第148話 村長、仕事に追われる02
翌朝。
なんとも言えない気恥ずかしさと嬉しさを抱えながら夜明け前に目を覚まし、いつものように井戸で顔を洗う。
すると、昨日の夕方から引きずっていた心のほてりが少しは取れたような気がした。
誰もいない井戸の脇で、「ふっ」と笑って勝手口をくぐる。
そして、ドーラさん特製の握り飯をいくつかつまみ、弁当をもらうと、みんなに見送られつつさっそく森へと出発した。
新緑のさわやかな空気の中を順調に進み、2日目の昼には中層の入り口に着く。
(やはり、エリスの力は偉大だな)
と思いつつ、いい感じに開けた小川のほとりに出ると、
「よし。少し早いが、この辺りで昼にするか」
と言って、さっそく昼の準備に取り掛かった。
ほんの少し持ってきたキューカの酢漬け、ピクルスのようなものと、薄切りにしたハムで簡単なサンドイッチを作り、「ああ、ここにマヨネーズがあれば…」と思いながら頬張る。
手早く腹に詰め込み、いつもの薬草茶でほんの少し気持ちを落ち着けると、また先を目指して出発した。
マリーにきちんと…か、どうかはわからないが、ともかく自分の気持ちを伝えられたことがまた時々頭に浮かんできて、はにかみながらも順調に奥へと進んでいく。
途中エイクに出くわすが、難なく斬り捨てた。
いつもより刀が軽く感じたのはきっと気のせいではなかったはずだ。
手早く魔石と何食分かの肉を取り、またさっそく森の奥を目指していく。
そして、エリスに揺られながら、ふと、
(あの曲名はなんだっただろうか?ある日森の中で熊さんに出会ったっていう…)
と、どうでもいい前世の記憶を思い出した。
(…たしか、あの歌で、熊は最初にお嬢さんに向かって逃げろと言ったが、なんでだ?何から逃げろと言ったんだ?自分の危険性を伝えたかったのか?いや、そんなことをする意味がわからん。いったいその熊は何がしたかったんだ?しかも、イヤリングかネックレスか、たしかそんなのを落としたからわざわざ後を追って届けたんだったな…。そのお嬢さんは熊に追われてどんな気持ちだったんだろうか?いや、最初に親切にされたから、そんなに怖くなかったのかもしれないが…。あれ?結局最後は歌ったり踊ったりして、仲良くなってなかったか?…なんとも意味不明な歌詞だ…)
と、どうでもいいことを考え、気が付けばその題名も歌詞の意味もよくわからないその曲を鼻歌で歌っていることに気が付く。
(おいおい。冒険者に油断は禁物だろう)
と自嘲気味に笑いながらも、また出くわしたサルバンを斬り、適当な水場を見つけるとさっそく野営の準備に取り掛かった。
(いかん。いくらなんでも浮かれすぎだ。少しは気を引き締めなければ)
と思いつつ、熊肉を焼く。
簡単なスープも作り、熊肉を頬張っていると、早くも食事を終えたらしいエリスが私の横で膝をついた。
「ぶるる…」
と鳴くエリスの声からは、何となく呆れているような雰囲気が感じられた。
私が、
「すまん。いくらなんでも気を緩め過ぎだった。もしかして、心配をかけてしまったか?」
と聞くと、エリスは、
「…ぶるる」
と鳴いて、そっぽを向く。
訳すと、
(…べつに)
と言った所だろうか?
「はっはっは。いや、本当にすまん。明日からは気を引き締めよう」
と言って、首元を撫でてやると、少しだけ機嫌を直してくれたようだ。
少しだけ尻尾が揺れている。
私は苦笑いしながら、いつものように薬草茶をすすって気を落ち着けると、その日はエリスに包まれて眠りについた。
翌朝からも順調に進む。
さすがに森の奥へと進んでいるので、自然と油断は消えていった。
しかし、昔のように肩に力は入っていない。
あくまでも自然に落ち着いて周りの空気を読めている。
(なんとも不思議な感覚だ)
と思いながら慎重かつ大胆に森の中を進んでいると、ふと、遠くに大きな気配を感じた。
(まだ遠い…)
いったんエリスを止めて素早く地図を確認する。
(この先に、開けた場所があるな。ということは…)
と、この先にある可能性に思い至ると、呼吸をするくらいの感覚でスッと気を練り始めた。
おそらくエリスも気が付いているのだろう、少し緊張感が増している。
私はそんなエリスの首元を撫でながら、
「大丈夫だ」
とひとこと言うと私たちはその開けた場所を目指して歩を進めた。
やがて、開けた場所の端にたどり着くとエリスから降りて慎重に辺りの様子をうかがう。
その場所を見渡してみると、所々に岩が顔を出していて足場はそれなりといったところ。
少し先には岩山が見える。
(これはやはり…)
と思って慎重に観察していると、遠くの空に影が見えた。
その影は岩山の方へと降りていく。
その様子を見て、私は、
(…行くか?)
