20章 村長、仕事に追われる
第147話 村長、仕事に追われる01
狼祭りから数か月。
トーミ村に夏の足音が聞こえ始め、私は39歳になった。
あの日から、あの祭りの翌日、自分の気持ちを認めてから今日まで、生活には何の変化も無い。
しかし、私の心は乱高下を繰り返した。
マリーが笑えばうれしいし、マリーが寂しそうな顔をすれば悲しくなってしまう。
ただ、そんな不安定な精神状態が、なぜか楽しいのだから不思議なものだ。
毎日、美味い飯を食う。
仕事をする。
マリーと話して一喜一憂する。
そんな穏やかな日々が今日も続いていた。
朝、日の出前。
いつものように稽古に出る。
自分の型を一通りやってみた後で、ローズとシェリーの稽古を眺めた。
ローズの剣には迷いが無くなり、シェリーも剣の鋭さを増している。
驚くことに、シェリーはリーファ先生並みのスピードで例の気を溜める方法、魔力操作の初歩を体得した。
よほど適正があったらしい。
変に力むことなく、自然に使いこなしている。
私が、たいしたものだと感心しながら見ていると、型を一通りやり終えたシェリーが、私の方を振り向いて、
「村長にこの魔力操作を教わってから、なんだか包丁の滑りがよくなったような気がします。この間初めて師匠にキューカの切り方をほめていただいたんですよ!」
とまるでお手伝いをほめてられた子供のような笑顔で嬉しそうに報告してくれた。
私は、やはりシェリーには剣よりも料理の方が似合うな、と思って、
「今度、ドン爺に解体でも習ってみるか?きっとそっちも上手くなるぞ」
と、苦笑しながら言うと、
「やってみたいです!上手にできるようになったら、森でお肉取り放題ですね!」
と、今度は新しいおもちゃをもらった子供のような笑顔で微笑む。
やはりシェリーは生粋の料理人だ。
いつか、機会があったら聖銀製の包丁でも買ってきてやろう。
そんなことを考えて、私は笑顔でもう一度木刀を振り始めた。
稽古を終えて、みんなで飯を食うとさっそく役場へ向かい、いつものように書類仕事に取り掛かる。
用水路掃除の人員配置案を見ながら足りない点は無いかとか、無理を強いることにならないかというようなことを確認しつつ決裁をしたり、新しい作物に挑戦してみたいから実験用の畑を用意できないかという申請を許可したりして、いつも通りのんびり仕事をしていると、珍しくアイザックがやってきた。
「よう。暇か?」
とのっけから若干失礼なことを言うアイザックに、
「見ればわかるだろ?」
と気軽に返すと、
「ああ。暇そうだな」
とアイザックは少しにやけながら言う。
「バカ言うな。私はお前と違って日々こつこつ仕事をこなすタイプだから、そこそこ仕事はあるんだよ」
こちらもにやけながらそう言ってやると、アイザックは、
「おいおい。ずいぶんな言い方じゃねぇか…。いや、事実だけどよ」
といつもより、少し弱気に悪態を吐いた。
そんならしくない様子を見て、
「何かあったのか?」
と少し真剣な表情で聞くと、
「ああ。ちょっと相談があってな…。すまんが、時間をもらえるか?」
とアイザックは柄にもなく下から物を言ってくる。
(本当に困りごとがあるみたいだな…。しかし、こんなしおらしい態度はらしくない…)
そう思った私は、あえて、
「ああ。いいぞ。…すまん、アレックス。応接で話しを聞くからこいつに水でも持ってきてやってくれ」
と、わざと茶化すように言ってアイザックに向かってニヤリと笑って見せた。
「おいおい。茶くらいだせよ」
と、アイザックが少し気を取り直したのか、やっといつもの様に悪態を吐く。
