閑話 エデルシュタット家の食卓05
第109話 から揚げ定食
豚を狩ってから数日。
「おい、バン君。そろそろカラアゲなんじゃないかい?」
朝食のあと、ぼんやりとお茶を飲んでいる時、リーファ先生にジト目でそう言われた。
(そうだった!なにかとバタバタしていて、忘れていた。私としたことが…)
やはり、私は肝心な時に肝心なことを忘れてしまう。
未熟者の証拠だ。
こうして周りに気付かされなければうっかり見落としてしまうことばかり。
(もっとしっかりしなければ…)
と思ったが、
(いや、こうして気づかせてくれる人が周りにいる。あまり一人で背負い込み過ぎてはいけない…。また、私は独りよがりになるところだった…)
と思いなおす。
しかし、
(まぁ、どちらにしろ未熟者であることには変わりないか)
そう思ったらおもわず苦笑してしまった。
昼、役場から戻り、さっそくドーラさんにアウルの肉はまだ残っているかを確認すると、ちゃんと取ってあるということで、安心してから揚げの作り方をなんとなく伝授する。
下味は醤油と香味野菜。
塩だれでもいいが、そっちは研究が必要だから今回は醤油でいこうと言うと、
「あら、研究が必要というのはいいですね」
と言って、ドーラさんは嬉しそうに笑った。
ポイントになるのは2度揚げで、1回目よりも2回目の温度を上げるのがコツだというと、ドーラさんは目を丸くする。
「…それは、盲点でございました。いろいろな揚げ物に応用できそうでございますねぇ」
と言ってまたニコニコと笑った。
私が、ややドヤ顔でマヨネーズをつけるとさらに美味くなると言うと、
「あら、ケチャップやソースじゃありませんの?」
とさも当たり前かのように私の至らない点をついてくる。
(また見落としていた…)
私は、そう言われて悔しかったわけではないが、
「そうだな。ケチャップも用意しよう。ソースは手間がかかりそうだから、次回でもいいかもしれない。それにハーブを混ぜた塩もいい。できるだけ爽やかな味のものを塩と混ぜておいてくれ」
と、さも冷静そうに付け足した。
付け合わせはもちろんキャベツの千切り。
それは絶対に欠かせない、と思ったが失念していた。
村ではキャベツを春と冬に栽培しているから、今の時期は無い。
(この際、付け合わせは水菜ことエクサと三つ葉こと田の子草で諦めるか…)
と、思ったがふとひらめく。
(うちには大根…もとい、デースがあるじゃないか!)
なぜ、ジードさんたちが来た時にそれを思いつかなかった!?
ポン酢…は、試作していないから無理だとしてもおろし大根があるだけでずいぶんと違う。
「あと、おろしたデースもつけよう!」
私はそう言うと、勢いよく裏庭に飛び出して行って、デースを思いっきり引っこ抜いた。
午後も役場で働く。
この時期にしては珍しく、ご婦人方が要望を上げてきた。
内容は作業小屋の拡張。
今の状態でも作業に支障は無いが、年々増加する農産物の加工を考えると、そろそろ増設しておいた方が、いいのではないか?とのご提案だ。
要望内容はいいが、具体的な計画となると、少し見直しが必要なようだ。
ただ単に、施設を拡張すればよいというものではない。
生産性の向上という観点で考える必要がある。
漬物の製造とトマトの加工場所を分けて動線を確保したり、作業工程の見直し案を作成して、再度検討をお願いした。
細かい点の修正はあるが、おそらくこの冬には基本設計に入って、春には工事を始められるはずだ。
村の食料事情が良くなるなら、喜んで投資する。
そんな重要案件を片付けて、ワクワクしながら屋敷へ戻った。
食堂でとりあえずお茶を飲みながらその時を待つ。
私もリーファ先生も無言だ。
なぜか張り詰めたような空気になっている食堂にルビーとサファイアがズン爺さんを伴って入ってきた。
「きゃん?」
「にぃ?」
と鳴いて2人とも不思議そうな顔をしている。
私はとりあえず、近寄ってきた2人を抱き上げて撫でてやりながら、
「今夜、もしかしたらこの家に…いや、この村、下手をしたらこの世界に革命が起きるかもしれない」
と意味もなく真剣な表情で、2人に語り掛けてしまった。
