第200話 春来たる 04 泉のほとり

森の掃除から帰って来ると、とりあえず、たまった書類を片付ける。

数日の作業で、仕事の終わりが見えてきた頃、役場にルシエール殿からの荷物が届いた。

大きな箱の中には、絵や図鑑に混じって、綺麗な飾り彫りの施された小さな箱が1つ入っている。

それを確認した私は、受取にサインをして、代金を支払うと、執務室で書類をめくっているアレックスに向かって、

「明日、休みをもらってもいいか?」

と訊ねた。


「かまいませんよ」

いつものように淡々と、しかも、あっけなく了承してくれたアレックスに向かって礼を言う。

「ありがとう。すまんが、よろしく頼む」

私のそんな言葉に、

「いえ。たいして急ぎの物もありませんから」

と、アレックスはまた淡々と答えて、書類をめくった。


昼。

屋敷に戻って昼飯を食うが、さっぱり味がしない。

どうやら極限まで緊張しているようだ。

私は、そっと気を練り集中を高めるが、あまり効果は感じられなかった。


そんな私の様子にみんな気が付いていたのだろうか?

その日の昼食は、いつもより静かに終わる。

そして、食後のお茶の時間。

いつもの薬草茶を苦く感じながら、私は一世一代の勇気と覚悟で、

「明日、休みが取れたんだが、約束通り、2人でピクニックにいかないか?」

と、マリーを誘った。

私の顔はいつになく緊張していたに違いない。

そして、その緊張がマリーにも伝染してしまったのだろう。

マリーもいつになく緊張した面持ちで、

「…はい」

と短く答える。

「そうか、よかった。…ああ、ドーラさん、そういう訳だから弁当を頼む」

私はそう言うと、とりあえず、カップの中に入っていたお茶を飲み干し、

「…さん…視察に行って来る」

と言って、とりあえず食堂を出て行った。


屋敷を出ると、とりあえず厩へ向かう。

嬉しそうに寄って来るコハクとエリスを少し撫で、

「明日、マリーと2人でピクニックに行くことになった。2人ともよろしく頼む」

と声を掛けた。

「ひひん!」(やったぁ!)

とはしゃぐコハクの横で、エリスは、

「ぶるる」

と鳴いて、私に頬ずりしてくる。

まるで、励ましてくれているようだ。

(…かなわないな)

そんなことを思って、またエリスを撫でると、

「とりあえず、村を散歩しよう。コハクはマリーの練習に付き合ってやってくれ」

そう言って、私はエリスに跨ると、当てのない散歩にでかけた。


エリスに揺られててのんびりとした散歩を楽しみ、いくらか気持ちも落ち着いたと思ったが、マリーの顔を見た瞬間、また緊張が高まる。

そんな私の緊張が、みんなにも伝染してしまったのだろう。

その日は夕食も静かに進んだ。


とりあえず、私はなんとか会話をしなければと思って、マリーに話しかけてみる。

しかし、

「…美味いな」

「ええ、そうですわね…」

そんな短いやり取りで、会話は途切れてしまった。

私は、たまらず、ドーラさんに、

「ああ、そうだ。ドーラさん、明日の弁当を頼めるか?」

と話を振る。

しかし、ドーラさんから、

「お昼に承りましたよ」

と優しい笑顔でそう言われてしまった。


「…あ、ああ。そうだったな。いや、すまん…」

という、しどろもどろな私の言葉を最後に、しばし、食堂に沈黙が流れる。

すると、それまで黙っていたズン爺さんが、

「ルビーとサファイアのやつは連れていかねぇんですかい?」

と私に聞いてきた。

私はハッとして、

「あ、ああ…。もちろんだ」

と、なんとか答える。

2人の存在を忘れていたわけじゃない。

むしろ当然一緒に行くものだと思っていた。

自分のことで頭がいっぱいになっていたばかりに、肝心なことを忘れてしまっていた、自分のうかつさを思って恥ずかしくなる。

私は、一度深呼吸をすると、改めて、

「明日、一緒にピクニックに行こう」

と、2人を誘った。


「きゃん!」(やったぁ!)

「にぃ!」(マリーもいっしょ!)

