第199話 春来たる 03 あれ(異世界転生)から40年
トーミ村は、日々緑を濃くしている。
村の農家にとっては忙しい季節の始まりだが、私にとっては繁忙期を乗り越えた時期。
いつものように役場に通い、たまにうちの子たちと森に入って魔獣を狩る。
そんな平和な日常を送っていた。
そんな日常の中。
久しぶりにギルドへアイザックのやつの仏頂面を拝みに行く。
どうやら最近、魔獣が多いらしい。
とはいえ、異常事態とかそういうものではなく、単に作物に表年、裏年があるように、魔獣も若干多い年と少ない年があるという程度のことだ。
今年はその表年に当たるらしく、ギルドは忙しいと聞いたので、軽い陣中見舞いでもと酒瓶片手にギルマスの執務室の扉をくぐった。
「よう。暇そうだな」
ニヤケ顔でそう言う私に、
「お前と一緒にすんな」
といつもの悪態が返ってくる。
「で。どんな感じだ?」
とざっくり森の様子を聞くと、
「ああ。猫が多いらしい」
という、これまたざっくりとした返事が返ってきた。
猫というのは、ヌスリーやサルバンのような猫型の魔獣全般のことを指している。
「ジャールも出てるのか?」
と聞くと、
「ああ、ちょいとはな。しかし、そいつらよりもエンヌの方が厄介だ。奥地でひっそりしてるはずのヤツらが中層辺りに出てきているらしい。まぁ、たいして強いヤツでもないから、まだ助かっているが…」
エンヌというのは、言ってみればヤマネコを少し大きくしたくらいの魔獣で、強さはたいしたことがない。
しかし、たいしたことはないが、増え過ぎは困る。
ヤツらはゴブリンの餌になりやすい。
そんなことを考えて、私が、
「…初心者にはちょっとやっかいな相手だな」
と、つぶやくと、アイザックは、
「ああ。中堅どころが熊とか鹿のついでに頑張ってくれている」
と、ため息交じりにそう答えた。
エンヌなんて、人間にしてみれば、不味くて食えたものじゃないが、ゴブリンは気にしないらしい。
手頃な大きさで脅威も少ないから、かっこうの餌になる。
初心者が間違って深追いすればゴブリンの群れとかち合ってケガをしかねない。
中堅どころが頑張ってくれているなら今のところ大丈夫だろうが、一応、様子を見てみる必要がありそうだ。
「散歩ついでに行って来るか」
私がそうつぶやくと、
「…そんなにたいした状況じゃねぇんだ。任せてもらってもかまわんぞ?」
と、アイザックは怪訝な顔でそう言う。
「なに。ギルドを信用してないわけじゃないさ。本当に散歩ついでだ。最近、運動不足だったからな」
私がそう言うと、アイザックは呆れたような顔で、
「はっ。好きにしろ」
と、いつものように悪態を吐いた。
そんなアイザックに酒瓶を渡すと、1階でサナさんに声を掛ける。
「やぁ、サナさん。火炎石の在庫はあるかい?」
「ええ。5つほどなら」
いつものように淡々と答えるサナさんに、
「じゃぁ、3つほどもらおう」
と言って、さっそく受け取ると、屋敷へ戻って行った。
その日、晩飯の後のお茶の席で、
「…と、いう訳で、しばらく森に入ってくる。5、6日くらいだろう。…今回は1人で行こうと思っているが、かまわんか?」
と言って、ルビーとサファイアの方に顔を向ける。
2人は、少し考えたあと、
「きゃん!」
「にぃ!」
と、鳴いて、
((いいよ!))
と言ってくれた。
きっと何かを察してくれたんだろう。
…面倒だからいいよ、と言ったのではないと信じたい。
私が、今回突然1人で森に行こうと思ったのには、訳がある。
いや、訳と言うほどのものでもない。
これからの家族のこと、村のこと、そして、自分の道のこと…。
特段、迷いは無いが、人生の岐路に立っているんだ、ここは一度、深呼吸をしてみる方がいいのではないか?と、ちょっと、そんなことを思っただけのことだ。
ゆっくり、森を歩きながら、自分のこれまでとこれからを見つめなおしてみたい。
そんな機会があってもいいだろう。
そんなことを思って、家族には申し訳ないが、少しリフレッシュさせてもらうことにした。
そんな理由で、さっそく翌日、アレックスにしばらく休むと伝える。
急ぎの案件はすでに終わらせているので、問題無かろうと思ってはいたが、案の定、すんなりと承諾してくれた。
翌朝、こちらは少し渋るコハクとエリスをなんとか宥めて、森へと向かう。
久しぶりの森歩きだ。
昔のように、森の入り口でおっちゃんに馬を預けると、まずは炭焼きの連中の所へ向かった。
どうやら、森にそこまでの異変は感じていないらしいが、冒険者から状況は聞いているらしく、
「十分に注意させておりやす」
というベンさんの言葉を頼もしく感じつつ奥を目指す。
途中、
「ああ、ルビーがいたのは、この先だったな」
などと感慨にふけりつつも順調に進み、適当な場所を見つけると、さっそく野営の準備に取り掛かった。
適当に干し肉とドライトマトでスープを作り、パンをかじる。
(昔は、こんな感じだったな…)
ほんの少し前のことのはずが、ずいぶん遠い昔のことのように思えた。
(懐かしいものだ)
そんなことをしみじみと感じている自分に気が付き、
(歳をとったものだ…)
と、自嘲気味に笑う。
このトーミ村にやって来たのは、偶然だったのか、それとも運命だったのか。
どちらにしろ、私は自分で選んだ。
そのことに後悔などない。
いや、あろうはずがない。
幸い人に恵まれた。
いや、恵まれすぎていると言ってもいいかもしれない。
友を得、仲間を得て、家族を作り、恋まで出来た。
のんびりとした村の空気、やりがいのある仕事、大好きな冒険、美味い飯。
誰もが望んでも得られない物が私の周りにある。
こんなにも恵まれた境遇を得られるほどの何かを、自分は成し遂げたのだろうか?
