第152話 村長、仕事に追われる06

屋敷へ戻ると、さっそくリーファ先生に手紙を渡す。

リーファ先生宛の手紙は、私宛の書状とは違い、A4くらいの大きさで、やや厚みがあった。

私は、

(あのジードさんのことだ。きっといろんな思いが詰まっているんだろうな)

と、微笑ましく思っていたが、どうやら違ったらしい。

リーファ先生は、

「ほう。なかなか早い返信だったね。おそらく君の師匠に関する資料だろうから、まぁ、後でよく読んでから話そう」

と言うと、その手紙を持ってさっそく自室へと向かっていった。


ややあって、待ちに待った夕食の時間になる。

我が家の食卓には、いつになく張り詰めた空気が流れていた。

いや、正確には緊張と期待が入り混じった空気といったところだろう。

まずは、シェリーが食卓にコンロと鍋を設置すると、おひつを置き、いろいろな種類のタレを並べた。

タレはポン酢らしきものとラー油っぽいもの、シェリーが提案した卵の黄身の醤油漬けにマヨネーズを使ったタレもある。

これは紛れも無くしゃぶしゃぶのセットだ。

「茸類は先に入れておきますね。お出汁が出て美味しいですから」

シェリーはそう言っていくつかの茸を鍋に入れていく。

他の野菜は長ネギこと白根と白菜に近いエリ菜、水菜に近いエクサが用意してあるようだ。

こちらは適宜つまめばいい。

そうやって、ちゃくちゃくと準備が整っていき、私たちの期待が頂点に達したところで、いよいよドーラさんがカートを押してやって来た。


「うふふ。お待たせしましたねぇ」

とドーラさんは微笑みながらおそらく肉が入っているだろうあの銀のフタ、クローシュがかぶせられた皿を食卓の上に置く。

そして、なぜかシェリーに目を向けると、うなずき合っておもむろにクローシュをとった。


「おぉ…」

私は驚愕と喜びがない交ぜになったような表情で感嘆し、リーファ先生は、

「な、なにっ!?」

と私よりも驚愕の度合いが大きいような表情で叫ぶ。

ドーラさんに目をやると、いかにもいたずら大成功といった表情を浮かべて「うふふ」と笑い、

「シェリーちゃんが考えてくれたんですよ」

と言ってシェリーに優しい目を向けると、シェリーは、

「宮廷で野菜を薄く剥いて盛り付けているのを参考にしてやってみました」

と少し照れたのか、はにかみながら説明してくれた。

今、私たちの目の前には肉の花が咲いている。

あの高級な店でよく見る肉が薔薇のように盛られたやつだ。


(まさか、この世界にこれが誕生するとは…)

私がそんな感に浸りきっていると、その横でリーファ先生が、

「…に、肉の花…」

とうっとりしたような、今にもよだれを垂らしてしまいそうな、そんな表情でひと言つぶやく。

そんなリーファ先生の表情をみたドーラさんが、

「うふふ。なんだか食べてしまうのがもったいのうございますねぇ」

と言うと、リーファ先生は、ドーラさんをまっすぐ見つめ、

「ああ、そうだね。…しかし、花は散るからこそ美しいのだよ」

と真顔で言った。


「はっはっは。ではさっそく散りゆく花をみんなで愛でるか」

私が笑いながらそう言うと、みんな笑ってそれぞれに肉を摘まんで出汁にくぐらせる。

しゃぶしゃぶはこうして自分で肉に化粧をさせる感じが面白い。

薄過ぎず濃過ぎず、ちょうどいい塩梅を自分で見つけ出す。

その作業の面白さもこの料理の醍醐味だ。

ほんのりと頬を染めたくらいに仕上がった肉をまずはポン酢でいただく。

一度出汁をくぐらせたことでややあっさりしながらも、本来のポテンシャルを失わないゴル肉の強さと柑橘のさわやかな香りの対比が面白い。

だが、どちらも主張し過ぎていない。

まるで、お互いがお互いの違いと良さを認め合って仲良く手をつなぐ熟練の夫婦のように絶妙なバランスだ。


(なるほど、この味は長年愛されるわけだ…)

