①―2 恐怖の大王、降臨 その2

 迫りくる火の手は四方を覆っている。暑い……いや、もはや熱い。まだ火傷はしていないが、身体が燃えるようだ。息も苦しい。CGみたいな火柱と嫌な煙がもうもうと立ち上っている。


 こんな時、どうすればいいのか。避難訓練を思い出せ。

 低い位置や端っこにはまだきれいな空気が残っているはずだから、姿勢を屈めて歩いていけば……


 ミシミシと柱が鳴った後、背後からドスン! と落下音が聞こえてきた。さっきまで俺の寝ていた場所に燃える柱が倒れてきたらしい。


 悠長に歩いてる場合じゃない! 走って切り抜けないと!

 でもどこへ? 炎の壁で入口すらわからなくなっている。わからない。ふざけるなよ、俺はまた死ぬのか?


 ああくそ! こうなりゃ一か八かだ! 幸か不幸か、この建物は純粋な木造建築なのだ。

 このまま壁にぶつかって、ぶち破れるか試してみるしかない。


「おおおおお!!」


 ありったけの力を振り絞り、燃え盛る壁に体当たりをかますと、意外にもあっけなく壁は破れた。

 勢いのまま俺は地面に放り出され身体中を擦りむいたが、生き残れた安堵感で痛みすら感じなかった。


 壁にぶつかったつもりが、もしかして「戸」だったのか。

 なんという強運。あるいは、本能的に安全な場所を探り当てたのか?


 何にせよ俺は生きているのだ! それだけで有り難い。


 こんな短期間に何度も死んでたまるか。元の世界からこの異世界に来られたからといって、二度も転生できるとは限らないしな……




「い、生きてやがった……やはり、化け物……」


 倒れたままの姿勢で顔を上げると、村人たちが俺を取り囲んでいた。彼らの表情はみな一様に青ざめ、恐れと困惑に満ち満ちている。


「やってやる……やってやる……」


「でも、反撃されたら……」


「村長、いかがいたしましょう」


 村人たちは震える手にそれぞれ農具を携えている。

 今から農作を始めるわけじゃないのは明白だ。むかしの一向一揆とかでも農具を武器代わりにしてた、って教科書に書いてたな……


 待て待て待て、このままでは殴り殺されるぞ。煙で喉がやられているが、何とか説得しないと。


「待゛でよ! 俺はアンダら゛に危害を加え゛るづもりは……!」


 俺がしわがれた声を発した瞬間、村人たちは口々に悲鳴を上げ、後半はほとんど聞き取ってもらえなかった。

 お前らのせいでダミ声なんだろうが! と叫びたかったが、喉が痛くて彼らを遮るほどの声量が出せない。


「やるしかなかろう! ここで奴を取り逃せば、復讐されるのは目に見えておる!」


 村長の一喝を皮切りに、村人たちがじりじりと距離を詰めてくる。四方を囲まれている以上、もはや逃げ場はなさそうだ。


 元の世界ではクソみたいなブラック企業にこき使われて、この世界では謂れの無い迫害まで受けるのか。俺の人生、つくづく呪われてんな。


 ただ、黙って殺されるのも癪だ。なんとかこのアホ村人どもに一泡吹かせることはできないか。

 周りを従えるのが俺の能力ではないとわかったが、何かチート能力みたいなものは授かってないのか。無能力者なのにここまで酷い目に遭うだなんて、いくらなんでも割に合わないだろ。


「皆の者、かかれ!」

  

 村長の号令とともに飛びかかってくる村人たち。

 どこまでもふざけやがって。お前らが殺そうとしてるのは、この世界では右も左もわからない無辜の人間なんだぞ。


「あ゛あ゛ああああああ!!!」


 潰れかけた喉で精一杯声を振り絞る。こんなところで死んでたまるか。

 ずっと元の世界でボロクソに扱われてきたぶん、この世界では報われなきゃ嘘だろ。


 元の世界での最期を思い出す。クソ上司から散々に罵られた俺は、寝不足のまま駅のホームに転落し、そのまま……

 あんな情けない死に様は二度とゴメンだ。


 友達がほとんどおらず、妻どころか彼女もいなかった俺は、死ぬ瞬間に狂うほど後悔したものだった。


 俺が死んだって誰も悲しまない、あまりにも惨めな人生だった。

 生まれ変わりがあるなら、今度こそ幸せになりたい。


 俺は、今度こそ俺の居場所を見つけるのだ。


「うお゛あああああああ!!」


 さらに声を張り上げる。喉がちぎれそうだ。

 怒りのあまり全身の毛が逆だっているのを感じる。

 どうせなら前世のブラック企業でクソ上司に怒鳴り散らしてやればよかったな……




 ……あれ? まだ農具は振り下ろされてないのか?

 もし奇跡が起きていなかったら、俺の頭はとっくにカチ割られていないとおかしいのだが。


 おそるおそる目を開けると、目の前には横たわる人々。そのかたわらには農具。

 全員、倒れてるのか? マジで? 土壇場になって俺の能力が発揮されたってことか?


 でもこの能力って……


 嫌な汗が背中をつたう。いや、俺、ここまでするつもりは……


 目の前に倒れている若い男の脈拍を測ると、トクン、トクン、と命の流れる感触がした。


「なんだよ……ビビらせやがって……」


 どうやら村人は全員気絶しているだけらしい。もれなく死んだかと思ってヒヤヒヤしたが。






「起きやがれ、クソ村長」


「はっ……!? お、お許しを……お許しを……」


 村長の頭に井戸から汲んできた水をぶっかけてやると、奴はようやく目を覚ました。

 即座に事態を悟ったのだろう、必死に頭を地面にこすりつけている。


「うるせえ。お前ら、全員死ね」


 などと言いながら、村長の頭を蹴ることもできない俺はどこまでも小心者なのだった。


「どうか私ひとりの命でご勘弁を……この村の者たちはお見逃しを……」


「いらねえよそんなもん。持てる分の食料だけもらってくぞ」


「で、では、村のことは……」


「言われなくても二度と来ねえよ、こんな村」


 村長は恐怖と安堵の入り交じったなんともブサイクな表情を浮かべた。

 その顔を見ていると妙に可笑しくなったが、きっと俺も人のことを笑えないほど間抜けな顔をしていたのだろう。


 善にもなれず、悪にもなりきれない半端者。自嘲しか湧いてこなかった。




 村を出ると、昨日までいた暗い森がぽっかり口を開けていた。まるで俺の帰りを待ち構えていたかのようだ。


 それを見た瞬間、怒りのあまり啖呵を切ってしまったことを少しだけ後悔した。あんなクソみたいな村でも、人里を離れるのは少し心細い。


 また野宿生活か、まいったな。まあ、メシはあるだけまだマシか……

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