という元気な声が返って来る。

きっと、2人は私のその言葉を待ってくれていたんだろう。

2人で顔を見合わせると、いつも以上に嬉しそうな表情と、どこかほっとしたような表情を浮かべて、楽しそうに尻尾を揺らした。

そんな様子に私もほっとする。

ふと、横を見ると、マリーもほっとしたような、微笑ましそうな表情で2人のことを見つめていた。

そんなマリーと、目が合う。

私は、とっさに視線を外しながらも、

「…楽しみだな」

とひと言つぶやいた。

「…ええ、とっても」

とマリーも答える。

そして、どちらからともなく、

「うふふ」

「ははは…」

と小さく照れ笑いして、中断していた食事の続きに取り掛かった。


その日の夕食は、私の好きなとんかつにマリーの好きな茶碗蒸しが付いたとんかつ定食。

さっくりとした衣の食感がなんとも小気味いい。

私はやっと味がするようになった口で、カツをかみしめ、明日に向けてそっと気合を入れなおした。


翌朝。

まだ、少しモジモジしながら、マリーと挨拶を交わす。

「おはよう。マリー」

「おはようございます。バン様」

そこからまた、会話が続かなくなるが、昨晩のような重たい雰囲気はない。

私は、「こほん」と軽く咳払いをして、頭を掻きながら明後日の方へ目を向け、マリーは、「うふふ」と微笑みながら、軽く顔を伏せて頬を染めている。

そんな私たちの足下にルビーとサファイアが、

「きゃん!」(ピクニック!)

「にぃ!」(おべんとう!)

と楽しそうに言いながら駆け寄って来た。

私はサファイアを、マリーはルビーをそれぞれ抱き上げると、

「はっはっは。そうだな」

「うふふ。そうね」

と言って2人を撫でる。

そして、私が、

「さぁ、飯にしよう」

と言うと、みんな、それぞれの席に着いた。


食後のお茶を済ませると、さっそく私は厩へ行き、コハクとエリスを連れてくる。

玄関へ回ると、いつもの日傘の代わりにつばの広い帽子をかぶったマリーがルビーを抱いて待っていてくれた。

「待たせたな」

「いえ」

という短い会話を交わしている間に、さっそくズン爺さんがドーラさんから弁当の入った籠や、敷物なんかが入った袋をエリスに積んでくれる。

準備が整ったのを見て、私は、

「よし、行こうか」

と言って、マリーに手を差し出し、まずは、かがんでくれたコハクにマリーとルビーを乗せた。

私は、サファイアを抱えてエリスに跨る。

「留守を頼む」

出迎えに来てくれたみんなにひと言そう告げて、私たちは泉へと向かった。


夏の日差しを受けて、ゆっくりと進む。

時々、ルビーが嬉しそうに、

「にぃ!」

と鳴き、サファイアもそれに、

「きゃん!」

と応えて、いかにも楽しそうだ。

私もマリーもそんな様子を微笑ましく見守る。

途中、軽く休憩をはさみながら、いろんな話をした。

好きな色、好きな食べ物、好きな花。

家族の話になると、リーファ先生の話題になる。

「今頃どうしてるかしら?」

「そろそろ戻って来る頃だと思うが…。リーファ先生曰く、エルフさんたちはのんびりしているそうだからな。もしかしたら、少し遅くなるかもしれん」

私がそう言うと、ルビーが、

「にぃ!」(もうすぐ!)

と言い、サファイアが、

「きゃん!」(お友達もいっしょだよ!)

