第12話
あたしは耳を疑った。
丁度唾を飲み込んだばかりだったから声は出なかった。結果オーライ。
ええっとそんなことより。今、夢って言ったよね。
おそらくスチームパンクと関係ある、とは思う。でも、何が何だかさっぱりだ。
だからといって、あんなにわかりやすい説明をしてくれた女の人が、いきなり脈絡のない話を始めるはずないしなぁ。
何度、思考を巡らせても答えは出なかった。なのであたしは黙って耳を澄ませることに決めた。
さっきと寸分変わらない様子で女の人は続ける。
「私、小さい頃からヨーロッパにあるような小物とか洋服が好きで、自分でよく描いていたんです。描けば描くほど上達しましたし、デザイナーという道があるのもわかったので。将来は自分で考えたデザインのものを発信できる仕事がしたいなって思っていたんです」
女の人は声を紡ぐ。好きなものを語るときのように、滑らかだった。
そっか。スチームパンクに詳しかったのは、同じヨーロッパのイギリスが関係していたからなんだ。
すごいですね、って言いたかった。
さっきみたいに笑いかけたかった。
だけど、あたしは声が出せなかった。どうしても笑顔が作れなかった。
女の人は幽霊みたいな表情をしていた。
真っ青を通り越して白い顔には、どっしりと重たく暗い悲壮が張り付いている。さっきまでスチームパンクを語ってくれていた人と同一人物なんて思えない。
こんな状態の人に、すごいですねなんて言葉は無理だ。軽すぎる。それ以外の言葉だって意味を持ち得ない。
何らかの声をかけるべきなくらいはわかる。でもあたしには浮かばない、見つからない。あたしは黙って次を待つことしかできなかった。
「なのでデザインの学べる大学に通って、卒業して会社に就職できて。仕事を始めてしばらくしてから、コンペに参加することになったんです」
女の人の指が甲に食い込んだ。量全体がふるふると小刻みに振動する。
すごく痛そう。あたしは自ずと汗が滲んできた右手をそうっと掴んでいた。女の人はそのまま話す。
「社内の催しだったので、新人の私も参加できました。それがすごく、すごく嬉しくて沢山考えて勉強し直して徹夜して、頑張って応募しました。本当に、頑張れました」
なのに。
女の人は呟くと、一層両手の力を強めた。爪が皮膚をぎゅっと引っ張って、手の甲を白くする。あたしの心が騒めいた。
女の人は重々しく声を出す。
「なのに、私の作品は除外対象になりました。期間に余裕はありましたが、再提出すら許されませんでした。納得なんてできなかったので、どうしてかと問い詰めました。私の提出した作品と全く同じものが既にあると言われました」
「え、え?たまたま同じデザインがあったんですかッ」
あたしは目をかっ開いた。心に落ちてきた疑問が口から飛び出す。だってすごいじゃん。同じ会社の仲間が同じデザインを作るなんて、運命みたい。
仲間だ仲間と喜びそうになって、あたしは止まる。そういえばコンペなんだった。えっとコンペって、確かコンテストみたいなイベントだったよね。だったら全く同じデザインは駄目だから、女の人は最初からやり直さなきゃいけなかったんだ。すごく大変だ。
あれ。
ちょっと待って。あたしは眉を顰める。なんで女の人は再提出しちゃ駄目だったの。それっておかしいよね。
女の人は力無く首を振った。
「あり得ません。テーマこそ共通項目でしたが、私の題材はありふれたものではありませんでした。特に、私の会社では明るい色を使って可愛らしいデザインが主流なのですが、私の提出した作品は殆ど単一色で可愛らしさよりエレガントさに重きを置いたものでした」
「そう、だったんですか」
がっくりとあたしは肩を落とした。そっか。先に提出した人は、女の人の仲間じゃない可能性の方が高いんだ。残念だなぁ、同じ趣味の人なら友達になれたかもしれないのに。世の中って上手くいかないな。
待てよ。勢いよくあたしは女の人を見た。その人が仲間じゃないなら、つまり。