と一瞬考えたが、すぐさま、
(いや、ここはいったん…)
と、ここは踏みとどまるべきだという判断を下した。
(おそらく、やってやれないことはないだろう…。しかし、今は私が一人で無理をするべき状況じゃない。いったん村に戻ってリーファ先生に相談すべきだ)
そうやって、冷静に現状を分析する。
私はそう判断すると、また慎重にエリスのもとへ戻っていった。
「待たせたな。今はいったん退こう」
と、エリスを笑顔で撫でてやる。
「ぶるる」
と鳴くエリスからはなんとなくほっとしたような雰囲気が伝わってきた。
きっと私が無理をしないか心配だったのだろう。
優しい子だ。
「はっはっは。心配してくれてありがとう。あの肉は惜しいがちょっとの間お預けだな」
と、私が笑ってそう言うと、エリスは、
「…ぶるる」
と鳴いて、
(…まったくもう)
というような表情をする。
私は、そんな表情に苦笑いしながら、
「そうと決まればさっさとこの場を離れよう」
と言って、エリスに跨ると、
(今の状況ならすぐに村に危険が及ぶこともないし、ヤツはそうそうこの場を離れない。今度リーファ先生やコハクと一緒に来て獲ろう。…リーファ先生はきっと大喜びでついてくるだろうな)
と思いながらも、慎重にその場を後にした。
それから4日ほど森の中で過ごしていると、持ってきた麻袋がいっぱいになったので、いったん帰路に就く。
村に着いたのはそれから3日後の午前。
さっそくドーラさんに我が家の分の肉を取り分けてもらうと、多少の空腹を感じながらも昼飯を楽しみに残りの肉と魔石を積んだ荷車を引き、ギルドへ納めに出かけた。
ギルドに着くとドン爺が1階にいたので、
「よぉ、久しぶりだな。肉と魔石を納めにきた」
と声を掛ける。
「まったく、人使いが荒ぇな。で?」
と、せっかちなドン爺らしく簡単に成果を聞いてきたので、
「ああ。肉は熊と鹿で、5袋ある。魔石は…10ちょっとだ。」
とこちらも簡単に答え、
「相変わらずだな…」
と呆れるドン爺を少し手代ってから、さっさとギルドを後にした。
(やっと飯だ)
途中、子供たちが楽しそうに風車を回しながら走り回っているのを眺めながら微笑ましい気持ちで屋敷に戻る。
(女の子の髪についているのは、マリーの髪飾りだろうか?やはり、あの祭りをやってよかった)
そう思うと嬉しさで顔がニヤけてしまった。
コホンとひとつ咳払いをし、気を取り直して歩く。
やがて屋敷に着くと、
「やぁ、バン君。おかえり」
といつものようにリーファ先生が迎えてくれた。
「今日の昼はドーラさんの新作らしいぞ!」
と言って目を輝かせるリーファ先生に、
「ほう。そいつは楽しみだ!」
と私も目を輝かせる。
(いったい何だろうか?期待で胸が張り裂けそうだ)
そう思いながら、私もリーファ先生もそわそわしながら待っていると、やがてみんなが食堂に揃って食事が始まった。
出された食事は、平たい皿の上に盛られたコメの横に茶色いルーが添えられたもの。
つまりは、ハヤシライス。
「ほんの少しですけど、ボーフのお肉が入ったようでしたから。新しいものを作ってみたんですよ」
と微笑むドーラさんの笑顔が女神の微笑みに見える。
(カレーの無いこの世界でご飯にルーをかけて食うという所までたどり着くとは…)
私が驚いて、ハヤシライスを凝視していると、
「これならマリー様もたくさんご飯を召し上がれるかと思いましてねぇ」
と、ドーラさんが言った。
カレーもそうだが、こういうご飯にルーを掛けたものは意外とたくさんの米が食えてしまう。
そんな可能性に気が付いたドーラさんやはり女神だ、と改めてそう思った。
「む…。よし!」
と言って、さっそくリーファ先生はハヤシライスを口に運ぶと、
「…これは」
と一瞬だけ、絶句したあと、次々と口に入れる。
「うん。これはすごい発明だ!トマト…いや、ケチャップも入っていると見た。とにかく、シチューよりも爽やかであっさりとした口当たりでありながら、濃厚なうま味もしっかりと残っている…。きっとマルタケがいい仕事をしているんだろうな。うま味もさることながら、このぷりぷりとした食感もいいアクセントになっている。素晴らしい。素晴らしいよ、ドーラさん!まさかソースと米だけでここまでのものを生み出すとは…!うん。たしかに、これならくどくないからマリーもたくさん食べられる。素晴らしい発明だ!」
といつものように叫んだ。
私も、その懐かしい味に感動し、バクバクと食べ進める。
(いいな。トマトの酸味が上手く肉の脂を包んでくれている。マルタケのうま味とよく炒められた丸根の甘みも最高だ。たしかに、これならマリーもたくさん食べられるだろう。…しかし、このうま味の奥に感じる深みはなんだ?なにか隠し味があるはずだが…)
と必死に味を探るが、その正体はわからない。
私のそんな表情を見て、ドーラさんがひと言、
「ほんの少しお醤油をいれたんですよ」
と教えてくれた。
(なるほど…。それで、なんとも懐かしい味に感じたのか…)
そんなドーラさんの絶妙な味付けに感動しつつ、さらに食べ進める。
そして、ひとしきり食べ終わり、満足してしまったあと、
「あぁ…。これは、半熟のスクランブルエッグを乗せてもよかったな…。なんならオムライスにかけても…」
と、トッピングの概念やオムハヤシの存在を思い出してしまった。
私の横でやはり幸せに満ちた表情で腹をさするリーファ先生と、うっとりとした表情で空になった皿を見つめていたシェリーの表情が固まった。
「なぜ、それを先にっ…!」
絶望の淵に立たされたかのような表情でリーファ先生が叫び、シェリーが無言で泣きそうな顔になると、ドーラさんも、
「あらあら。それは…」
と言って目を見開く。
私は後悔先に立たずという言葉をかみしめながら、苦悶の表情を浮かべ、
「すまん。今思いついたんだ…」
とつぶやくのが精いっぱいだった。
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