それを見て私は少し安心しながら、
「はっはっは。仕方ない。出してやろう」
と笑いながらまた冗談を言い、
「ちっ」
と舌打ちをするアイザックを促がして、応接室へと向かった。
茶を出したアレックスが下がると、さっそく話を切りだす。
「で、なんだ?」
「ああ。ちょいと申し訳ない話なんだが、しばらくの間…そうだな、2、3か月…、いや、お前のことだから1,2か月でいいか…。ともかくちょくちょく森に入って魔獣を間引きしてもらえないか?」
と言うアイザックの言葉を聞いて、私は、一応理由くらいは聞いておくか、といった程度の軽い感じで、
「ああ。かまわんがなんでだ?」
と聞いてみた。
「ああ。北の辺境伯領で山羊の群れがでたらしくてな。中堅どころがごっそりそっちに行っちまった…」
と、アイザックはため息交じりにそう言う。
「なるほど、そいつは深刻だ」
と私もため息を吐きながら真剣な顔でそう言った。
山羊型の魔獣、ラウは、エイク同様、大食いで迷惑なヤツだ。
強さはだいたいエイクと変わらないから中堅どころにとってはさほど難しい魔獣ではない。
ただ、それは1匹の時の話だ。
ヤツらはたまに大規模な群れを作る。
普段、単独で行動しているヤツがなぜ群れを作るのか、詳しいことはわかっていない。
ただ、確実なのは、群れが現れれば森の荒れ方はエイクの比じゃないということだ。
下手をすれば放牧地にだって影響が出る。
それに、集団で出てきたとなれば討伐側も集団で迎え撃たなければならない。
この間、村に狼が出たときの規模を大きくしたようなものだ。
きっと今頃北の辺境伯領は大変なことになっているだろう。
そんなことを想像しつつ、アイザックに話を振った。
「なるほど。北の辺境伯様も大変だろうな」
「ああ。まだ山の奥らしいが、大急ぎで冒険者を集めてる。お駄賃も割といいらしいぜ」
「そうか。それなら、中堅どころがこぞって参加するのもうなずけるな」
「ああ、しかもアレの素材はけっこういい値段になるから余計にだ」
「ほう。そなのか。ちなみにどのくらいだ?」
「ああ、たしか…。魔石は金貨10枚くらい、革が金貨3枚くらいになるはずだ。まぁ数が取れるから1,2割値下がりはするだろうがな」
「なるほど。たしかに、ちょっとした稼ぎだな」
そんな軽い感じで話を進めつつ、私は、
「群れは相当な規模なのか?」
と、現状を聞いてみる。
「詳しいことは聞いてないが、どうも100は確実に超えてるだろうって話だ」
村に置きかえてみると、エイクが一気に100出たということだ。
私一人が死ぬ気でかかってもどうにもできないだろう。
私は空恐ろしい気持ちで、
「…そいつはコトだな」
とつぶやいた。
「そんなわけだ。なぜか『青薔薇』は残ってくれているが、『黒猫』は残念ながら留守だ。まぁ、そろそろ戻ってくるとは思うが…。あとはガキンチョかそれに毛が生えた程度の連中ばっかりだ。中層から先を中心に頼みたい」
そう言って、柄にもなく頭を下げてくるアイザックに、
「やめろ。気持ち悪い」
と苦笑いしながらそう言って役場から送り出すと、私はさっそく執務室に戻ってアレックスに事情を説明した。
アレックスは
「かまいませんよ」
とあっさりと許可をくれて、さっそく書類の束を持ってくる。
私は苦笑いしながら、その日は夕方までかけて急ぎの書類を片付けた。
夕食の席で、さっそくみんなにその話をする。
ルビーとサファイアは少し寂しそうにしていたが、撫でてやりながら、
「留守の間、マリーを頼むぞ」
とお願いすると、
「きゃん!」
「にぃ!」
と鳴き、
((まかせて!))