「私は盗作の疑いをかけられました。幸い同期の子や先輩が弁解してくれたので、処分は今回の社内コンペの参加不可に留まりましたが、盗作したという汚名は消えませんでした」
「そんな」
胸の奥が苦しくて、あたしは両手を胸元へ添える。酷い。そんな酷いことが起きたなんて。係の人、どうして参加させてくれなかったんだろう。先輩と同期の子以外の会社の人、どうして信じてくれなかったんだろう。女の人は続けた。
「私の作品と似たものは、最終選考までは残りましたが選ばれませんでした。だからとびきりの悪夢を見た、そう思って忘れようとしました。会社の化粧室で聞いてしまったのは、そんなときでした。あれは私の作品を盗作したものだって」
大きな岩で殴られた。え、とあたしの口から息が漏れてそれは幻だってわかった。
「その人は会社のエースと呼ばれている人でした。斬新でバリエーション豊かなデザインをすることで有名で、上司の信任も厚いと言われている人でした。にわかには信じられなくて、でも続きが気になって、私はそのまま個室で静かにしていました。そうしたら、全部、聞けました。盗作した理由も、何もかも」
女の人は真上に顔を上げた。視線の先は天井で煌々と照るランプ。中身の電球そのものではなく、ランプシェードのステンドグラスを見つめているようだ。それでもかなり眩しいはずなのに、一切逸らそうとしない。女の人はぽつりと零した。
「楽ができそうだったから」
「え?」
「私の作品を盗作した理由、珍しいしこれなら楽に入選できそうだったから、だそうです」
女の人は小さく笑い声をあげる。
声こそ軽快なのに、力も感情もそこには無かった。
「その人は不満そうでした。佳作に入っていた作品と盗作する対象を迷っていたそうです。私のデザインの方が自分の評価と整合性が取れているし、私自身は新卒で気が弱そうのでバレても何とかなると。こんなことなら佳作に入選した方を盗作すれば良かったと」
声が出なかった。
目の前がぐらぐら揺れている。足元が覚束なくて、懸命に床を踏む。右手を掴むあたしの左手は、上手く力が込められなくなっていた。
女の人はまだランプを見ていた。
ステンドグラスの青色が、仄かに目下の隈へ色を添えている。
「まだ私の作品を素晴らしいと感じたから、嫉妬したから盗作したと言われた方がマシでした。まさか、盗んだことがバレずに楽して一番になれるから、だったなんて。そんな理由で、そんな子供じみた考えで私の作品は私の作品ではなくなった。それが信じられなくて、足に力が入らなくて、気づけば便座の蓋の上に座ってました」
ぼんやりとした瞳を女の人はしていた。このまますうっと消えてしまいそうな、ぼろぼろと細かく崩れてなくなってしまうような、弱々しい雰囲気を感じる。
どうすれば、何をすれば女の人は元気になってくれるんだろう。
どうやって声をかければいいんだろう。
わからない。こんなとき、水野さんや晃さんならどうするかな。今、水野さんはいないけど、晃さんなら何か。
徐にあたしはカウンターを見る。晃さんの姿はなかった。あれ、どこ行ったのかな。ドアの音はしなかったし、お店の中にはいると思うけれど。
「ずっと」と女の人の呟きにあたしの思考は途切れた。見ると女の人は再び口角を上げていた。でもすごく、嫌な感じがした。
「ずっと声だけ、右から左に流れて行きました。一緒に喋っていた人たちは笑っていました。けらけら、けらけら。災難だったねって、次は良い作品と出会えると良いねって」
「な、なん、ですか。なんなんですかそれッ」
お腹の底から声が出た。かあっと全身が熱くなっていく。
やな話すぎてお腹の中がむかむか燃えた。
だって何よ災難って。出会えると良いねって。
災難だったのはこっちの台詞だし、その次、出会ったら何する気よ。また盗作して、この女の人みたいな人を増やすんじゃないの。
こんな風にぼろぼろな笑顔にさせて全部諦めたみたいな口振りをさせて未来の可能性を踏みつぶしてって。それ何回も何回も何回もやる気?