そんな感想を持ってしみじみ味わっていると、横でリーファ先生が、

「むっ!このマヨネーズのタレ!マヨネーズより、さらっとしているが味噌と…醤油もか?それと出汁がマヨネーズには無いうま味の部分を上手く補っている。ゴル肉と喧嘩してしまうのではないかと思ったが、逆だ。お互いがお互いの強さを認め合って固い握手を交わしているような相性の良さだ。それに野菜につけると抜群だね」

と言いながら肉と野菜を交互に口に入れ、ご満悦の表情で語った。


続けて私は、もっとも気になっていた卵の醤油漬けに挑戦する。

(…これは…)

新しい発見かもしれない。

スキ焼きと逆だ。

味の濃い肉を卵が和らげているのではなく、あっさりとした肉を卵の濃さが包み込み、コクを引き出している。

(少し食べ進めて出汁のうま味が加われば、これは育つ)

そう直感した。

塩味が足りなければラー油を足せばいいだろう。

締めの飯がますます楽しみになった。


そうして、あっさり、こってり、まったり、ピリ辛と味を変えつつそれぞれの良さを堪能する。

(やはり、ゴル肉のポテンシャルがあるからこそ、この連鎖が楽しめる。素晴らしい料理だ)

そんなことを思いながら肉と野菜をかみしめ、最後に育った卵で飯を掻き込む私を、

「なっ!その手があったか…」

と言って悔しそうに見つめるリーファ先生に苦笑いしながら贅沢な夕食を終えた。


翌日。

稽古の前にローズから礼を言われた。

なんでも、マリーもしゃぶしゃぶを食べたのだそうだ。

美味しい上に、あっさりしていてとても食べやすいと言ってくれたらしい。

それに、あの出汁にくぐらせて自分で肉に火を通すというのが面白かったらしく、

「生まれて初めて料理をした」

と言って、感動していたという。

なるほど、私にとってはなんでもないことだが、マリーにとってはとても新鮮でうれしいことだったようだ。

こういうちょっとしたことがきっかけで、食事の楽しさみたいなものを感じてくれたら、きっと回復も早まるだろうと考えて、私もうれしくなりいつもより溌溂と木刀を振った。


そんな浮かれた気分も束の間。

また、朝から夕方までみっちり仕事をこなす。

昨日ちらりと見た通り、書類の量が多く、げんなりとしながらもひとつひとつ片付けていった。

そしてなんとかきりの良い所まで片付け、肩を揉みながら屋敷に戻る。

(今日から何日か、こんな日が続くのか…)

と思ってため息を吐きつつ勝手口をくぐると、いつものように良い匂いがした。


「おかえりなさいまし、村長」

「おかえりなさいませ」

「ああ。ただいま。今日は何だい?」

と帰宅の挨拶もそこそこに、今晩の献立を聞く。

「うふふ。今日はローストにしてみましたよ」

といつものように微笑みながら言うドーラさんだが、すぐに少し困ったような表情になって、

「あと、ついさっき炭焼きさんから、こんなものが届いたんですけど…」

と言って、小さなざるを差し出してきた。


私は思わず目を見開く。

ワサビだ。

炭焼きの連中を中心に山菜採りや茸狩りで山に入るご婦人方に頼んで試しに栽培してもらっていたものがついに成功したらしい。

前世の記憶にあるほど立派なものではないが、それでも野生のものに比べればずいぶんと立派なワサビがざるの中に2本入っていた。


「持ってきてくれた炭焼きさんが言うには、試しに食べてみたけど、なんというか…、とても刺激が強かったらしくて、本当にこれでいいのか村長に確認して欲しいってことだったんですけど…」

