閑話 エデルシュタット家の食卓10

第154話 肉祭り(ゴル)

突発的な事態で、仕事に追われる日々を送ることになってしまった私を癒してくれたのはやはりドーラさんの飯だった。

気持ちも新たに仕事に取り組む覚悟を決めて、精神的にはずいぶんと楽になったが、体は疲れる。

しかし、ゴル肉という最高の食材とドーラさんの魔法の合わせ技で癒せない疲れなどないということを改めて実感した。


村のみんなには申し訳ないが、我が家は少し多めに各部位をまんべんなく取らせてもらった。

例の赤身と霜降りの中間的な足の付け根の部分はしゃぶしゃぶ、赤身の部分はローストとして消費している。

残りは、霜降りと尻尾で、残り2回。

(さて、今日はなんだろうか?)

体は疲れていたが、心をウキウキさせながら屋敷に戻った。


「おかえりなさいまし。今晩はスキ焼きですよ」

知ってか知らずかドーラさんは、日本人の心をもっとも踊らせるひと言で出迎えてくれる。

そのうち、きっとこの世界でもそうなるんだろうな、とどうでもいいことを考えつつ、急いで食堂へ向かった。

食堂へ入ると、おそらくもうそのことを知っているのだろうリーファ先生が、目をランランと輝かせて今か今かとその時を待っている。

手にはすでに箸が握られていた。

やがてシェリーがスキレットとコンロを持ってきてお櫃を設え、

「うどんも用意してあります!」

と、さらなるキラーフレーズを残してまたいそいそと台所の方へ戻って行く。

「ぬぅ…」

私の隣から言葉にならない心の叫びが聞こえてくる。

そして、その時はやって来た。


今回はしゃぶしゃぶの時のように肉の花は咲いていないが、きれいに折りたたまれた薄切りの肉が整然と並べられている。

(そう。これだ)

やはりスキ焼きの肉は、こうやって楚々とした雰囲気でややツンとすまして並んでいるのがよく似合う。

これからこの幅広の肉を豪快に食えるのだ、という期待感が一気に高まる盛り方だ。


まず、ドーラさんが牛脂…ならぬゴル脂を引くと甘く切ない香りが食堂に立ち込める。

それに続くのは肉の焼ける音。

砂糖と醤油が奏でるあの効果音。

すべての音が合わさって荘厳な音楽を奏で始めた。

(ああ、あの舞踏会再び)

と、止まらないよだれをなんとか口の中に押しとどめつつ待つ。


「じゃぁ、まずは村長から」

というドーラさんの言葉がまるで福音のように思えた。

隣から視線を感じるが、今は気にしている場合ではない。

申し訳ないが人には譲れない時がある。

ありがたくドーラさんの言葉に甘えてまずは一口頬張った。


私の中で何かがはじける。

その衝撃波は私の体中を猛烈な速さで駆け抜け、未知の感覚に訴えかけてきた。

そして、教えてくれる。

「考えるな。感じろ」

と。


私は勘違いをしていた。

始まっていたのは舞踏会ではない。

そこにあったのはもっと壮大な宇宙創造の物語だ。

いまだ人知の及ばない摩訶不思議な力で広がり続ける宇宙。

その原初の姿と見果てぬ深淵が私の心の中に広がるのを感じた。


(同じ肉を同じように調理してなぜこんなにも違う?)

ふと、そんな疑問が浮かぶが、

(いかん!)

と思って再びその広大な世界に没入する。

(余計なことは考えるな、とにかく集中して目の前の味を堪能しろ)

そう言い聞かせ、集中を高めていくが、広がり続ける先が全く見えない。

だが、その広大な世界を漂っていること自体がものすごく心地よい。

(ああ、これが幸せか…)

そんな悟りの境地にたどり着く。

(いつまでもこの空間を漂っていたい)

