢いでウズウズしながら、「いただきます」の号砲を待っている。
「はっはっは。ちょっと待ってくれ。もう一品ちょっとした蒸し物がくるからな」
私がそう言うと、リーファ先生の目がさらに見開かれた。
そこへちょうどドーラさんとシェリーが「せいろ」の乗ったカートを押して入って来る。
「お待たせしましたねぇ」
そう言って、ドーラさんはその「せいろ」を食卓に置くと、おもむろにその蓋を取った。
一瞬にして、ほわん、と湯気が立ち上り、その湯気が晴れると同時に中身が姿を現す。
まるで手品のような演出で登場したのは、整然と並べられた直径3センチほどの円柱状の物体。
シューマイだった。
「おぉ…」
感嘆するリーファ先生に、
「これは、そっちの酢が効いたタレに付けて食ってくれ。ああ、辛子も好みでな。あと、見ての通り熱いから気を付けてくれ」
と、一応説明する。
そんな説明を聞くとすぐにリーファ先生は、
「了解だ。よし。いただきます!」
と、自ら号砲を鳴らして、一瞬のためらいを見せた後、まずは酢豚に手を付けた。
やはりケチャップ好きとしては、まず、ケチャップを使った料理の味を確かめたかったのだろう。
ほんの少し、その酢豚の肉を観察し、ゴクリ唾を飲み込むと、パクっと口に入れる。
そして、いつものように驚嘆の声を上げた。
「んっ!これは…。ケチャップというよりは、甘酢に近い。しかし、まごうことなきケチャップだ。みずからの存在を主張しているが、決して目立ち過ぎてはいない。見事な一体感だ…。それに、豚肉が一度揚げられているのもいいね。このソースのとろみが、肉と良く絡んでいる。こってりとした肉とさっぱりとしたソース。肉の脂の力強い甘さとソースの爽やかな甘酸っぱさが、新しい甘さの境地を切り開いてくれているようだ…。すばらしい…。素晴らしいよ、ドーラさん!」
リーファ先生のそんないつもの言葉に、ドーラさんは、いつものように照れながら、
「お野菜も食べてくださいましね?」
と、軽く微笑みながらそう言う。
「おお。そうだったね。いや、何となく想像はつくけれども…」
そう言って、野菜を口にしたリーファ先生は、
「うん。想像した通り、いや、想像以上だ。この野菜のシャキシャキした食感と肉の食感の対比と野菜のみずみずしさ。この野菜のうま味が、口の中に残った肉のうま味と合わさって、よりうま味を濃くしながらも、肉の脂をいったん洗い流してくれるから、交互に食べていたら、永久に食べられそうだ」
と言って、本当に野菜と肉を交互に口にしだした。
そんなリーファ先生を微笑ましく見つめながら、私が、
「おいおい。米を忘れてるぞ?」
と、笑顔で言うと、リーファ先生は、
「おっと!そうだった。私としたことが…。いや、わかる、わかるぞ、バン君。これは米だね。米を食わずして、この料理は完成しない」
そう言って、大口で米を頬張る。
そして、ひと言、
「んーっ!」
と叫ぶと、酢豚と米を次々に放り込みだした。
「はっはっは。喜んでもらえてなによりだ」
私はそう言いながら、シューマイに手を伸ばす。
辛子を付け、酢と醤油のタレに付けると、一度米にバウンドさせてから口に放り込み、ぷりっとした肉の塊をかみしめた瞬間、口の中にあっさりとした、しかし、うま味の詰まった肉汁が溢れだし、私の口を襲ってきた。
(あっふ!)
他人に「熱いから注意しろ」と言っておきながら、その熱さにハフハフしてしまう。
私は、その熱さに耐えながら、そのうま味と独特のプリっとした歯ごたえを堪能し、米を掻き込んだ。
「あっふ!…はふはふ」
「ふーふー…。あふっ…はふはふ」
私の両隣からも、それぞれ、豪快な「はふはふ」と可愛らしい「はふはふ」が聞こえてくる。
「むっ!こっちは肉汁のうま味とこのツンとする刺激で米を進ませるのか…。先ほどの、えーと、酢豚とはまた違った味だから、飽きずに食べられるね」
「ええ、そうね。甘酸っぱくてシャキシャキ・もぐもぐするのと、あっさりしてるけど、ジュワっとするのと、両方とも美味しいから困ってしまうわね」
リーファ先生とマリーがそれぞれの感想を楽しそうに話し、みんなもそれぞれに「美味い」と感想を口にした。
どうやら、ユカリは完全にケチャップの虜になったらしく、小さく切られた野菜をついばみながら、
「ぴぴぴぴぴぃ!!」(甘酸っぱくてシャキシャキしてて美味しい!!)