何も、なんッにも感じないの。頭おかしいんじゃないの。
地団駄を踏む勢いで憤慨していると、女の人は漸くあたしを見た。
泥水みたいなレンズの奥に般若のようなあたしが映る。そのまま「ありがとうございます」と、女の人はあたしへ緩く笑った。
全身の毛が逆立ったのを感じた。
「違います、違うんですよ」
低い声だった。いつもなら言い終わってから自分でもびっくりしていたと思う。だけど、今日だけは全く気にならなかった。
困惑を浮かべる女の人へあたしは言う。
「お礼なんて良いんです。言う必要だってない、だってあなたは何も間違ってなんかないんですから」
あたしの言葉に女の人はあわあわと目を泳がせる。組んだ両手の指と指がもぞもぞと空を切る。手の甲は赤く染まり、くっきり残った爪の痕からは鮮血がじわりと滲んだ。「でも、でも」と女の人はうわごとを繰り返す。
「私が盗作させる隙を作ってしまったから、私が入社してコンペに参加してしまったから、私がデザイナーを目指して勉強を始めてしまったから、私が夢なんて持ってしまったから、私が、私なんかが」
「いいえ違います、違います、全ッ然違いますからッ」
聞いていられなくて、途中なのをわかっていてあたしは遮った。だってそうでしょ、一体この人の何が悪いのよ。
盗作させる隙を作った?隙って何、その盗作した人にデザインを見せたり話したりしたとでも言うの。この人はそんなこと一言も言ってない、だから最初ッから隙なんて無かったんだよ。そもそも盗作させる隙も何も、盗作する方が全部悪いに決まってるじゃんか。
入社してコンペに参加した?デザイナーになるために入社したのならおかしくないし、聞いた感じでは社内コンペって実質全員参加だよね。そんなのこの人がどうにかできることじゃないよ。
勉強した?別に良いじゃん、夢を叶えるために必要だったんでしょ。一つの目的のために努力することの何が悪いの。ズルしたわけでも誰かをけなして貶めたわけでもないのに。
あたしにはこの人みたいに夢がない。この人みたいに叶えたい未来があってそのためにどんな努力でもできる、そんな明確で眩しいものはあたしの中に無い。
もちろん願いならある。大学行って卒業して就職して、ゆくゆくはお嫁さんになって子ども産んで家族みんな仲良く暮らしたいなってくらいのものならある。そんな酷く曖昧な未来図。だからこそ、あたしはすごいと思う。
将来の夢を抱ける意志が。
叶えるために頑張れる気概が。
夢を語るときの溌剌とした表情が。
目標に対して喜怒哀楽を体現できる所作が。
あたしには眩くて眩しくて仕方がない。
だから、この人はどこも悪くない。汚名を被ったままでいるべき人じゃないんだ。理不尽に踏み潰されるべき人じゃないんだ。
自分から下を向いて小さくなって隠れて消えようとする必要なんて、一切無いんだよッ。
「あなたは全くどこも悪くないです、すごくすごく尊敬できるすごい人なんです。あなたは上を向いて胸を張って過ごしてて良いんですッ」
あたしは女の人を強く見据えた。ぜいぜい、ぜいぜい息が切れる。肩が上に下にする。
女の人は「ありがとうございます」と零した。あぁまた、またお礼を言わせちゃった。そうして欲しかったわけではないのに。やめてほしい。そう伝えるためにあたしは口を開いた。
瞬間、見えたのは大粒の雫だった。
「あり、がとう。ありがとう、ございます」
女の人は泣いていた。ぽろぽろ、ぽろぽろと絶え間なく涙を流していた。
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