そう願ったが、一瞬と永遠の狭間でゴル肉は私の口の中から消えて行った。


諸行無常。

なんとなくそんな言葉が脳裏に浮かぶ。

ちなみに、どんな意味かは知らない。

ふと横を見ると、リーファ先生もうっとりとした目で虚空を眺めていた。


やがてみんなに肉が行き渡り、シェリーが涙を拭き終わると、野菜が投入され、食卓の上に銀河が形成された。

やがて、我慢に我慢を重ね、自分の中の欲望と戦い続けて育て上げた卵を白飯にかけて食おうとなった段階で、ドーラさんから、

「村長、こちらを」

と、トリュフことコブシタケを渡された。

ドーラさんの魔法がかかったスキ焼きで育った卵を村の米にかけ、なおかつそこにトリュフを乗せる。

その超新星爆発を超えるような衝撃が、私の思考を停止させたのに違いない。

なぜか、

(なんということでしょう…)

という、あのナレーションが頭の中に響き渡った。


そんな感動を堪能し、すべてのうま味を吸い込んだうどんで締めくくる。

もう、これ以上なにもいらない。

そう思って、私が、

「最後の晩餐」

とつぶやくと、隣から、

「ああ…」

という達観したような声が聞こえた。


どうやら同じ思いに至ったらしい。

私とリーファ先生は目を合わせると、どちらからともなく、

「「ふっ」」

と笑って、同時に虚空を見上げた。


そんな衝撃の後、明日は一日、あえてさっぱりとした食事で済ませるよう、ドーラさんにお願いする。

リーファ先生は目を丸くして「なぜだ!?」という顔を勢い込んで私に向けてきたが、次なる戦に備えて心を整える時間が必要だ、と言うと悔しそうな顔をしながらも「たしかにそうだな」と納得してくれた。


そして、いよいよ、その次の戦の火ぶたが切って落とされる日の夕方。

(さて、あと残っているのは…ああ、尻尾の部分だったか。あそこは割と固そうだったがどんな料理になるのだろうか?)

と考えつつ勝手口をくぐる。

「おかえりなさいまし、村長」

とドーラさんがいつものように迎えてくれたので、いつものように、

「ただいま。今日の飯はなんだ?」

と聞くと、

「今日はシチューでございますよ。尻尾でしたか?あのお肉は少し固そうでしたから、何日か前からゆっくり煮込んでおいたんです」

と教えてくれた。


私が、

(ほう…。ビーフシチューの豪華版といったところか…)

となんとなく考えていると、ドーラさんが、

「パンとお米どちらがよろしいでしょうかねぇ?」

と珍しく顎に手を当てながらつぶやく。

(ん?ビーフシチューと言えば定番はパンだが…)

私は一瞬そう考えるも、

(いや…)

と考え直す。

なにせ、ドーラさんが迷うくらいだ。

何か理由があるのだろう。

そこで私は、決断し、

「両方いってみよう」

と言った。


「うふふ。そうですわね。あら、じゃぁ離れの方にもお米も用意してくださいって伝えにいきませんと。シェリーちゃん、ちょっとお米を炊くの、お願いしていい?」

と言って、ドーラさんは離れの方へ向かう。

「シェリー。米は頼んだぞ」

と私が真剣な目でそう頼むと、シェリーは緊張の面持ちで、

「はっ!かしこまりました!」

と例の敬礼のようなポーズをとり、さっそく米を研ぎ始めた。


私はその姿に大きく一つうなずくと、胸に湧き上がってくる緊張と興奮を鎮めるように軽く深呼吸を繰り返しながら食堂へ向かう。

ソファの上でじゃれ合っていた2人とリーファ先生はやたらと緊張している私を見て不思議そうな顔をしていたが、やがてリーファ先生は何かを覚ったのだろう。

私に真剣な眼差しを向けてきたので、私は「うん」と深くうなずいた。


そわそわした気分でその時を待つ。

そして、その時はやって来た。

ようやくドーラさんとシェリーがカートを押して入ってくる。

まずはシェリーがサラダを配り、お櫃から米をよそってパンを置くと、リーファ先生は、パンと米という一見奇妙な組み合わせに怪訝な顔を見せた。

私は、

(さて、どちらがどうなるか)