と、小躍りしながら食べ、
ルビーとサファイアも、
「きゃん!」(甘酸っぱいお肉美味しい!)
「にぃ!」(白いのも!)
と言って、負けじと尻尾を振りながら、ご満悦の表情を浮かべている。
こうして私が密かに企画し、密かに実行したリーファ先生の帰還祝い第一弾は大好評のうちに幕を閉じた。
その翌日。
さすがに2日連続ケチャップはどうだろうか?と思い、いったん肉じゃがを挟む。
そして、第二弾は、シンプルだが、ケチャップの魅力をダイレクトに味わえる一品として、ポークチャップを出した。
隠し味はウスターソースではなく、醤油にしてもらう。
そして、たまねぎこと丸根は悩んだ末、すりおろしを選択し、ほんの少しニンニクも入れてもらった。
やや厚めに切られた豚肉。
最近、村でも生産されるようになった夏キャベツのみずみずしい緑に、赤いソースと言う名のドレスをまとった肉が良く映えている。
立ち上る、甘い香りの奥に秘められたニンニクのほのかな刺激。
その全てが食欲をかきたてた。
ひと口食べる。
程よい弾力で、まったく筋張ったところを見せない肉。
多すぎない程度にしみ出す脂。
そして、その素晴らしい下拵えを施された肉の味は、甘く、切なく、どこか懐かしい。
無性に米が食べたくなる。
舌ではなく、なぜか心が米を求めた。
日本を故郷だと思ったことはないが、なぜかこの料理は温かい家庭を思い起こさせる。
ステーキほど高級ではなく、生姜焼きほど庶民的ではない。
ちょっと背伸びをした洋食。
それが、レトロなレース柄の、ビニール製のテーブルクロスの上、ちょっといいお皿に乗せられ、小さなダイニングテーブルに並べられている光景が瞼の裏に浮かんできた。
(ああ、これは私も背伸びをして、ナイフとフォークで食うべきだったか…。そして、今考えれば全くマナー違反だが、あの当時はそれがお上品だと信じられていた、フォークの背にライスを乗せるという方法で食べるのが正解だったのかもしれない…)
そんな訳の分からない郷愁が心の中に広がる。
だが、そんな郷愁に浸っている私の横で、リーファ先生が、
「ドーラさん。これは丼だよ!」
と叫んだ。
私は、
(…珍しく意見が合わなかったな)
と思いつつも、
(言われてみれば、確かにそれもいいかもしれん。あの少し背伸びをした食卓ではできなかったことを、大人になってやってみるという小さな背徳感があって、それはそれで美味そうだ)
と思い直す。
(さすがは、リーファ先生だ。なかなか大胆な発想をしてくる)
と私が一人、感心していると、
「私はサンドイッチにしていただきたいですわ」
とマリーが言った。
私は、その衝撃の発言に目を見開く。
(さすがは伯爵令嬢。考え方がブルジョアだ…)
私のそんな視線に気が付いたマリーが、少しおどおどした様子で、
「あの…。私、何か間違ったことでも言ってしまいましたでしょうか?」
と申し訳なさそうに聞いてきた。
「いやいや!」
私は慌てて否定する。
「むしろ、素晴らしいことだ。あまりに素晴らしい発想に驚いてしまった。すまん」
私がそう言うと、マリーは、パッと笑顔の花を咲かせ、
「うふふ。初めて食べ物のことでバン様に褒められましたわ」
と、可愛らしく胸の前で手を合わせてそう言った。
私は、いろんな意味で、
(かなわないな…)
と思って、苦笑する。
付け合わせの、ぬか漬けの塩気と茸汁のうま味が妙に心に沁みた。
(どうやら、前世の私も一般庶民だったらしいな)
そんなことを思いながら、今度は遠慮なくポークチャップにかじりつき、米を口に放り込む。
(ああ…。私は今、小さな贅沢をしている)
そんな感慨が胸いっぱいに広がった。
「きゃん!」(おかわり!)
口の周りを真っ赤にしたサファイアが珍しくお替りを要求する。
よほどお気に召したらしい。
そんなサファイアに、
「はっはっは。たくさん食べて大きくなれよ」
と笑顔で声を掛けると、
「きゃん!」(うん!)
と元気な返事が返ってきた。
人は育ってきた環境も、抱く思いも全てが違う。
その違いが寄せ集まって家族が出来、食卓が生まれる。
色とりどりの人が集まった食卓に、色とりどりの料理が並ぶ。
そんな世界がきっと幸せな世界に違いない。
私はそんなことを思って、ポークチャップを米に乗せて作った簡易版のポークチャップ丼を、思いっきり掻き込んだ。
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