第7話
徐に晃さんは桐崎さんを見た。
「脅迫文の実物は見られますか。撮った写真があれば良いのですが」
「おお、あるよ。ちょっと待っててくれ」
桐崎さんは鞄からスマホを取り出す。
サクサクと操作して、見せてくれたのは二枚の画像だった。
中央には一枚の紙が大きく映されていた。
同じ机の同じ位置に置いているらしく、紙の外側にはボールペンやスマートフォン、ファイルやメモ帳といった仕事道具らしきものがある。紙は四つ折りにされていた名残か、大きく十字の痕が付いていた。そして、肝心の文面は。
「うーん、普通ですね」
よくある印刷された文字だった。ポスターの見出しにありそうな、シンプルで見やすくて太い文字。それが二通とも紙の中央に大きく書かれていた。つまんないの。
まぁなぁ、と相槌を打って桐崎さんはホットサンドを置いた。
「新聞紙の切り抜きとか手書きとかで作られた怪文書なんて、創作物の中だけだよ。切り抜きだと犯人は指紋を取られるかもしれないし、手書きはどうしても個人の字の癖が出るから。いずれにせよ、二つとも方法としては現実的じゃあないよな」
そりゃそうだけど。
あたしは机の上のスマホを見る。二つの脅迫状は内容以外に違いが無い。いや、正直なところ内容もほとんど差が無い。だって違いが、文章で命を脅かしているか否かだけだから。よっぽど二通目の人は強い恨みを持っていたんだろう。
それにしても。写真の中の、瑛二さんの机の上は汚かった。
汚いって言っても、別に汚れているわけじゃない。掃除じゃなくて、整頓が必要な方の汚さだ。写真の中央には脅迫文が置かれていたけれど、その隅の方に色々なものがある。
例えば付箋。伝言っぽい言葉が書いてあるみたいだけど、写真の中のあちこちに張られている。また別のものでは空っぽの栄養ドリンク、蓋がないから空き瓶だろう。ぎゅっと纏められて、脇に置かれていた。
さっき見つけた仕事道具の他に、こんな感じの品々が至る所にあるのだ。あまりにも種類が多すぎるから、気になって気になって仕方ない。あぁもう、早く犯人を暴きたいのに!
唸るあたしに気にも止めず、写真を見ていた晃さんが呟いた。
「あぁ、なるほど。そういうことですか」
「ほぅ」
「えっ、も、もうわかったんですか」
我ながら素っ頓狂な声が喉から飛んだ。視界の隅で桐崎さんは目を細めて髭を撫でる。口の端がゆるりと上がっていた。勢いのままあたしは晃さんへ顔を向ける。
確信はこれからだけどね。そう言った晃さんは至極平然としていた。相も変わらず愛嬌をダストシュートした表情をして、桐崎さんを見ている。
無表情の美人は人形みたいに整っているって話、ホントなんだなぁ。
場違いな感想が脳内に浮かんで、あたしはぶんぶんと首を振った。空気が読めてない。なのに今、思っちゃった理由はわかる。だって真相を掴んだらしい晃さんと、語り手の桐崎さんがあまりにも
むむむとあたしは腕を組んだ。不思議だ。何でそんなに落ち着いていられるんだろう。大人が身の危険に晒されているっていうのに。あ、過去の話だから晒されていたって言えば正しいのかな。
いずれにしてもあたしは、今もなお真相も犯人もわかんないまま。どう反応していれば良いんだろう。何もかもわかんない。だからって、晃さんが綺麗とか思っているタイミングじゃないけどねあたし。
ふと晃さんがあたしを見た。
なんだろう。根拠なんてないけれど、無表情の中にそこはかとない哀れみを感じる。ちょっと何ですかその目は。抗議するみたいにあたしは晃さんを睨んだ。
晃さんは桐崎さんへ、すっと顔を向ける。
「桐崎さん。最後の質問をして良いですか」
「ん、別に何回でも構わないが。なんだ?」
「当時の瑛二さんの健康状態を、詳しくお聞かせください」
はい?
