第162話 父、再び来る03

離れの玄関にはすでにローズがいたので、軽く言葉を交わして私も一緒に待つ。

すると、間もなくジュリアンを先頭にした伯爵一行が近づいてくるのが見えてきた。

2頭立ての立派な馬車が2台連なって入って来る。

どちらも豪華な馬車で、以前伯爵の馬車を見たことがなければどちらが伯爵の馬車か区別するのは難しかっただろう。

(さすがはエルリッツ商会だな…)

と感心して眺めていると、馬車が止まり、まず伯爵の馬車のドアをローズが開け、伯爵が降りてこられた。


「ようこそおいでくださいました。クルシウス・ド・エインズベル伯爵。お久しぶりでございます」

と不器用ながらも貴族の礼を取る。

「おお。エデルシュタット男爵。こちらこそご無沙汰をしております。どうぞお楽に」

と気さくにおっしゃってくださる伯爵の言葉に甘えて礼を解くと、今度は後ろでドアの開く音がして、ルシエール殿と思われる女性が降りてきた。


「お初にお目にかかります。バンドール・エデルシュタット男爵様。エルリッツ商会のルシエールと申します」

そう言って、あまりにも綺麗な姿勢で礼を取る女性に一瞬慌ててしまったが、

「こちらこそお初にお目にかかります。バンドール・エデルシュタットと申します。これから伯爵にも申し上げようと思っておりましたが、まずはマルグレーテ嬢との対面を優先していただきたい。正式な挨拶は明日改めて差し上げよう」

と一瞬迷ったが貴族式ではなく、簡素な礼を取りながらそう答える。

「エインズベル伯爵。そのようなわけでどうぞお入りください。私はここで失礼いたします」

そう言ってローズに目配せをすると、さっそくローズは離れの玄関の戸を開けた。


「かたじけない」

そう言って軽く礼を取り、伯爵とルシエール殿、そして、メルとローズの母親だというメイド長が離れへと入っていくのを、これから離れのリビングで繰り広げられるであろう光景を想像しながら微笑ましく見送る。

そして、私は、

「では他の皆さんは屋敷の方へご案内しよう」

と言って他の従者たちへと目を向けた。


伯爵の護衛騎士はジュリアンをはじめとした見覚えのある人物たちだったが、ルシエール殿の方はおそらく冒険者であろう護衛が2人とメイドが1人。

(聞いていたのと違うが)

と不思議に思ってよく見てみると、ルシエール殿の馬車を操っている馭者役がどうやらメイドのようだ。

目を合わせると軽く礼をされたので、こちらも軽く目礼し、

「馬車はいったん屋敷の前へ。荷物を下ろしたら家の者に厩に運ばせよう。ルシエール殿の護衛の方々は宿へ案内するのでついてきてくれ」

と伝える。

すると、ルシエール殿の護衛の冒険者から、

「男爵様。お屋敷の前に主ルシエールからのお礼の品をお持ちしております。そちらのご確認をお願いいたしたい」

と声を掛けられた。


「…?ああ、それはかたじけない。ではさっそく向かおう」

とりあえずそう礼を言っておく。

(わざわざお礼の品を持ってきてくれたのか。荷物になっただろうに申し訳ないな)

と思いながら屋敷の玄関へ回り、まずは護衛騎士とメイド一行をアレックスとシェリーに任せ、門まで出ていくと、そこには、先ほど伯爵が乗っていたものよりもやや地味な感じではあるが、一見していい物だとわかる馬車と馭者役の冒険者が見えた。


「こちらです」

と先ほど声を掛けてきた冒険者が言う。

私が疑問符を浮かべながら、

「どれだ?」

と聞くと、

「こちらの馬車です。あと、中に海産物も積まれております」

と言われた。


「はぁ!?」

思わず間抜けな声が出てしまう。

私が目を丸くして、その冒険者の方を見ると、

「こちらの馬車が主ルシエールからのお礼の品です」

と再びそう言われた。


「豪儀なもんだなぁ…」

そんな感想しか出てこない。

さすがに驚いた。

荷馬車ならともかく、このくらいの馬車ならいったい金貨何枚になるだろうか?

オーク1匹では少し心もとないだろう。

思わず頭の中でそんな変な計算をしてしまう。

そして、一度深呼吸をすると、なんとか少しだけ落ち着いて、

「とりあえず受け取らせてもらおう。いったん裏の納屋までいいだろうか?そこで確認させていただく」

とその冒険者に伝えた。


道々話を聞けば、その冒険者は正確には元冒険者で今はエルリッツ商会専属の護衛だという。

私も元は冒険者だったというと、かなり驚かれた。

彼らは元々騎士の家系の次男や三男で、どちらかと言うと魔獣よりも要人警護の方を得意としているらしい。

そこで、5年ほど前からエルリッツ商会に雇われて専属の護衛として働いているという。

(ああ、なるほど。それで冒険者にしては佇まいがきちんとしていたのか)

そんなことを思いつつ、遠慮する冒険者たちと一緒に荷下ろしをして、簡単に目録を確認した。


(エビと魚の干物はイワシとソル、それにウルもあるのか。これは鯛のような味がして美味い。潮汁風のいい吸い物になりそうだ。あとはイカと…おっ!ルツ貝があるじゃないか!これはホタテよりも少しあっさりしているが良い出汁が取れるし、いいつまみになる。ズン爺さんが喜びそうだ。まぁたくさんあるようだし、アイザックのやつにも少しくらいはわけてやろう)

馬車にも驚いたが、こちらも価格面ではともかく、質的には引けを取らない。

(おそらく私の食い意地を伯爵から聞いていたのだろうが、完璧な心遣いだ…。いやぁ、恐れ入る)