サファイアはきょとんとし、ルビーは(とり?とりなの?)と言ってワクワクしだす。
いつもながら、ルビーのご飯センサー、いや、鳥センサーは感度がいい。
「はっはっは。ルビーは気に入るかな?気に入ってくれればいいがな」
と笑いながらさらに2人を撫でていると、ついにドーラさんがやってきた。
「あらあら。お待たせしましたかねぇ」
と言いながら押してくるカートの上に鎮座増しますのは本日の主役。
から揚げ様。
から揚げ様は控えめな性格でいらっしゃるようで、まだクローシュ、あの洋食に被せてある銀の覆いの中に隠れておられるが、その存在感は隠しようがない。
いよいよだ。
リーファ先生の目が輝く。
「…来たね」
そうつぶやくリーファ先生に、
「あらあら。初めて作りましたから、あんまり期待しないでくださいましね」
と言いながらニコニコと配膳をするドーラさん。
その笑顔の裏にはおそらく期待と不安が入り混じっているのだろう。
独特の緊張感がみなぎっていた。
まずは、お櫃から米。
次に鍋からみそ汁が注がれ、ボウルから野菜が皿に盛られた。
次にマヨネーズ、ケチャップ、大根おろしと醬油差しが置かれて、クローシュが開けられると山盛りのから揚げが現れ、私とリーファ先生が息を飲み、ズン爺さんも、やや目を細めて鋭い目線を皿に注ぐ。
きっと、このただ物ではない雰囲気に気が付いたのに違いない。
サファイアは、
「?」(みんなどうしたの?)
という顔をしているが、ルビーはカッと目を見開き、
「にぃ!」(とり!)
と叫ぶ。
ドーラさんが取り分けてくれるのを待つのをもどかしいように感じたが、そこは大人なので一応我慢した。
ドーラさんが取り分けながら苦笑いしていたように見えたが、きっと気のせいだ。
改めて、目の前に並べられたものを眺める。
白米、長ネギこと白根のみそ汁。
そして、主役のから揚げと薬味たち。
「あら、あたしったら」
と言って、ドーラさんが漬物の入った鉢を置いた。
白菜と小松菜の間みたいなエリ菜ときゅうりことキューカの浅漬け。
さすがだ。
わかってらっしゃる。
みそ汁はあえてさっぱり目。
そして、シャキシャキとした食感と瑞々しさがいかにもアクセントになりそうな浅漬け類。
完璧なから揚げ定食だ。
「いただきます!」
誰ともなく、いや、誰もが同時にそう言うと、さっそくから揚げに手を付ける。
いや、正確に言うと、ズン爺さんはみそ汁から手を付けた。
渋い。
これが大人の余裕と言うやつか。
一歩先を行かれたようで、負けたような感覚に陥ってしまったが、それは置いておこう。
ともかくから揚げだ。
「あふっ!」
リーファ先生が叫ぶ。
きっと熱かったのだろう。
少しの間はふはふした後、ようやく1口目を飲み込んだリーファ先生は、
「…違う。カツとは全く…。鳥を揚げたものだと聞いた時にはカツの親戚だろうと思っていたが、これは赤の他人だ!衣の感触がカツとは全く違う。それにこの肉にかぶりついているという感覚。まさに今私は肉を食っているという実感が胸の奥底から込み上げてくるようだ…。それにこの肉汁。恐ろしい…。恐ろしいものに出会ってしまったよ、バン君!」
と言って、私その目を見開いた顔を向けてきたが、ハッと気が付いたように、茶碗を手に取って、米を掻き込んだ。
「んっ!」
とひと言うなってもぐもぐしながらまた私を見る。
そして、またから揚げを食おうとしたところで、私が待ったを掛けた。
「リーファ先生。マヨネーズとケチャップ、それに塩もある。あと、みそ汁も漬物もあるんだ。気持ちはわかるが、野菜と大根おろしで口をさっぱりさせつつ米は控えめにした方がいい。せっかくのから揚げが腹に入らなくなってはもったいないぞ」
と言うとリーファ先生は、
「くっ…!そうだ。たしかにそうだ…。バン君の言うことは正しい。正しいが…、過酷だ」
と言って、リーファ先生は眉間にしわを寄せながら野菜をつまんだ。
私も食う。
カリッ。
ジュワっという音が脳内に響く。
あふれ出した肉汁がたまらない。
コッコではなくアウルだ。
適度な弾力と強いうま味。
言ってみれば、軍鶏に近い味かもしれないが、肉質の柔らかさはコッコに近い。
両方の良い所取り。
なんという贅沢なから揚げなんだ!
