②―7 あの子は吸血鬼 その7

「エーゲル! 早くキミの配下たちを止めるんだ!」


「ええ……でも『あれ』しばらくやってないからできるかどうか……」


「でもじゃない! 女王としての責務をだな!」


「うぅ……」


 ティンテに怒鳴られてうずくまるエーゲル。あまりにも情けない姿だが、修羅場慣れしてないとパニックになるよな。俺も新人の頃、客にいきなり怒鳴られてアワアワしたことあったっけ……


 ここは俺がエーゲルを慰めるべきか? ちょっとやそっとじゃ立ち直ってくれなさそうだが……


 エーゲルと俺がグズグズしている間にティンテは吸血鬼の群れに飛び込み、触手で彼女らの攻撃を薙ぎ払った。美しく残酷な吸血鬼たちは突然の闖入者に一瞬身構えたが、すぐにまた敵へと襲いかかる。


 俺たちは呆然とティンテの戦いを眺めることしかできなかった。ここは俺の能力を発動させるべきか? しかし正気を失った吸血鬼たちに逆効果を与えてしまったらどうしよう。


「ハァ、ハァ……それにしてもヴォルフ様ですら手負いか……キミの配下の吸血鬼は相当な手練揃いだな、エーゲル!」


「あれって銀古狼様……? だったらウチの子たちじゃ敵わないよう。きっと手加減してくださってるとか」


「まさか……」


 血を滴らせるヴォルフは、吸血鬼たちの牙や爪を躱したり弾いたりするだけでそれ以上踏み込もうとはしていない。後ろに倒れているナギを守ること、それだけに注力している。


 よく見ると吸血鬼たちは傷一つ負っていないのだ。多少やり過ぎたって正当防衛で許されそうなのに、ヴォルフはあくまで吸血鬼を傷つけないつもりらしい。


「優しすぎるだろ……」


 悔しそうに歯噛みするティンテ。彼女の身体にも吸血鬼の爪が届き始めている。


「エーゲル、早く!」


「うぅ、でもぉ……お兄さんにも悪いし……」


「え、俺?」


 エーゲルが横目で俺の顔色を窺ってくる。なんだ? エーゲルの能力発動条件に俺が関係あるのか?


「アンゴにも『身体を張ってくれ』とは頼んであるだろ! 移動中に説明しなかったのか!?」


「それは、その……」


「何をやってるんだキミは!」


「うぅ……」


 叱責を受けて再びうずくまるエーゲル。ますます出来の悪い新入社員みたいだな……

 ティンテも戦いながら優しい言葉をかける余裕は無いのだろう。そうなれば、この場でエーゲルを奮起させられるのは俺しかいない。


「なあエーゲル。何をやるかわからんが、とにかく俺を使ってくれ。これ以上ヴォルフやティンテに無理させられねえよ」


「でも……結構つらいから、私のこと恨んじゃうかも」


「恨まねえよ。ティンテはお前のこと信じてるんだ。それなら俺も信じるしかねえだろ」


「うっ、うっ……でも失敗したらお兄さん死んじゃうかも……」


 グズグズ泣きべそをかき始めたエーゲル。一方で吸血鬼たちの攻撃がティンテに集中しはじめ、彼女も手傷を負ってきている。急がないと。


 いや……焦って説得するだけじゃダメか。俺こそ冷静にならなきゃだな。


「なあエーゲル。俺さ、実は一度死んでるんだ」


「へっ? 死体がしゃべってるってこと?」


「いや、前世で死んで転生してきたんだ。俺がいま生きてるのは神様の気まぐれみたいなもので、本来俺は死んでるはずの人間なんだ。だから死ぬのは怖くない」


「……」


 ようやく泣き止んだエーゲルがうるんだ目で俺を見上げる。睨むような、試すような目つきだ。その碧色の瞳から俺は一瞬たりとも目を離さない。離してはならないのだ。


「お兄さんも……ビビりでしょ」


「は? ビビってないが」


「すごい瞬きしてるもん。怖いんだよね……わかるよ」


 エーゲルがゆっくり立ち上がる。彼女も明らかに肩が震えている。即座に鉄火場に飛び込む勇猛なティンテとは大違いだ。それでも。


「どうなっても怒らないでね……いくよ」


「おう」


 硬直した俺の肩に、エーゲルの牙がかぶりつく。なんとなく予想はしていたが、吸血鬼ならやっぱ「これ」だよな。


「ぐ、うぅ……」


 不思議なことに噛まれた痛みはない。むしろ頭がフワフワして心地良さすら感じる。

 抗うつ剤とか飲んだらこんな感じなのかな? 身体から力が抜けていく。じんわりと疲れが全身を覆っていくような感覚。


 ダメだ、立ってられない……


 視界が歪み、重力に逆らえなくなった瞬間のことだった。何か強い力に身体を支えられ、ゆっくりと床に下ろされるのを感じた。


「エーゲル……?」


 俺に背を向けて立つ女の子は、さきほどまでダンゴムシのように丸まっていた子と同一人物とは思えなかった。

 両の脚でしっかり床板を踏みしめ、胸を張って仁王立ちしている。


「夜闇を統べる王として命じる!」


 エーゲルの絶叫が鳴り響くと、吸血鬼たちはピタリと動きを止めた。ヴォルフやティンテも息を切らしながら動向を見守っている。


「血肉を分けし同胞どもよ! 昏き誇りを取り戻し、我が前に忠誠の証を示せ!」


 頭に響くほどの大声が耳から突き刺さってくる。その声色は、確かにあの怯えた少女と同じものだった。


 エーゲルが命令を言い終えるより前に、9人の吸血鬼は肩膝立ちでエーゲルの前に腰を落としていた。

 頭を下げ、片手を膝に。もう片方の手は床に。王にかしずく騎士のごとき姿勢だ。


「此度の狂騒、その起源を答えよ!」


「畏れながら申し上げます! 私どもエーゲル様のしもべは、例によりエーゲル様の屋敷で家事一切を取り仕切っておりました!」


 ずらりと並んだ配下のうち、ちょうど真ん中の吸血鬼が答える。

 吸血鬼の中でもひときわ背が高く、平均的な成人男性である俺を超す背丈ですらあった。しかもそれに見合うだけのグラマラスな体型をしている。おそらく彼女がリーダー格なのだろう。


「しかし正午前、我らが眠りにつく少し前の時間に、空から強い光を受けたのであります!」


「光だと!?」


「永い時を経た私にも見たことのない、虹色の光線でした! それを受けた後のことは、朧げにしか覚えておりません!」


「ご苦労! 貴公らにも世話をかけた。休んでよし!」


 エーゲルのねぎらいが聞こえるや否や、吸血鬼たちはその場にバタバタと倒れた。 何者かに無理やり暴走させられていただけで、彼女らも相当疲れが溜まっていたのかもしれない。


 ヴォルフ、ティンテも力を失ってその場にへたり込んだ。これだけの状況でヴォルフ以外に重傷者が出なかったのは奇跡かもしれない。


 俺ももう限界だ。エーゲルにエナジーを吸われたせいか、頭がぼんやりしてきた。  


「えっと、こんな感じでいいかなあ……」


 薄れゆく意識のなか、ビクビクした表情で振り返るエーゲルの顔が、妙に印象に残った……

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