第11話

 女の人は店内を眺める。

「このお店はお洒落ですよね。こういうコンセプトのお店は初めてです」


「はい!ぜんまいとか歯車とかいっぱいあって、レトロで良いですよね。こういうものはスチームパンクって言って、二百年くらい前のイギリスの文化とかを意識した店内になっているんです」

 うきうきしてあたしは胸を張った。




 スチームパンクという言葉を知ったのはアルバイトを始めた後の話だ。元々はミステリーとかアクションみたいな、本や映画で使われるジャンルの名前らしい。産業革命という今から二百年くらい前に起きたイギリスの出来事が軸になっていて、そのときに使われた道具やファッションを真似したり小物にアレンジしたりするのが”ツウ”だそうで。水野さんがその道の人だったからこの内装ができた。


 と、あきらさんが言っていた。


 ちなみに、サイフォンがあんなに凝った造りなのもその影響、とも言っていた。この種類の方がそれっぽいからって理由だそうだ。


 どおりでスマートフォンでサイフォンを調べたときに、このお店のもの以外が検索欄に沢山あったわけである。むしろクロックヴィクトリアンに置かれているサイフォンは見つからなかった。一体どこで買ったんだろう。


 兎に角。

 今使っているこのサイフォン以外は、このお店にはしっくり来ないことだけはわかる。丁度良いものを揃えることに関しては、水野さんってセンスがあるんだろうな。



 あたしの解説に女の人は勢いよく頷いた。

「わかりますわかりますッ、この店内って19世紀後半のヴィクトリア朝イメージですよね。それなのに、当時の写真に出て来るようなコーヒーハウスみたいに庶民的な感じもして親近感が湧きますッ」

 例えばと、女の人は手の先を天井に向けた。


「このステンドグラスのランプとか、あちらの壁の工場によくあるパイプ管とか、メーター付きボイラーやノズルの付いた蒸気機関タンクの柱とか。きちんとスチームパンクの基本が押さえてあって、すごく、すごく格好いいですッ」


 きゃっと歓声を上げるように、女の人は胸の前で手を組む。

 さっきまで元気もなく、自信なさげにしていたのが嘘のよう。きらきらとした瞳で、女の人は次々と店内の飾りについて語っていた。


「19世紀、ヴィクトリア朝、コーヒーハウス、メーター、ボイラー、蒸気機関」

 一方あたしはオウムになっていた。


 嗚呼。お客様に、目の前の女の人にちゃんとした相槌を打たなかった、

 否、打てなかった。


 だって今の言葉たち、聞き慣れないものばかりだ。聞いてる最中も脳内は言葉だけが反響して、全く内容が入らなかった。実際に今でさえも女の人に対する、良さそうな文句が思い浮かばない。


 ま、まぁコーヒーハウスは何となくわかる。かもしれない。

 だって、ハウスは家って意味の英語じゃん。コーヒーの家、つまりコーヒーハウスってカフェのことでしょ。あぁでも、他の言葉はからっきし。一体何のことだろう。



 あたしの言葉に女の人は首を傾げる。でも、すぐにハッとした顔つきになった。

「あ。そ、そうですよねッ。すみません、込み入った話をしてしまって」


「いえいえッ。全然、全然ですよ。むしろわかんなくてあたしの方がすみませんって感覚ですし。もし良かったら色々と教えてくれませんか」

「はいぃ、きょ、恐縮です。そ、そうですね。じゃあ、ひ、一つずつ順番にお話しますね」




 女の人は真っ赤になると、両手を緩く組む。

 方々に視線を泳がせていたけれど、左上を向いたところでぴたりと止める。ゆっくり瞼を閉じて、開いた瞳にはあたしがいた。


「まず、はヴィクトリア朝ですね。ヴィクトリア朝というのは19世紀、あぁ19世紀は西暦にすると1800年から1900年の間の期間のことです。その頃にあったイギリスの王朝の名前です。王朝名は、日本で言うところの令和や平成といった和暦に近いですね」


「1800年って、え。日本はまだ江戸時代ですよッ。そんな頃に外国は現代に近づいていたんですか」

 あたしの声に女の人は静かに頷いた。約二百年前というと産業革命と同じ時期だ。一方、日本は武士が跋扈ばっこしていた時代。天と地ほどの差がある。


 っていうか1世紀ってそんな風に数えるんだ。

 高校受験で勉強した気がしなくもないけど忘れた。だって日本史では大体時代で区切るから、何世紀単位で数えないんだもん。


 ちなみに江戸時代を覚えていたのは、夏休み前最後の授業が日本史だったからである。板書メインだからいつも手持ちぶたさになりがちで、あの日も寝るところだった。なんとか起きていられたけれど。

 おかけで今、やっと話についていけた。脳のモヤモヤが一個無くなって、すごく良い気分。ありがとう先生、いつもスルーしてごめんね。



 あたしが腕を組んでいると、女の人はふふふとはにかんだ。

「日本も19世紀の終わり頃は明治時代なので、かなり発展しますよ。それでコーヒーハウスはヴィクトリア朝より前にあった建物で、珈琲やホットチョコレートを楽しむお店です」


「へぇ、なんだかカフェみたいなところですね。でも、ホットチョコレート?それって、あのチョコを焼くんですか」

 あたしの言葉に女の人は首を横に振る。


「いいえ。コーヒーハウスのホットチョコレートは、チョコレートをどろどろに溶かした飲み物のことですよ。今おっしゃられたのはどちらかといえばベイクチョコレートなので、かなり違いますね」