いや、私は何も成し遂げてはいない。
だからこそ、これから成し遂げなければならない。
家族の笑顔を守り、村の笑顔を守る。
それが私に課せられた使命だ。
…いや、それは少し違う。
結局、私は、私が笑顔で過ごしたいんだ。
だから、それに欠かせない家族の笑顔や、村人の笑顔を失いたくないと思っている。
何かを成し遂げるとか、大袈裟なことを考えてしまったが、それは嘘だ。
見栄っ張りな自分が、格好つけて自分についた嘘だ。
結局、私はわがままで気ままな風来坊気質の軟弱な男であって、そんなにたいしたものじゃない。
格好つけるな、自分をありのまま受け入れろ。
その先には、きっと自分の道がある。
いや、その先にしか自分の道は拓けないだろう。
師匠は言った。
真っすぐ進めと。
迷わず自分を信じて進めと。
お前には自由が似合う。
奢らず、弛まず、阿らず、ただ自分の信じた道を行け。
そう言ってくれた。
私には守るべきもの…、いや、守りたいものがある。
それは幸せなことだ。
私から自由を奪う枷じゃない。
誰かのために生きるということは、結局、自分のために生きることで、自分のために真っすぐ進むことが、誰かのために真っすぐ進むことにつながっている。
その相反するように見える2つが上手く重なった先に、私の道があるし、私が真に追い求める道があるんじゃなかろうか?
私はそれを信じて進めばいい。
信じた先に私の道がある。
いや、道が出来る。
昔の私は、その道の先には、きっと喜びというものが、幸せという物が待っているのだろうと思って進んでいた。
でも、今は違う。
この道を真っすぐ進んでいる、迷わずに進めていることこそが幸せなんだ。
今は心の底からそう思っている。
ああ、なるほど。
これが人間の幸せという物か。
そんな考えにたどりついた時、ふと、薪のはぜる音で我に返る。
うっそうとした木々の枝の隙間から星が見えた。
いつも見ているトーミ村の星空。
きっと、これが幸せという物なんだろう。
私はもう一度そう思うと、スキットルのアップルブランデーをひと口、ちびりとやった。
翌朝。
いつものように夜明け前に起き、また、昔のように簡単な飯を済ませて歩き出す。
新緑の香りを胸いっぱいに吸い込み、鳥の声を聞きながら歩き、小さな滝にでると、そこで昼飯を食った。
森の空気と簡単な飯を堪能してまた歩き始める。
そして、目的の場所は意外と早く見つかった。
(こんなに近かったとは…)
一歩間違えば村の一大事になっていたかもしれない。
そんなことを思うと、怖気が走る。
私はさっそく突っ込むと、迷わずゴブリンの群れを斬り掃った。
気が付けば夕方。
ゴブリンをまとめて焼きながら、適当な岩に腰を下ろす。
スキットルを取り出し、アップルブランデーを一口。
暮れ行く空と、焼かれるゴブリン。
そんな光景をぼんやりと眺めていて、ふと、
(…たしか今日は私の誕生日じゃなかったか?)
と思い出した。
思わず、
「ふっ」
と小さく笑ってしまう。
また、アップルブランデーをひと口。
「ふぅ…」
と一つ息を吐くと、
「あれ(異世界転生)から40年か…」
そんな言葉が口をついて出てきた。
なんとも言えない感慨が心の中に広がっていく。
なぜかこの世界に生まれ、師匠と出会い、冒険に出て、家族が出来た。
言葉にすれば、たったそれだけことが、今の私を形作っている。
そして、それが、私がこれからたどろうとしている道を形作ってくれるのだろう。
そう思うと、無性に家族に会いたくなった。
(さぁ、早く家に帰ろう)
そう思って、立ち上がり、ふと空を見上げる。
橙色から浅黄色を経て濃紺へとつながっていくその空には、いつの間にか一番星が瞬いていた。
(お気づきの通り、プロローグの場面です。…いろいろと齟齬がありますが、とりあえず、今は、気にしないでいただけると非常に助かります。)
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