と頼もしく請け負ってくれた。
リーファ先生が、
「うーん…。マリーの状態しだいだが、ゴルやヒーヨの気配があったら教えてくれ。その時は私も森に入ろう」
と言うと、シェリーも、
「いざとなったら私も行けます!」
と言ってくれる。
頼もしい限りだ。
私は、
「ああ。その時は頼む」
と、みんなの申し出に感謝し、なんともうれしい気持ちで目の前のグラタンを頬張った。
翌日。
残念なことに、いつもより少し慌ただしく朝食を済ませると、さっそく役場に向かい急ぎの書類を片付ける。
そして、また慌ただしく昼食を済ませると、森へ入る準備に取り掛かった。
食料や備品の準備は完全にみんなに任せる。
私は自分の装備の点検だけを済ませると、まずは厩の方へ向かった。
「おーい。コハク、エリス」
と呼ぶと、表で草を食んでいた2人が駆け寄ってくる。
2人を撫でながら、
「はっはっは。元気か?」
と聞くと、
「「ひひん!」」
と元気な返事が返ってきた。
「そうか。それは良かった。今日は少しお願いがあってな」
と言って、私はさっそく簡単に事情を説明し、
「コハクにはすまんが、今回は私とエリスだけで行く」
と伝えると、コハクは少し寂しそうな顔をする。
コハクには、なんとも申し訳ないが、
「きっとマリーも心配するだろう。私の代わりにそばにいてやって欲しい」
と伝えると、
「ひひん!」
と鳴いて、ルビーとサファイア同様、
(まかせて!)
と言ってくれた。
(さて…)
と今度は少し憂鬱な気持ちで離れへと向かう。
(マリーはどんな顔をするだろうか?少しだけ寂しい思いをさせてしまうかもしれない)
そう考えるとどんどん気持ちが重たくなっていった。
(いかん。切り替えねば)
そう思うが、どうにも気持ちが落ち着かない。
そんな落ち着かない気持ちのまま、離れの玄関についてしまった。
いつものようにおとないを告げると、さっそくローズが出迎えてくれる。
「いらっしゃいませ。お待ちしておりました」
ローズがそう言うからには、きっと私がしばらく会いに来られなくなってしまうことはマリーに伝わっているのだろう。
私の気持ちはますます重たくなったが、
(いや、こんな時こそしっかりせねば)
と覚悟を決めて、一つ深呼吸をすると、いつものようにリビングへと向かった。
今日はリーファ先生がいない。
そのせいか、いつものように挨拶をするが、なんともぎこちない空気になってしまう。
「聞いているとは思うが、しばらく森に入ったりしてなかなか遊びに来られなくなってしまう。すまんが、私が留守の間、ルビーとサファイアを頼めるか?」
と、まるで私が心配しているのはあくまでもルビーとサファイアだというようなことを言ってしまった。
「はい。もちろんですわ」
と言って、マリーはいつものように微笑もうとするが、こちらもぎこちない。
(私は何をやっているんだ)
そう思った私は、
「そうだ。プリンだな。うん。無事に終わったらまたみんなでプリンを食おう」
と結局プリンを引き合いにしてなんとかその場を取り繕おうとした。
そんな私を見て、マリーは、
「お仕事なのはわかっております。少し寂しいですが、無事のお帰りをお待ちしておりますわ」
となんとかいつものように微笑みながらそう言ってくれる。
その微笑みを見て私は、
(ああ。そうか。…そうだな。寂しいのは私も一緒だ…)
そんな当たり前の気持ちにようやく思い当たり、
「なんというか、その…。村のピンチだからな。だが、その…」
と言って、一つ深呼吸をすると、
「私も寂しい」
となんとか自分の気持ちを伝えることができた。
その言葉にマリーは照れたような表情で、
「まぁ、バン様ったら…」
と言って少し顔を伏せる。
私も急に気恥ずかしくなって、マリーから目をそらしてしまった。
やがて、マリーはまだ頬を赤く染めたままの顔を私に向け、
「うふふ」
と微笑む。
私も、まだ少し照れながらも、
「ははは…」
と笑った。
そうやってお互いに照れ笑いをしたあと、マリーが、
「私も頑張りますわね」
と言う。
私は、その頑張るという言葉を聞いて、「ん?」と言う顔で何をだ?と問うが、マリーは。
「うふふ。まだ内緒です」
と、少しいたずらっぽく微笑みながらそう答えた。
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