①―3 恐怖の大王、降臨 その3

 朝、草のベッドから身を起こす。もちろん寝心地は最悪だ。でも寝床をDIYできるほど俺のサバイバルスキルは高くない。


 昨日から燃やしていた焚き火はもう消えているようだ。獣避けのつもりで焚いていたが、これ意味あんのかな……


 そういや結局俺の能力って何なんだろうな。昨日の村人の気絶が偶然で起きたとは思えないし……

 威圧感で人を気絶させる能力ってことか? なんか海賊漫画みたいで格好いいな。


 いや待て、それだけの能力ってあまりにも不便すぎないか。狩りとかに使えたらいいんだけど、いかんせんこの世界では食えそうな獣は滅多に見ないし……


 しかし昨日はずいぶん疲れた。疲れると眠くて腹が減る、これは異世界でも同じらしい。


 元の世界でよく通っていた牛丼屋が恋しい。「安っぽい肉だな」なんて愚痴をこぼしていたことがどれだけ贅沢なことか、今になってやっとわかった。


 村からもらってきた食料はどのくらい保つだろうか。これが尽きるまでの間に、町か集落を見つけないとな……また住人に襲われる危険性もあるが、ここの森だって安全とは限らないし。


「とりあえず飲むか。水……」


 忌々しい村から一時間ほど歩いた地点に川を見つけ、昨晩からその近くに陣を張っている。

 この世界ではあちこちに小さな川があって助かる。いや、元の世界でも川なら色んなところにあったか? 気づかなかっただけで。


 魚一匹いない川で喉を潤していると、急激に腹が減ってきた。食料なら数日分は確保してるし、無理に節約しなくても大丈夫だよな?


「いたただきまーす……」


 村長の家から拝借してきた素朴なおにぎりを口に運ぶ。


 だが、米を一口かじる前に、なぜかおにぎりを取り落としてしまった。

 落とした……? いや、違う。弾き落とされたのだ。


「貴様、恥ずかしくないのか!?」


 驚いて声のする方を見ると、ポニーテールの黒髪を携えた凛々しい女性がこちらを睨んでいた。


 なんだこの人……いや、人か?


 彼女の上半身は確かに人の形をしているのだが、下半身は太い8本の触手に支えられている。

 タコの脚に似た、うごめく触手。その異形に圧倒された俺は、ただ彼女の姿に見とれていた。


「人から奪ったもので腹を満たそうなど、許されないぞ!」


 彼女が目の前に迫って来て、ようやく自分が怒られていることに気づいた。

 彼女の身長は俺より少し高いくらいか? いや、触手をまっすぐに伸ばせば俺よりずっと背が高いんだろうな。


 すぐにでも逃げ出したかったが、この多脚で追いかけられたら逃げることは難しいだろう。こっちは足が2本しかないのだ。


「奪ったわけじゃねえよ。慰謝料としてもらっただけだ」


「そうなのか!? いや……嘘だな。村長は確かに『奪われた』と言っていたぞ」


 あのクソ村長め……焼き討ちしたうえに人を強盗扱いか。そう思われるのが嫌で控えめな量しかもらってこなかったのに。


「それに村人を気絶させたのは事実だろう」


 俺に詰め寄ってくる化物女(こういうモンスターはスキュラとかいうんだっけ?)は、太い触手を蠢かせて怒りに身を震わせていた。


 まったく、怒りたいのはこっちの方だ。殺されかけたうえに加害者扱いだなんて、理不尽極まりない。


「食料を分けてもらったのは事実だ。気絶してるのも確かに見た。でもな……」


「認めたな! 許さんぞ!」


 叫び声とともに、俺の腹に鈍く重い衝撃が走った。

 痛みで立っていられない! 膝から崩れ落ちた俺は、激しい咳と反吐で呼吸すらままならなかった。


 一瞬何が起こったのかわからなかった。しかし、殴られる前の俺の視界にはうっすら見えていた。スキュラ女の持つ太い触手の一本が、俺の腹をえぐる様が。


「うぐっ……エッ、ゲホォ……」


「次は手加減しない。貴様は何者で、何故あの村を襲った。三秒以内に答えろ」


 無茶苦茶言いやがるなコイツ……痛みで答えるどころじゃねえんだよこっちは。

 それにしても、さっきので「手加減」か。本気で殴られたら内臓飛び出るんじゃねえか、ちくしょうめ……


「早く答えろ!」


「ふっ……」


「ふ?」


「ふざけるんじゃねえ……!」


 全霊の怒りを込めてスキュラ女を睨み上げると、奴は一歩後ずさりした。

 よく見ると奴の触手たちがブルブルと震えている。怒りか、武者震いか、あるいは……


 しかし、昨日みたいに気絶はしなかったか。

 まあいい。いきなり殴ってきやがったコイツに、何か言い返してやらないと気が済まない。


「お前なあ、人の話は最後まで聞けって教わらなかったのか!?」


「悠長に話してる隙に攻撃されたら笑えないだろう。貴様の危険度を考えれば当然の始末だ!」


「丸腰の人間のどこが危険だっていうんだよ!」


「見ればわかるだろ!」


「具体的にどこかって聞いてんだよ!」


「それはだな! それは……あれ? どこ、だろ……」


 スキュラ女の顔が怒りと警戒の形相から困惑の色に変わる。困惑してんのはこっちなんだが。大した理由もなく俺を殴ってきたのか。


「俺はな、村人にもお前にも危害を加えるつもりなんてねえんだよ! いきなり異世界に来て、困ってるだけなのに……」


「異世界? 異世界と言ったか?」


「そうだよ、異世界転生ってやつだ。まあアンタにはわかんねえだろうけど」


 「異世界転生」という単語を聞いた時点でスキュラ女の顔が見る見る青ざめていくのがわかった。

 また地雷を踏んじまったか? 本気のパンチが飛んできたら今度こそ生命の危機だが……


「し、失礼しましたっ!」


 突然後ろに飛び退いたスキュラ女は、そのまま姿勢を低くし、地面に這いつくばった。


「あの、失礼ですが、貴方はもしや勇者様では……」


「へ? 勇者ぁ?」


 唐突な異世界要素に思わず変な声が出てしまった。そりゃ漫画やラノベなら転生してくるのは勇者って相場が決まってるが、いきなりフィクションを受け入れろと言われても困る。


 そもそも俺は勇者なのか? もしそうなら、なんか女神とかから「世界を救え」って啓示があるんじゃ……


「たいへん失礼いたしました。脚を切ってお詫びします」


「いや重い重い」


「放っておいたらまた生えてきますので……」


「やっぱ軽いな。2、3本切っとくか?」


「承知いたしました」


 懐からナイフを取り出したスキュラ女は、観念したようにナイフを触手にあてがった。


「わーっ! やめろやめろ!」


 目の前でタコの解体ショーなんざ見たくない。血の色がもし赤かったら夢見が最悪になりそうだしな。


「しかし無礼を働いたのは事実で……」


「じゃあせめて謝ってくれ」


「申し訳ございませんでした、勇者様……」


「仰々しい言葉づかいもやめてくれよ。そもそも俺は勇者じゃないかもしれないし……」


「なに!? 偽物め、騙したか!?」


 触手が喉元に突きつけられる。この一撃を食らってはまずい。俺の能力、少なくとも身体強化とかじゃなさそうだしな……


「待て待て! お前が勝手に俺を勇者だと思い込んだだけだろ」


「ハッ……それもそうか」


 なんだこのスキュラ女……やけに感情の起伏が激しいな……

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