一瞬我を忘れていた私は、ハッとしてドーラさんに、

「おろし金はあるか?」

と聞く。

そのあまりに真剣な表情にドーラさんは何かを察したらしく、

「ええ。すぐに持ってまいります」

と言って、戸棚からおろし金を持ってきてくれた。


私は「うん」と大きく一つうなずいておもむろにワサビをすりおろし始める。

一気に爽やかな香りが広がった。

ドーラさんもシェリーも興味津々といった様子で眺めている。

私は、

(サメ肌が無いのが残念だ)

と思いつつも、小さじ半分くらいの量をすりおろし、ドーラさんが差し出してくれた箸を受け取ると、まずは自分で味を確かめてみた。

ツンとしたあの風味が口いっぱいに広がる。

成功だ。

大成功じゃないか。

野生の物より、はるかに美味い。

香りも辛みもその奥にほのかに感じる甘みも比べ物にならない…。

私が、そんな感動に浸っていると、

「あの…」

とドーラさんが遠慮がちに声を掛けてきた。


「ああ。すまん。感動のあまり我を忘れてしまった。遠慮なく味見してくれ。ああ、かなり刺激が強いから最初はほんの少しにしたほうがいい」

と慎重に試すよう注意して、わさびの乗ったおろし金を2人に差し出す。

2人は少し緊張したような表情を浮かべながらも、料理人としての好奇心を抑えられないといった様子でわさびを口に運んだ。

「!?」

とドーラさんは無言で目を見開き、シェリーは、

「んふー!」

と謎の声を上げた。


そんな2人に私は少しだけドヤ顔で、

「これは薬味だ。醤油との相性がいいから肉料理の幅が広がるだろう。それに蕎麦だ。慣れればこのワサビなしの蕎麦には戻れなくなってしまうぞ。あとは茶漬けにも最適だ」

と高説を垂れる。

「ええ、これは…。さっそく今日のお食事に出しましょう。ローストしたゴルのお肉にとっても合うような気がいたします…。ああ、でもおろし方は慎重にいたしませんと、香りが飛んでしまいそうですから…」

さっそくドーラさんはその有用性に気が付いたようだ。

シェリーはまだ少し固まっている。

私は、

「ああ。こう、円を描くようにすると良い。楽しみだ」

と言い残すと、さっそく食卓へと向かった。


(リーファ先生はどんな顔をするだろうか?)

その時の私は、そんないたずらを思いついた少年のような顔をしていたに違いない。

食堂に入った瞬間リーファ先生に怪訝な顔を向けられる。

(ジードさんではないが、サプライズというのもたまには面白いものだ)

と思いながらニヤニヤと食事が供されるのを待っていると、

「お待たせしましたねぇ」

と、さっそくドーラさんが今日の夕食を運んできてくれた。


食卓にワサビが置かれた瞬間、リーファ先生の目がカッと見開かれる。

私はまたイタズラ大成功といった感じのドヤ顔で、

「ああ。ついにできた」

とひと言だけ言った。


食卓の上には、最上級のゴルのローストにグレイビーソ―ス、マッシュポテトとサラダ。

その完璧な組み合わせにワサビが加わっている。

ゴルのローストは、ステーキと違い、じっくりと火が通されることによって生まれた柔らかくも肉肉しさを損なわない程度の噛み応えと赤身のうま味が共存する素晴らしい出来。

そこにやや甘めであっさりとしたグレイビーソース。

それだけで完璧な組み合わせだ。

しかし、そこへワサビが投入された時の一体感たるや。

肉にもソースにもなかった爽やかな香りと刺激が肉とソースの両方を上手くつなぎ、さらにその甘さを最大限に引き出している。

私はそこに世界の真理を見つけたような気がした。


「んーっ!これだよ、これ!」

とリーファ先生が興奮している。

ドーラさんはにこにこしながらも真剣な眼差しで味わい、ズン爺さんは一瞬目を見開き、いつもよりパクパクと食べ進めていた。

シェリーも、

「むっふーっ!」

と叫んで食べ、一瞬料理人らしい真剣な顔を見せたかと思えば、また叫びながら食べるという謎の行動を繰り返している。

その光景を見た私はこの村に、いやこの世界にワサビ革命が起こる事を確信し、ゴル肉を心行くまで堪能した。

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