と嬉しそうにそう言った。


一瞬、どうしてそんなことがわかるのかと不思議に思ったし、サファイアのいうお友達というのがどんな人なのかも全くわからない。

しかし、まぁこの子達ならそういうこともわかるんだろうし、サファイアがお友達と言うならいい人に違いない、と思って、

「そうか。それは楽しみだな。じゃぁ、帰りにビワでも摘んで帰ろう」

と笑顔で答えておく。

ビワと聞いてやる気を見せるコハクを微笑ましく思いながら、楽しく進んでいると、やがて、目的の小さな泉へ到着した。


その泉は、直径4、5メートルほどの小さな泉で、深さも大人の膝くらい。

底の砂をぽこぽこと湧き水が吹き上げている様子がはっきり見えるほど澄んでいる。

周囲は草地になっていて、色とりどりの花が咲き乱れていた。

木々の間には、果物も見える。

さっそく、ここまで頑張ってくれたコハクとエリスに水を飲ませ、敷物を敷くと、まずはお茶を淹れた。

マリーの好きな紅茶だ。

当然、メルやドーラさんほど美味しく淹れられなかったが、それでも美味しそうに飲んでくれるマリーを見てほっとする。

そんなマリーの様子を見ながら、私もそのやや苦い紅茶をひと口すすった。


ややあって、

「なぁ、マリー」

私が、おもむろに口を開くと、

「はい」

と少し緊張した返事が返ってくる。

「いや、なんだ…。その…」

私も緊張して、少し言葉に詰まったが、「こほん」と小さく咳払いをすると、ポケットから飾り彫りがしてある小さな箱を取り出し、そっと開けてマリーに見せた。


マリーはその箱の中にある2つの指輪を見て、一瞬なんだかわからないというような表情を浮かべる。

そんなマリーに私は、

「ルシエール殿に頼んで作ってもらった。何かの本で読んだ外国の風習だが、夫婦は左手の薬指にそろいの指輪をはめるというやつがあってな…。良かったら受け取って欲しい」

そう言って、まず大きい方の指輪を取り出して、自分の左手に付けた。

そして、すっと立ち上がると、マリーに手を差し伸べる。

驚いたような表情で、しかし、満面に嬉しさをたたえたマリーの瞳には今にもこぼれそうな涙に潤んでいた。

おずおずと差し出されたマリーの手を握り、そっと立たせる。

少しの間、マリーと見つめ合うと、私は自分でも驚くほど落ち着いた声で、

「愛している。結婚してくれ」

と、やっと自分の気持ちをマリーに告げた。


夏の涼やかな風が、花を揺らし、木々が小さく葉を揺らす。

さやさやとした音と共に、マリーの瞳から、ついに涙があふれ出た。

マリーはその涙を拭うことなく、私を真っすぐ見つめる。

そして、いつものように美しく、愛らしく微笑むと、

「はい。喜んで!」

と、言って私の胸に顔を埋めた。


どのくらいそうしていただろうか。

やっと落ち着いたマリーが顔を上げ、2人で見つめ合う。

照れくささと幸せが入り混じった不思議な感情があふれ、私は思わず、

「ふっ」

と小さく笑ってしまった。

するとマリーも、いつものように、

「うふふ」

と笑う。

「これからもずっと一緒だ」

私がマリーを真っすぐに見つめてそう言うと、マリーも私を真っすぐに見つめて、

「はい。ずっと一緒です」

と、少しの照れくささを残しながらも満面の笑みで、そう答えてくれた。


改めて、マリーの左手を取る。

そして、私は、マリーの左手の薬指に、なんの飾りもない聖銀の指輪をはめた。

もう一度、マリーが私の胸に飛び込んでくる。

私もそんなマリーをそっと抱きしめ、

「…待たせたな」

とつぶやいた。

「うふふ。はい。ずいぶん長く待ちました」

マリーはいたずらっぽい顔で私を見上げて、笑いながらそう言う。

私も私で苦笑いの表情を浮かべながら、

「それは、すまんかった」

と、冗談っぽく返した。


「はははっ」

「うふふ」

また2人して笑い合う。

すると、

「きゃん!」

「にぃ!」

「ひひん!」

「ぶるる!」

という声がして、みんなが私たちの周りに集まってきた。

「おめでとう」というその声に、嬉しさが募る。

私がサファイアを抱き上げ、マリーはルビーを抱きかかえると、頬を寄せてくるコハクとエリスを優しく撫でた。

皆で顔を寄せ合って笑い合う。

私はこの瞬間のために生まれて、生きてきたのだろう。

そう思えるほどの幸せに包まれた。

きっとマリーもそう思っていてくれるに違いない。

うぬぼれではなく、自然にそう思えた。


「よし。飯にしよう!」

私が明るくそう言うと、マリーが微笑みながら、

「まぁ。バン様ったら相変わらずですわね」

と言って笑う。

そして、みんなも、

「きゃん!」(バン、相変わらず!)

「にぃ!」(あいかわらず!)

「ひひん!」(あははっ。相変わらずだね)

3人がそれぞれに笑いながら言い、エリスは、

「…ぶるる」(…相変わらずなんだから)

という感じでやや呆れ気味に鳴いた。


私は苦笑いで頭を掻きながら、

「はっはっは。今日の弁当はなんだろうな」

と照れ隠しにそう言って、さっそくドーラさんが持たせてくれた籠を開ける。

中には、色とりどりのサンドイッチに加えて、卵焼きとあのミートボールが入っていた。


夏の陽が泉を照らし、きらきらと輝く。

そして、私たちの楽しいピクニックが始まった。

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