 へぇ。言われてあたしはイメージしてみる。

 現れたのは真っ白なマグカップの中に、湯煎した後みたいなミルクチョコレート。光沢を放つそれは、ほかほかと湯気を纏っていた。

 うーん、なんだかココアみたい。甘くて美味しそう。



 むふふとホットチョコレート(仮)を浮かべているあたしに、女の人は続ける。

「話がわかりやすいので、先に蒸気機関からお話しましょうか」

「はーい、お願いしますッ」


「蒸気機関は蒸気を使ってものを動かす技術のことで、今で言えば電気とか原子力みたいなものですね。技術そのものは昔からありましたが、産業革命の起きた時期に一気に身近なものへと利用されるようになったので有名なんです」


 そうですねぇ。言ってから女の人は首を傾げる。

「蒸気機関車ってわかりますか。黒くて煙突からすごく煙が出て、走るとしゅっぽしゅっぽと鳴る車両なのですが」

「あぁ!あの、アニメにもなってる電車のことですか」

「はい。電気は使っていないので厳密には電車ではありませんが、その機関車ですよ」


 あっ、そうだった。

 あたしは頬に左手を当てる。前からずっと、機関車は電車と同じだと思っていた。そうだよね、違うよね。そもそも電気ってすごい最近のエネルギーじゃん。うわぁ、恥ずかしい。


 女の人をちらりと見る。女の人はあたしと目が合うと、こてりと首を傾けた。不思議そうな顔をしている。あたしはにこりと笑ってみる。女の人は何回か瞬きをして、同じように笑ってくれた。うんうん。虫の居所が悪いわけではなさそう。良かった。

 目をぱちくりさせつつ、女の人は言う。


「蒸気機関は炭鉱石とかの燃料を燃やしてできた水で水蒸気を発生させて、その水蒸気を更に温めることで大きな圧力を作って、物を動かすんです。ボイラーはその水蒸気を作るために、主に水を沸騰させるための装置のことです。今も工場とかには大きなものがあると思いますよ」

「へぇ」


「あとメーターはガスや水の量を測ってくれる装置で、タンクに付いていたりメーターボックスと化していたりしますね」

「へぇえ」




 首だけダンシングフラワーになったあたしは相槌を打つ。

 思い浮かぶのはごうごうと燃える炭の塊と、青空まで伸びた煙突の煙。

 アニメや映画で見たことがある。そのときも熱そうだなとは思っていた。聞くかぎりじゃあ、熱そうで済むレベルの話ではなかったみたい。


 化学でやったけど、水蒸気って百度くらいになるとできるんだよね。それをもっと熱くするって、百度の熱さでも火傷するのに。普通にヤバいでしょ。抜き身のナイフ並みに危ないじゃん。昔の人って、よくもまぁそんなヤバいこと考えて人の役に立つ形へ転用できたよね。あたしなら思いつかない。すごいなぁ。


 不意に、「あっ」と女の人は短く叫ぶ。

 みるみるうちに顔を赤くして、俯いてしまった。え、どうしたの。あたし脳内で、昔の人すごいなぁ、って思っていただけだよ。もしかして何かあったのかな。

 すぐさまあたしは声をかけた。


「どうかしましたか。何か気になったことでもありましたか」

「あ、いいえ。と、特には何もないんですが。そのぅ」

 しどろもどろになりながら、女の人は視線を壁へ向ける。話していたときに机に伏せた両手を再度組んだ。ゆっくりと耳を傾けていると、絞り出すような声がする。


「我ながらつ、つまらない話、しちゃったなぁって思ってしまって。ももも、申し訳ないなぁ、と」

「え、えぇ?そんなことないですよッ」



 あたしは女の人へ詰め寄った。

 「ぴぇッ」なんて。握ったら鳴く鶏の玩具みたいな声が、あたしの顔の前から後ろへ流れる。あたしはじぃと、女の人の目を見た。


「初めて知ることばかりですごく面白かったですし、楽しかったですよ。お陰であたし、このお店のことをもっと好きになれそうです。教えてくださって、ありがとうございましたッ」

「い、いえッ。わわ、私こそお力になれたなら、よ、良かったです」


 元気に返事をすれば、女の人は目を回す勢いで四方八方に視線を飛ばす。真っ赤な顔で口を開けたり閉めたり。発言しなかったけど、ずっと繰り返していた。

 どれくらい経ったかはわからない、でも、最終的には。

 女の人はおそるおそる目を合わせて、ほっとしたようにはにかんでくれた。


「でもでも、お客さんすごく詳しいですね。びっくりしました!スチームパンクがお好きなんですか」

 未だ興奮の冷めないあたしは女の人へ声をかける。


 来店したときに晃さんは反応しなかったので、きっとこの人は常連さんではない。なのに、このお店を見て興味深そうに顔を向けていたこと。何より一つの言葉に十の文章で返ってきた話。

 ということは水野さんのお仲間っていうことでしょう。同志って言うんだっけ。


 なら、あたしはもっと話を聞いてみたい。このお店みたいな世界のこと、もっと詳しく知ることができるかもしれないから。そりゃあスマホで調べればすぐだけど、人から聞くのが1番楽しいのだ。同じ女子だから、水野さんたちより話しやすいし。

 わくわくして、女の人をじっと見つめる。




 けれど、女の人は徐々に笑みを消していった。

 またしても俯いて、組んだ両手を机に置く。


 もしかして、ずうずうしかったかな。

 あたしは焦った。態度には出してないけど、内心汗がだらだらだ。さっきいっぱい話してくれたから、今回も平気だと思った。うっかりしたかも。


 いや、それかあたし、言葉選びを間違えたのかもしれない。でもそんなに変なことを言っちゃったかな。言ってないよね。さっきだって話しているときは、あんなに楽しそうにしていたんだもの。どうしたんだろう。

 うーんと考えていれば、女の人はゆっくりと口を開いた。



「夢が、あったんです」

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