と期待の眼差しでその米とパンを見つめる。

すると、いよいよドーラさんがメインのシチューを鍋から取り分け始めた。


見た目はドロッとしているだろうか。

通常のビーフシチューよりも濃厚なのが見た目でわかる。

やがて、全員に行き渡ると、私はさっそくシチューをひと掬い口に入れた。

衝撃と戦慄が走る。

思わず隣のリーファ先生の方を向くと、リーファ先生も同じように目を丸くして私の方を向き、2人同時に大きくうなずいた。


これはたしかに米だ。

もちろんパンもいいだろう。

これに香辛料が加わればカレーになるのではないかという濃さ。

いや、香辛料は不要かもしれない。

なにせ、私の知っているビーフシチューとはけた違いの美味さ。

まるで別物だ。


ソースで煮込まれてはいるが、そのソースはほんのおまけ程度。

肉で肉を煮込んだのではないかと思えるほど肉の魅力が詰まっている。

おそらく骨から出た出汁の美味さと程よい弾力を残しながらもホロホロとほどけていく肉。

その肉からあふれ出すうま味と香り。

そこには当然、野菜のうま味も加わっているのだろうが、主役はあくまでも肉のうま味だ。

存在感の強い主役を脇役たちが引き立て、作り出される豪華な舞台。

私の中になぜか、あの大物時代劇俳優が金ぴかの衣装でサンバを踊るあの映像が浮かんだ。


おそらくは、あまりの衝撃に私の思考がまた停止したかもしくはひどく混乱したのだろう。

もはや理解不能の美味さに何をどう表現していのかもわからなくなってしまったが、とりあえず、あの、ある意味衝撃的なあの映像を振り払うように2,3度頭を振ると魔力を練り集中を高めつつ夢中で頬張った。


米にかけて食う。

パンにもつける。

お替りをしつつ、それを何度繰り返しただろうか。

やがて皿の中が寂しさを訴え始めると、皿に残ったシチューを余すことなく味わうためにパンで拭い、ついに私はその衝撃から抜け出せないまま食事を終えてしまった。


「すばらしい…。すばらしいよ、ドーラさん。あの部分の肉の煮込みは一度食べたことがあるけど、せいぜい少し美味いスープくらいのもので、これほどの物ではなかった。いったいどんな魔法を…?」

リーファ先生はまだ少しだけ虚ろな表情でドーラさんに質問を投げかける。

「あらあら。魔法だなんて。何日か時間をかけてゆっくり煮込んで休ませてを繰り返しただけですよ」

とドーラさんはリーファ先生の質問に対して、なんというほどのことでも無いというような感じでそう答えた。


「そうか…。大規模魔法に長い詠唱は付き物だ。うん。なるほど…」

と私と同様、まだ思考が混乱しているのであろうリーファ先生もおかしな例えを出してくる。

しかし、言わんとすることはなんとなくわかるから不思議なものだ。


「いや、不謹慎なのはわかっているんだけどね。もっとゴルがいればいいのに、と思ってしまったよ…」

とリーファ先生がつぶやいたのにはさすがに驚いたが、その気持ちは私にもよくわかった。


ドーラさんも、

「あらあら。でも、こんなに美味しいお肉なら何年かに一度は食べてみたいと思ってしまいますねぇ」

と言って笑う。

ズン爺さんも苦笑いしながらコクコクとうなずいていた。


(ああ、これでゴル肉祭りも終了か…)

一抹の寂しさと大いなる幸福を感じて腹をさする。

「きゃん!」

「にぃ!」

((またとってきてね!))

と言ってキラキラした目で私を見上げてくる2人を優しく撫でて、私は自分の中でそっとこの祭りを締めくくった。


…つもりだったが、翌日の昼、ドーラさんが、

「端の方のお肉が少し余っておりましたから」

と言って牛丼を出してくれた。

いや、正確にはゴル丼か。

それはともかく、残念ながら生で食べられる卵が無かったので、上に乗っていたのは温泉卵だったが、それはそれで正解だし、紅ショウガの代わりにガリのようなしょうがの甘酢漬けを添えてくれたのだから完璧以外のなにものでもない。

そのゴル丼は、あの店やあの店やあの店をはるかに超える逸品だった。

いや、あれらの店のあれはあれであのジャンクな味が正解なのだから比べてはいけないのかもしれない。

ともかく現実にそうである通り、ゴル丼は別世界の別の食べ物だった。

私はこの史上最高のサプライズプレゼントを一生忘れることはないだろう。

牛丼を食べる際の正式な作法としてあえてガツガツと掻き込んだあと、満たされた腹をさすり、心を落ち着かせるべく虚空を見上げながら、私はしみじみとそう思った。

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