醤油の香ばしさも絶妙。
薬味なんてなにもいらない。
そう思わせてくれるほど完成度の高いから揚げがここにある。
掻き込みたくなる衝動を抑えつつ、やや大きめながらも一口米を口に入れた。
脂とうま味が米を包み込み、そして、米の甘さが脂をより美味くする。
最強だ。
そんな感想を抱きつつ、感情を抑えるためにみそ汁に手を伸ばした。
なんということだろう。
ただの白根のみそ汁が、異常に美味い。
ドーラさんのみそ汁は普段から驚くほど美味いが、今日のは格別だ。
おそらくこの威力はドーラさんの魔法の力だけではない。
きっと、から揚げの魔法もかけ合わさっているのだろう。
白根の香りでアウルのうま味がより引き立てられ、そこに味噌の甘さと出汁のうま味が加わっている。
そして、口の中にはほのかに残る米の甘み。
完璧だ。
私がそんな感慨にふけりつつ、ふと横を見ると、ケチャップに手を伸ばし、たっぷりとから揚げにつけたリーファ先生が、
「むーっ!」
と叫んでいる。
どうやらケチャップ好きのリーファ先生には刺激が強すぎたらしい。
言葉も出ない様子だ。
そんな様子をみて、私はハーブ塩にいく。
なんのハーブだろうか?
ほのかな苦みと爽やかな香り。
どことなく広がる華やかさは冬ミカンの皮だろうか?
米を放り込み、みそ汁をすする。
ダメだ。
止まらない。
これ以上は戻れなくなる。
そう思って慌てて大根おろしを口にした。
一瞬で口の中がさっぱりとした感覚に引き戻される。
良かった。
これでまた落ち着いて味わえる。
そう思ったが、それが罠だということに気が付いたのは、ずいぶん後になってからのことだった。
口の中がさっぱりすれば、今度は脂が恋しくなる。
脂が入れば次は米だ。
そして、みそ汁、野菜、浅漬けのコンボがまた米へといざない、また米がから揚げを誘う。
いったんさっぱりした口はマヨネーズの背徳さえも容易に受け入れ、罪悪感を打ち消そうと野菜を食えば、また口は脂を求めだす。
そんな幸せの連鎖に我を忘れそうになっていると、リーファ先生が口いっぱいにから揚げと米を頬張りながら、声を掛けてきた。
「をい。バンふん」
一旦間を置き、もぐもぐ、ごくんと喉を鳴らしてからリーファ先生は続ける。
「君は悪魔かい?」
そう言うリーファ先生の目は意外にも真剣だ。
私は、あまりの美味さに正気を失ったのかと思って、
「いやいや、そこまでじゃないだろう」
と軽く一蹴したが、リーファ先生は続けて、
「いや、悪魔だ。これが世に解き放たれれば間違いなく、おっさん連中には胃薬が売れる。そして、ご婦人方の洋服の買い替え時期も早まってしまうだろう…。それこそまさに悪魔的な経済効果の生み方だ」
と断じた。
「にぃ!」(うまっ!)
とルビーが言う。
どうやらサファイアも気に入ったようだ。
いつもよりはぐはぐが激しい。
2人のこの幸せそうな姿をなるべく多く見てみたい。
しかし、同時に2人の健康も守らねば。
難しい問題だが、どうやらその両立は私の自制心にかかっているらしい。
私は断腸の思いで決断した。
「から揚げは、月1回だ」
と。
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