そんな感想をいただきながら、確かに確認した、と言って護衛一行に、宿屋まで案内しようと言うと、さすがにそれは申し訳ない、宿屋の場所は確認してあると遠慮された。

そんな態度に、

(ああ、そういえば私は貴族だったな)

と思い出し、少し苦笑いしながら護衛一行を見送り、私も、

(さて、今日の飯は何だろうか?ああ、そう言えばシチューだと言っていたか。それならマリーも伯爵たちと一緒にたくさん食べられるな。きっとあちらも良い夕食になるだろう)

いつものように晩飯とマリーたちのことを考えながら屋敷へ戻る。

いつの間にか、太陽は森の方に傾いて赤く染まっていた。


~~離れの光景(ルシエール視点)~~

バンドール・エデルシュタット男爵という男性の第一印象は、元冒険者にしてはきちんとしているが、貴族としては粗野。

人柄は実直だと聞いていたが、その通りの印象で落ち着いた雰囲気。

形よりも実を取るタイプのようで、取引先としては信用できるという印象だった。

挨拶よりもまずはマリーに会うように勧めてくれた男爵に感謝しつつ、簡素で可愛らしい印象の離れへ入ると、壁に手すりがつけられている。

(なるほど。実直で優しい人柄らしい…)

そんな風に印象を良くしながら、メリーベルが開けてくれたドアをくぐった。


そして、私もお父様も一瞬固まる。

あのやせ細って、今にも…という印象だったマリーが、亡き母のように優しく微笑んで立っていたのだ。

私が見開いた目に映った妹マリーの姿は、体つきも普通の女性と変わらないし、髪もつややか。

血色の良さが化粧のせいではないことだってよくわかる。

「…っ!」

両手を口に当て、声にならない声を発する。

言葉になどできるはずがない。

この感動を表す言葉などこの世に存在しないからだ。


涙があふれる。

まるでその微笑みに吸い寄せられるように2、3歩近づくと、私は可愛い妹をできる限り優しく抱きしめた。

あの冷たく、今にも壊れてしまいそうだった妹の体から優しい体温と柔らかい感触が伝わってくる。

「…うぅ…」

とめどなくあふれる涙と声にならない声。

やがて、私の背中に手が添えられた。

お父様の手だ。

横から優しく背をさすってくださるお父様の胸に私とマリーが身を寄せ、私たち3人は輪になって抱き合う。

その温もりにまた涙があふれだした。


どのくらい時間が経ったのだろう?

ようやく涙が落ち着くと、

「さぁ、まずはお茶にしよう。たくさん聞きたいことも話したいこともたくさんあるからね」

というお父様の優しい言葉をきっかけにいったん親子の輪が少しだけ緩むと、再びマリーと目が合う。

「「うふふ」」

額が当たるほどの距離で互いがはにかむように微笑み合うと、私はマリーの頬にそっと手を添えて、

「おかえりなさい」

と万感の思いを込めてそう言った。


なぜ、そんな言葉をかけたのかはわからない。

しかし、自然とそんな言葉が出てきた。

そんな言葉に、

「はい!」

と嬉しそうに答え、

「うふふ」

と少し照れたように微笑むマリーの頭を優しく撫でなる。

「さぁ、たくさんお話しましょうね」

そう言って、私はマリーの肩を抱きながらソファへ導いた。


こぢんまりとしていながらも暖かな光が差し込むリビングで優しいお父様と可愛い妹と一緒にマーサが淹れてくれた紅茶を飲む。

そんな夢のような光景をかみしめるように味わう紅茶は懐かしいあの頃の味がした。

(ああ、お母様の紅茶ね…)

母が好きだったあの味。

自分で淹れてもメイドに淹れてもらってもなかなか出てくれなかったあの味が、口の中に広がっていく。

いかにも懐かしそうに紅茶の入ったカップを眺めていると、メルがお茶菓子を持ってきてくれた。


よく見れば、幼かったメルとローズも今ではすっかり大人の女性になっている。

私の頼みを聞いて、しっかりとマリーを支えてくれていたのだろう。

この子達にも苦労を掛けてしまった。

そう思うと少し申し訳ない気持ちになって、

「ありがとう」

と言うが、その言葉にほんの少し悲しさが混じってしまった。

「いえ」

と言ってくれるメルの微笑みはとても優しかった。

おそらく私の気持ちを察してくれたのだろう。


そんな微笑みに少しだけ気持ちが軽くなって、目の前に置かれた器、取手のないカップ、たしか北方でよく使われている湯飲みという器に目を落とす。

中に黒いソースのようなものが見えた。

(なにかしら?)

と思っていると、

「あら!プリンですのね」

と言って、マリーが嬉しそうな声を上げ、父上も、

「ああ。私も楽しみにしていたよ」

と嬉しそうに微笑んでいる。

「あら。2人ともずるいわ。私にもこれがなんなのか教えてちょうだい」

というと、マリーは少しいたずらっ子のような顔をして、

「うふふ。お姉様、このおうちでは特別な日はこのプリンが出てきますの」

と少し得意げにそう言った。


「はっはっは。エデルシュタット男爵、いやあのドーラさんの気遣いには感謝するばかりだ。さぁ、ルー、食べてごらん。きっと驚くよ」

「ええ。きっと驚きますわよ、ルー姉様」

と2人してまた少し得意げな顔でそう言う。

(なんなのかしら?)

と思いながら、勧められるままにそのプリンというものにスプーンを入れた。


感触は少し弾力があって、黒いソースの下にクリーム色が見える。

すくってみると、プルプルとしていて、濃厚な甘さと香ばしさが目の前に一気に広がった。

迷わず口に運ぶ。

口に入れた瞬間、思わず目を見開いた私に、マリーが、

「ね?驚いたでしょう?ルー姉様」

とまた得意げな顔でそう言った。

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