身体が後ろに仰け反りそうになっていた。危ない危ない。あたしは動きを止める。というか今、一気に話がブラジルくらいまで飛んでいった。健康って、体調のことでしょ。何処にも関係ないじゃん。いきなりどうしたの晃さん。
桐崎さんは神妙な顔をで顎に手を当てた。
「確か、そのときの瑛二は徹夜続きで職場にカンヅメ状態。部下の後始末をしながら二つの案件をこなしていて、家にはあまり帰っていない。二通目もらったときは三徹くらいしていたかな」
言い終わるが否や、晃さんの目がきらりと瞬く。え、今のってそんなに重要かな。全くわかんない。瑛二さんが滅茶苦茶忙しくしていたのはわかったけど、それがどうしたの。というか、ちょっと知らない言葉が聞こえたような。
二人の間であたしはおそるおそる手を上げた。
「あのう、三徹ってなんでしょうか」
晃さんはあたしを一瞥した。
「3日連続徹夜するってスラングのこと。徹夜は寝ないで夜を越すって意味。しかも今聞いた限りでは、三徹中はずっと仕事していたようだよ」
「え、ええッッッ」
叫びつつ、あたしは桐崎さんと晃さんを交互に見る。二人は酷く落ち着いていた。驚いた様子も雰囲気も無い。じゃあ、今のは事実なわけ。嘘でしょ。そんなに長い時間、ぶっ続けで働いていたら死んじゃうよ。
息を呑んだ。
晃さんはあたしを見て頷く。
「文面の、命に関わるという文句は脅していると解釈できる。けれど、文章表現としては些か婉曲だ。本当に脅す気があるなら刺すとか殺してやるとか、もっと簡潔で伝わりやすい表現は沢山あるのにね。むしろ今みたいな言葉の方が、この文書の言葉より真に受けやすい。ところが現実はこれだ。しかも犯人が特定されている一通目から、三日と開けないで新しい文書を送っているのに、さ」
つまり、と晃さんは言葉を切った。
にやにやとあたしたちを眺める桐崎さんへ顔を向ける。
「この文書が脅迫文ではなければ、辻褄が合う。おそらく嘆願書の類いだろうね。頼むから養生してくれって意味の」
「大正解!あぁ、やっぱり晃くんは頭が回るなぁ」
桐崎さんは会得顔で頷いた。
あたしは二度見する。えっ、あの、待って。桐崎さんは最初から脅迫文が脅迫文じゃないことが分かってたの!?そんなぁ。じゃあ、あたしの心労は一体。
よろよろと両手をテーブルに置く。力が抜けて、足が小刻みに震えていた。生まれたての子鹿ってこういうことかな。
あたしの心中なんて知るはずもない二人の言葉が、目の前で駆ける。
「それにしても。随分と回りくどい真似をなさいますね、その人たち」
「そうだろうそうだろう?いやぁ最初に見たときは驚いたけれど、面白い話だよな。言語表現と解釈が異なるだけで、脅迫か憂慮かなんて両極端な意味が推量できる文書が出来上がるんだ。これだから日本語は底が知れない」
「題材が洒落になりませんけどね。もっと健全な落ちであれば、非常に良い趣きを味わえましたよ」
「ははは、流石は晃くん。手厳しいが正にその通りだ。返す言葉が無いな」
悪びれずに桐崎さんは首をすくめる。
でも。あたしは回顧した。
うん、やっぱりそうだ。腑に落ちないことがある。あたしは晃さんに問う。
「ならなんで犯人、いや送った人は脅迫状チックな文書を作ったんですか。瑛二さんはスルーしたみたいなので良いですけど、普通の人なら勘違いしてもおかしくないですよね」
「それこそ瑛二さんだから、だろうね」
う、うーん。どういうこと。
あたしは頭を働かせる。少なくとも一通目の犯人は瑛二さんの同僚だった。瑛二さんは絶対真に受けないってわかっていたから、脅迫状っぽい手紙を書いたってことかな。ただ、それだと書いた理由が不透明なままだ。
晃さんは視線を画像に戻す。
「文書を作った理由は、正当性を確保するためだね」
「正当性?」
「そう。会社の人は瑛二さんに休んで欲しかったけど、瑛二さんは仕事が多くて休めない。加えて瑛二さんは仕事人間のようだから、自分から中々休んでくれそうにない。そんなとき、正体不明の誰かが瑛二さんを仕事について脅せばどうなると思う?」
ううむ。額に皺が寄っているのがわかった。言われてみれば、そっちは考えてなかったかも。どうなるんだろう。
思考を流すようにあたしは言った。
「えっと、仕事を続けていると命を狙われるので、瑛二さんが危険になります。短い感覚で脅迫状は届いているし、犯人もいっぱいいそう。しかも内容もエスカレートしてるので、計画の本気度も高め。なので、解決されるまで瑛二さんには一旦仕事を止めてもらってーー」
瞬間。あたしは口元を覆った。
ゆったりと晃さんはあたしへ身体の向きを変える。
「そう、瑛二さんが堂々と仕事を休む大義名分ができるんだ。言葉自体は強くないけれど、解釈次第で簡単に脅迫と受け取れる内容。加えてそんな文書が短期間に二通も届いている事実。時間が過ぎれば過ぎるほど、瑛二さんの身が危うく見えるのは明白だろうね」
疑問が木っ端微塵に砕けていく。窓ガラスの向こうが一層鮮やかに思えた。あたしは深呼吸する。そっか。だから
すると「あとは」だなんて晃さんは言葉を紡いだ。えっまだあるの。
「この状況で瑛二さんが仕事を続けていれば、瑛二さんの会社の人に被害が及ぶ可能性もある。さしずめ、お前らがしっかりしていないから彼奴は受け入れないんだぞってところかな」
「そんなの逆恨みじゃないですか!?」
あたしは頭を抱えた。そんなの、迷惑にも程がある。可哀想だよ同僚さんたち。晃さんは「そうだね」と事もなげに同意した。いやいや。そんな軽いことじゃないよ。
「全てではないけど、あり得てしまうのが現実だね。だからたとえ瑛二さん本人に咎が無くても、同僚たちのことを考えるなら瑛二さんには仕事を続けるより休んでもらった方が良いってこと」
そこまで言うと、晃さんは目を細めて桐崎さんを見た。
あれ。あたしは心の中で首を傾げた。この晃さんの顔は機嫌が良くないときの顔だ。クロックヴィクトリアンに初めてきたとき、水野さんと話しているときに見たから覚えている。
でも桐崎さん何かやらかしたっけ。確かに今の話はブラックジョークみたいな感じだった。だけど晃さんはジョークを言ったくらいで怒るような人ではない。2、3日しか晃さんのことを知らなくても、それくらいは理解できる。ならなんでかな。
不思議に思いながら、あたしは晃さんの口が開いていく様子を見つめた。
「桐崎さん。貴方またやりましたね」
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